22時17分

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夢と現実。

現代に生きる人たちは、この二つの要素を対義語的に理解している感じがする。
生と死みたいに考えているっぽい。

例えば人生を1と置く。
睡眠時間に1/3、現実世界に2/3の割合で充てているのだから、夢より現実の方を重要視するのはごもっとも。
夢は、大ぼら吹き。現実逃避として利用される悪の組織。

夢の時間たる睡眠時間をなんとかして削ったほうが良いと考え、僕たちはショートスリーパーに憧れてしまう。
学生時代は徹夜したり、夜更かしすることに対して罪の意識がない。
睡眠時間分、人生は損をしているわけだから、その分削って現実世界に生きたほうが得をする。
まだ、この時代には不老長寿の薬なんてないのだ。
そんなことを、生まれた時から植え付けられている。

しかし、どこかのブログでかすった知識を披露すると、今から150年くらい前の江戸時代では、人生とは、現実の世界と夢の世界、その両方を繰り返し経験するのだと思っていたらしい。
現実、夢、現実、夢……。
その繰り返しで、人生という名の時間が進む。

これを読んだ時、僕はなるほど〜、と思った。
つまり、昔の人達は、ちゃあんと「無意識」と「意識」を区別して、それらを包含して人生というものを生きていたのだ。

一方、現代人たちは、意識の世界にのみ生きようとして、もがき苦しんでいるらしい。
養老孟司先生の本を読んだ時は、
「意識の世界とか何いってんだコイツ」と思っていたのだが、つまりそういうことか。

先ほど書いたように、現代人は自分の脳に住まう意識を王様のように考える。王様の絶対王政を強いている。
1日の1/3を睡眠時間という名で時間を「捨てている」と考えがちだから、1日は2/3しかない。
王様はそう考える。すると、自然に無理なことを声高々に宣言することになる。
「だから、人生を効率よく生きよう」と。

無意識の世界を区別してこれを放棄し、思考能力がある時間のみに注視した。
現実(瞬断)、現実(瞬断)、現実……。
現代人は、よく精神を病みがちだとされているのは、そういうことだと思う。
人生の時間に対する姿勢が、給料が天引きされたが如く、何者かの手によって脱落しているため、その時間を取り戻そうとして効率的に、効率的に……、と思うようになった。
これを自覚すると、現実と夢は両極端な概念ではなく、数直線を引いた時のように、水平的になる。

現実、夢、現実、夢……。
その繰り返し。
普通に考えて、人生の時間は「倍」になるわけだ。
あるいは、夢の時間は脳にとって休憩時間である、という再認識も進んだ。

だから無意識について理解するために、夢の世界とは一体どのようなものなのだろうと調べ、発掘していった。
夢占いとか、諸行無常とか、無常観とか。
マインドフルネス(禅)、芸術、祈り、彫刻鑑賞……
今の現代人には、まったくもって理解不能と切り捨てられた思想だが、もうちょっと調べようと僕の好奇心は提案する。
きっと昔のほうが、時間がゆっくり進んでいたのだ。
効率化を考えていったから、時間が早く感じるのだ。

江戸時代が終わって150年くらいしか経っていない今。
人生の効率化を目指していって、生きづらいと思えるからこそ、人生に向き合う必要性に駆られた。

12/5/2024, 7:39:20 AM