『善悪』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
書く習慣:本日のお題「善悪」
善悪がはっきりしないとか、やった結果は悪だけど経緯を踏まえると善から始まったことだったとか、世の中にはそういう物語がある。
物語だけではない。実際の人間関係のトラブルも、視点によって善悪はあっさりと入れ替わる。関わる人数が多ければ多いほど、語り上手な方が善であると判断されがちだ。
だから私は一人が好きだし、友人との間に共通の友人もいらない。同じタイミングで知り合った同級生や会社の同期ならいいが、相手の友人を後から紹介されるのが苦手だ。
世の中には、手っ取り早く仲を深めるために共通の敵を作って悪口大会を開催するタイプの人間がいる。さも面白い話のように言われると、もうケリがついて笑い話のフェーズに入った昔語りなのかと思って、つい聞き入ってしまうし、合いの手も入れる。そして現在進行形の話だと種明かしされて、驚くと同時に共犯者になってしまう。……今のは被害者ぶりすぎた。悪口だと察しても会話が面白いと止められないのだ。自分で蒔いた種である。
学生時代にそういう経験をしてきたので、大人になってからは全方位に興味がないスタイルをとってきた。仕事のやり方やちょっとした配慮の方向性だけで精一杯なので、「誰を敵に回すのか」といった社内政治的な方面まで思考体力が追いつかなかった。「人当たりはいいけど協調性がない」などと言われたりもしたが、「知るか」で済ませていた(まさに協調性がない)。
幸いにも、今の職場は悪口で団結力を高める発想の人がいない。愚痴については全員が脳内クラウド共有状態になるほど「あるあるネタ」に昇華されているため、とても居心地がいい。
ベテランさんが言うには、協調性のない新星こと私が入社してから空気が変わったらしい。やっぱり協調性がないと思われていて草を禁じ得ないが、私の欠点が職場の空気を改善したのなら、協調性を持たなくてよかったと思った。
……いや、少しは反省しよう。螺鈿を目指す人間がブリリアントジャークになっていたら、目も当てられない。
善悪
「鏡介、難しい顔をしているね」
俺が図書室で教科書とにらめっこしていると、夏目が声をかけてきた。
「夏目、課題終わった?」
「『走れメロス』を紹介する文を書くやつかな。終わったよ」
「さすがですね」
無類の国語好きの夏目からしたら、赤子の手をひねるようなものか。夏目漱石が名前の由来なだけある。
「行き詰まってるの?」
「だって、セリヌンティウス可哀想だろ。いや、話として友情の素晴らしさはわかるよ。でもさ…」
セリヌンティウスは悪いことをしていないのに、人質にされているし。なんで殴られないといけないんだよ。
「まあ、そうだよね」
夏目は、おかしそうに、少し声を出して笑った。
「善悪というのは、その場その場で変わる。現に、文学の主人公たちが、いつでも正しいとは言えない。周りに迷惑をかける主人公も、珍しくはないしね。最近は、普通な主人公と少し変わった相棒系が流行っているけれども」
早口でまくしたてられた。いつものことだが。
「お前がそれ言っていいのか?」
夏目は、俺の隣の席に座る。そして、俺の教科書の作者のページを開いた。 太宰治の文字を、指でなぞる。
「『走れメロス』の作者。太宰治は、飲み屋での代金が払えないからと、友人を人質にしたんだ。それでどうしたと思う?」
「払いに戻った、とか」
夏目は、口の端をにっと上げた。
「そのまま、まんまと帰ったんだよ」
信じられない。開いた口が塞がらないとは、こういう時に使うのか。
「そんな人が、走れメロスを書いてるのか…」
「熱海事件と呼ばれていてね。『走れメロス』の元となったという説もあるんだ」
人差し指を振りながら、得意げに語った。
「文豪には、おかしなエピソードも多々ある。四メートルの手紙とかね。どんなに立派な文を書いて、詩を残して、教科書に載っても、残念なところもある」
一息置いて、夏目はすっと目を合わせた。
「でも、それが人間らしさなんじゃないかな」
その目には、不思議な輝きがあった。
「その時正しいか、間違ってるか。善悪なんて、誰にも決められない。強いと言えば、後の人間が客観視した時に、どう思うかだ」
「そうかもな」
歴史の教科書を思い浮かべる。その時の善は、今では悪。なんて、よくある話だ。
「善悪で言うなら、舞姫を読んでみるのはどうかな」
「あれ難しいだろ」
「文体はね。でも、おもしろいから」
また夏目の解説付きで読むことになりそうだ。
「ふふ。俺たちのこの会話も、どこかで聞いてくれた誰かが、善悪を判断してくれるかもしれない」
夏目は、窓の外のどこか遠くを見つめた。
『善悪』
自分の中のいい行動を心がけているけれど、
周りから見たそれはいい行動なのかが分からなくて。
何も動くことが出来ない人になってしまった。
それは誰が見ても悪であって、
せめて何かをするべきだとは思うけれど、
悪い行動を起こしてしまうことの怖さが、
私の行動範囲を狭めているのだと思う。
要は、他人の目を気にしすぎだということだ。
善悪
何かを善悪と断罪する権限を持つのは誰なのだろうか。
法律か。常識か。良識か。はたまた宗教か。
私には皆目わからない。私にとっては、善悪と二極化すること自体が難しく、定義することも困難である。
そもそも善悪とはなんなのだろうか。この世に善悪というものがもとから存在するのだろうか。それとも、人間が作り出した概念に過ぎないのか。善行を積んできた人間は報われるのか。悪行を重ねてきた人間は裁かれるのか。そう考えれば考えるほど、この世は残酷で、無機質で、空虚なものなのかもしれないという持論が姿を現して、私の視界を塞ぐ。息をすることも難儀になる。今まで自分が安住してきた地中が揺らぐ感覚だ。
私たちはこれからも何者かによって善なのか悪なのか断罪されるだろう。かえって私たちが何者かを断罪することもあるだろう。そうやって人間は生きていくのだろう。
ここまで持論を書き連ねて、こう言うのも良くないかもしれないが、私のような浅学非才な人間の言うことは鵜呑みにしないで欲しい。私のようなちっぽけな人間に善悪、この世、人間にまつわる真理を理解できるはずがないのですから。
善悪
あるシーンを観た。
被害者なら善、加害者なら悪。
あるシーンの主人公に。
いやいや、あなたが悪でしょ?
あるシーンの主人公を見たら、
いやいや、あなたが悪ですよ。
善悪は存在するが、
見方や当事者になると、
我が先にと
先に善悪を押し付けてしまう
世の中。
『善悪』
善か悪か
そんなもの
その時の見える景色によって変わってしまう
お互いがお互いの正義を主張して
どちらもひかなければ
その先にあるのは争いだったりする
お互いの正義を振りかざすより
多少の不満はあっても
落としどころをなんとか探して
私はずっと平和ボケしていたい
まあ、そうすると
声の大きい人の都合の良いように
物事が進んでしまったりするから
それはそれでなのだけど
バランスって難しい
善いことをすれば天国へ、悪いことをすれば地獄へとはよく言ったもので。実際、よくできた言葉だと思う。
では、その善し悪しとは誰が決めるのか。
俺個人の考えになってしまうが、たとえ其れが人道に反す行いだとしてもそれが絶対悪だとは考えていない。人は人を裁き、監視し、烙印を押し、時には制裁を下すからだ。人間が無条件に正しいという判断のもと、人はこれらの行動を示している。公平性のかけらもないことに誰1人として疑いも持たず。
これらが何を意味するのか。つまるところ善悪とは個々人の主観によるものだ。
【善悪】
これは一般的には『悪いこと』だろう。
さっきまで命だった肉の塊を埋めながら思う。
でもこれ以外に方法はなかった。
「これなら大丈夫だろう」
「……そうだね」
二人で平になった地面を見つめる。
あの子はずっと無表情だった。
これを運んでいる間も、埋めている時も、ずっと。
ただ俺に言われた通り動いているだけだった。
「……あのさ、ありがとう」
ふいに告げられた言葉に視線を上げる。
あの子は笑っていた。
雨と土まみれのぐしゃぐしゃな姿には場違いな、晴れやかな笑顔だった。
俺がずっと見たかった、心の底からの笑顔だ。
これは『悪いこと』だ。
でもこれであの子が笑えるのなら。
俺にとっては『善いこと』なのだ。
私にとっての善が
世界にとっての悪であろうとも
私は絶対に正しいと知っているから
救急隊員として、人を助けることは良いこと、だよね。
そんな俺の中で俺にとってダントツに悪いことがあった。
それは自分自身を大切にしないこと。
恋人と出会う前は、自分のことは気にしてなかったんだ。
だけど、自分が怪我をしてでも救助を優先した時に彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちるのを見て反省した。
俺のことはどうでも良かったけど、彼女が怪我したら……と思ったのと、彼女の涙に考えを改めたんだ。
おわり
七一〇、善悪
善悪
「君は物事を0か100で考えすぎだと思う」
「君が思う善い悪いを白黒のはっきりした色ではなく灰色を君の中で許しなさい。」
私は悪い人間なのだとずっと思っている。人に近づけば近づくほど、怖くて距離をとってしまう。私が悪い人間なのだと知られたくないから。
別の人に相談したら、一蹴された。
「そんなん気にしなくていい。もっと辛いことだと思った」
笑って受け流してくれた。でもさ、それは私が今現状あなたに迷惑をかけていないからであって、毎日毎日同じように迷惑をかけていたらあなたもいつか私を嫌いになるのだろう。
私は私が嫌いだ。自分を好きになれない。外に出るのも怖い。このことを知られて自分の好きな人たちに迷惑かかってたらどうしようと思う。
この世界のどこかで、私の生活の中にいる人が笑ってくれてたらいいなと。私が出会ったすべての人が今も、そしてこれからを幸せだと思える人生を歩いて欲しい。今、この先、辛いことが一度もない人生を歩めたら最高だ。でも、つまづいた時に、
「悪いことがあっても善いことがある。人生は少しでも小さくても幸せを見つけることから始まってく」
先生が送ってくれたこの言葉を心から想える人生を送っていきたい。
→優柔不断の考える、勧善懲悪というエンタメについて。
アンケートの「はい」「どちらとも言えない」「いいえ」の割合が1:8:1の私は、善悪は二項対立では成り立たないような気がするよと、心のなかで呟いてみる。
テーマ; 善悪
「善悪」
極振りしたらいいんだよ。
は?
だって、善悪判断なんてふたつに分けられないだろう?
ふたつに、分ける?
その行為は善
その行為は悪
俺の善悪基準とお前の善悪基準は同じじゃないだろう。
だから、極振りするんだ。
優しいお前は善
暴力的な俺は悪
どうだ?
気にいらないから壊す
これは俺だから悪か?
環境改善したら善か?
それに苦しんでた者にとっては善か?
優しいお前が助けたらそれが世界を破滅に導いたら?
善か?
困るよな?
だから、合体しよう。
ひとつになって。
こうして心は一緒になった
理性はまだない。
『善悪』
善悪…善悪かあ…善悪というと…
ああ、たった今、小さな虫を殺してしまったな。
本当に、たったいま。
教科書の上で暴れていて、邪魔だったから。
これを勉強中に書いているのもどうかというところだが、
なんだか咎められたような気分だ…
一応、おそらく人よりは虫を殺すことに抵抗がある…心を痛めやすい方だ…とは思う。毎回、ごめんなさい…と思いながらそれをしている。
けれど、今自分で言っていて言い訳じみているな、と感じてしまった。結局、やってしまったことは同じなわけで。たしかに私の手によって、私の都合で、この虫の命は終わってしまったのだ。
ただ、これを書いて良心を痛めたところで、今後も同じことがあれば、私は同じ行動をするだろう。
ああ…考えが巡って消化しきれない…。
少しでもこの虫の命が報われるように、今は勉強を頑張ろうと思います。
これで報われるかもわからないけれど、
せめてもの気持ちです。
✽✽✽
ここからは、勉強を終えたあとの執筆
善悪…
人によってその基準や価値観はちがう、
そんな文言がぱっと頭に浮かぶ。
自分にとって善くても、相手にとっては悪だとか。
私の好きなゲームでも、たまに思う。
いま操作してるこの主人公、こちらからすれば世界を救ったヒーローだけれど…あちらからすれば、仲間を問答無用で抹殺していく極悪殺人鬼だよな。怖すぎる。
特に操作方法、チュートリアルの敵なんかは、逆らうことも知らぬまま攻撃を受けて死ぬしかないわけだし、言ってしまえばそれが仕事なわけで、一番残酷かも。いや、ゲーム内の敵はどれも、主人公に倒されるのが務めなのか…
アニメや漫画で、敵側の過去や内面に深くフォーカスしたものが好まれやすいのも、善悪の見え方というものが理由の一つだったりするのだろうか。(ちなみに私も大好き)
そういう、人によって見え方が違う…というのは結構好きだな。
そして、今私が善悪ときいて最初に、それは人によって違うという考えがぱっと浮かんだのは、たぶん色々な場所で似たようなことが言われているからだ。
たまにあるよなあ、自分の考えだと思っていたものが、知らず知らずのうちに他人の受け売りだった、ということ。
でも今回のに関しては、たしかに自分の中に落とし込まれているはず…と思いたい。
それと思い出したのは、最近、とある漫画に出てきて知った「善く生きる」という言葉。ソクラテスさんが提唱した考え方らしい。
私はこの言葉の、「よく」の字が「良く」ではなく「善く」なのに妙に心を惹かれた。意味合い的にも、そこは大事なところなのだろうなあ。私は、洗練された綺麗な日本語、深い日本語などが大好きなので、この言葉は印象に残ったのだ。
哲学について、興味はとてもあるのだけれど、今の時点では全く知識がないから…なにか間違ったことを言ってしまうかもしれない。でも、「善く生きる」ことは、たぶん多くの人にとって理想とされるものなのではないかな。ただ生命を維持するだけでなくて、「善く」生きること。幸せになる努力をすること…?自分の人生に意義を持たせることだろうか。
本来なら、生物としてはただ命さえ繋がっていればいいはずなのに、人はそれ以上を求めるんだもんな。
いや、そもそもなんで命を繋げようとするのだろう。
不思議で、面白くて、どこか残酷だなあ。
なぜか日本国憲法も思い出した。
世の中へ示す、『善』のかたまりみたいなもの。
基本的人権の尊重。自由権、平等権、幸福追求権だったか。…そんなの、わざわざ文字に起こさずとも存在していてほしいけれど…ほしいけれど、そうもいかないんだもんな。ほんとうに、人間の世界は複雑になりすぎたような気がする。
あと、公共の福祉というのもすごいよなあ。本当によくできている、と思う。権利は持っていていい、けれど、ひとりひとりがあまりに自由に権利を行使しすぎると、それはぶつかり合って、他人の権利の侵害になる…だからそれを考えて使ってください、
こういうのは実体も明確な基準もないから、とても難しいことだと思う。
憲法だって、破ろうと思えば破れてしまうから。
改正だってできてしまうわけだし。
世界って本当に脆い。
最近はよくそれを感じる。
✽✽✽
さて、これは二通目だけれど、
先程初めての執筆を終え、皆さんの作品を見たとき、
このアプリでものを書く人たちはみんな、心から言葉を紡ぐことが好きなんだなと、身に沁みて感じた。
あと、比べると私の文章がかなり長かったのでびっくりした。
私は昔から、文を長く書きがちだ。
けれどこれもまた、私の文章の、言葉の形であって。
ありのままに書いた文章は、その人自身を表してくれると思うから、いいのだと思う。
このアプリの中でくらい、まるで国語のテストのように字数に縛られなくたっていいじゃないか。
とはいえ、みなさんの人間としての内側が紡がれた言葉たちは、本当にきれいで、美しくて…
私の大好きな世界だな、と思った。
これからも文章を記していきたいです。
そして、みなさんの生み出す言葉たちと、
それらが体現しうる、みなさん自身に触れていたいな。
(ニ)
善悪
善悪はあるものの、私たちは100%の善悪を判断することはできない。世界はグレー寄りで、確実な善も不確実な悪も存在しない。
善とか悪とか、そういうのはやめにしましょう。
勝った方が正義!名声も地位も全ては勝者のもの。
ね、わかりやすいでしょ?
善悪……
ウソは悪だろうか?
私がまだ10代の頃の話だ。
アクセサリーを母と見ていたら
店員がねちっこく勧めてきた。
「娘が気に入ったなら買いますから」と母が言い
店員は一気に私を攻略し始めた。
母は店員の後ろに立ち、私を見ていた。
ペラペラよくしゃべる店員の後ろで
母は目をパチパチしたり口をパクパクして
何やら私に合図を送っていた。
店員の言葉よりも
母が何を言いたいのか わからず ただ困惑していた。
私がどんな返事をすれば母は気に入るのだろう?
もう少しわかりやすい合図をしてくれたらいいのに。
やがて
母の素振りが「買え」を意味すると判断した私が
首を縦に振ったとき
見上げた母の顔は 般若のようだった。
帰り道、母はめちゃくちゃ怒って私に言った。
「上手にウソをつく練習をしなさい」
私はウソをつく練習をした。
ウソをつくと体力の消耗が激しい。
ひとつのウソは次のウソを呼び
つじつまを合わせるにはまた別のウソが要る。
……たいへんだ…。
そして悟った。
ウソとは 頭のいい人に許された娯楽なのだ……
世の中の善悪はずっと前に身についてしまう…
どこかで心を入れ替えなければ、きっと
楽な世界に飲み込まれてしまう
どんなことも
小さなことからコツコツと。
積み上げてきたことが答えになると
信じて大丈夫。
善悪 / 題名
「善悪わかるけどさ、いい事してる人見かけても 礼 は言えないし、悪いことしてる人見かけても 注意 出来ないんだよな。」
らしい。そう言ってた。俺もそう思った。
〆
「善悪は誰が決めるのでしょうか」
「それは、あなた、もしくはわたしですね」
「個人が決めるものだと?」
「ひとつの意見ですよ」
「世間一般的に善悪が決まっているものもありますよね。それもどちらかを決めるのは個人ですか?」
「世間一般は個人の集まりですよ」
「あ、確かにそうですね」
「そうです」
「時々思うんです」
「はい」
「この世から悪いことが全て無くなればいいのに、と」
「それは、難しいですね」
「えぇ、理想論だということはわかっています」
「いえ、そうではなく」
「?」
「この世から悪いことが全てなくなってしまえば、何が善いことなのかもわからなくなってしまいますよ」
「ああ、なるほど」
「なんでも極端なのは考えものですね」
「まぁ確かに」
「それに」
「それに?」
「嫌な仕事を終えた後のビールは最高ですから」
「それは善悪とは関係ないのでは?」