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書く習慣:本日のお題「善悪」

善悪がはっきりしないとか、やった結果は悪だけど経緯を踏まえると善から始まったことだったとか、世の中にはそういう物語がある。

物語だけではない。実際の人間関係のトラブルも、視点によって善悪はあっさりと入れ替わる。関わる人数が多ければ多いほど、語り上手な方が善であると判断されがちだ。

だから私は一人が好きだし、友人との間に共通の友人もいらない。同じタイミングで知り合った同級生や会社の同期ならいいが、相手の友人を後から紹介されるのが苦手だ。

世の中には、手っ取り早く仲を深めるために共通の敵を作って悪口大会を開催するタイプの人間がいる。さも面白い話のように言われると、もうケリがついて笑い話のフェーズに入った昔語りなのかと思って、つい聞き入ってしまうし、合いの手も入れる。そして現在進行形の話だと種明かしされて、驚くと同時に共犯者になってしまう。……今のは被害者ぶりすぎた。悪口だと察しても会話が面白いと止められないのだ。自分で蒔いた種である。

学生時代にそういう経験をしてきたので、大人になってからは全方位に興味がないスタイルをとってきた。仕事のやり方やちょっとした配慮の方向性だけで精一杯なので、「誰を敵に回すのか」といった社内政治的な方面まで思考体力が追いつかなかった。「人当たりはいいけど協調性がない」などと言われたりもしたが、「知るか」で済ませていた(まさに協調性がない)。

幸いにも、今の職場は悪口で団結力を高める発想の人がいない。愚痴については全員が脳内クラウド共有状態になるほど「あるあるネタ」に昇華されているため、とても居心地がいい。

ベテランさんが言うには、協調性のない新星こと私が入社してから空気が変わったらしい。やっぱり協調性がないと思われていて草を禁じ得ないが、私の欠点が職場の空気を改善したのなら、協調性を持たなくてよかったと思った。

……いや、少しは反省しよう。螺鈿を目指す人間がブリリアントジャークになっていたら、目も当てられない。

4/26/2026, 2:05:42 PM