『友達』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
長め。1,200字くらいです。
───────────────────
【友達】
きっと、友達だと思っていたのは、僕だけだったんだろう。そっと打ち明け、相談した、そのセンシティブな内容を、幼馴染はあっさり他人に漏らした。
以来、僕は教室で孤立し、陰口を叩かれ、クスクスと笑われている。
当たり前だ。
前世の記憶を夢に見ている……なんて、僕だって、自分のことじゃなかったら信じない。
魔法があった世界で、前世の僕はそこそこ有名な魔法使いだった。
『賢者様』なんて呼ばれていたくらいに。
日本には魔力も魔法もない。それが苦しい。
窮屈で、不安で、落ち着かない。
もう一度魔法が使えたら。そんなことを考えていたからだろうか……
幼馴染が妙に真剣な顔で話しかけてきた。
「夢のこと、喋ってごめん」
今更謝罪されても、僕の居場所は戻ってこないだろう。いいよ、なんて。言えるわけなかった。
一緒に帰ろうと言われて、方向も同じだから仕方なく歩き始めた。
そうしたら。地面が光って。
召喚魔法だった。
引き摺り込まれそうになったあいつの腕を咄嗟に掴んだ。
僕には魔法を解除することもできたのに。
抗えなかった。
魔力の気配が懐かしくて。
このままついて行ければと、思ってしまった。
召喚された先は僕が前世を過ごした世界で。
賢者のことを知っている人たちがいて。
僕は魔力と魔法を取り戻した。
ああ。自由だ。やっときちんと息ができる。
幼馴染は勇者だとか言われていたけど。
本人は異世界に連れてこられたことに酷くショックを受けていて、あまり話を聞ける状態じゃなかった。
僕は幼馴染を守ることにした。
召喚を阻止しなかった罪悪感もあった。
何より、今の僕はとても強いのだ。無力な子供は守らなきゃいけないだろう。
勇者の使命とやらに胡散臭さを感じて、僕は勇者の代役を申し出た。途端に、偉そうな大人たちの顔色が悪くなる。
前世の名前を使って、脅して、聞き出した。
ちょっと魔法も使った。ちょっとだけ、だ。
そいつらは、勇者を戦争の道具にしようとしていた。
そんなこと、させられるわけがない。
僕は幼馴染を連れて城を飛び出し、前世で世話になっていた国に身を寄せた。
僕のことを覚えていた人たちが、戸惑いながらも歓迎してくれた。
「賢者様が随分と可愛くなってしまわれた」
なんて言われたのは心外だけど。
顔見知りの国王に戦争の情報を伝えた。
戦争はさせない、回避する。そう約束してもらえて、ホッとした。
幼馴染は僕に改めて謝罪してきた。
まさか、本当に前世や異世界が存在するとは思わなかった……と。
当たり前だ。
僕だって、自分が関わってなければこんな話を信じたりしない。
僕と幼馴染はもう一度、友達になった。
僕は今、召喚した異世界人を送り返す魔法を研究している。
幼馴染は「もういい」なんて言っているけど、彼を家族に会わせてやりたいんだ。
ただ、勇者の力に目覚めた彼は、毎日とても楽しそうなので……
もしかしたら、僕が開発するのは『異世界と手紙のやり取りをする魔法』くらいがちょうどいいのかもしれない。
友達
友達にしてあげるように
声をかけて
落ち込んだ時は
寄り添って
楽しい時は
たくさん笑って
優しいあなたを
自分自身にも見せてあげて
『友達』
幼い頃、この街に越してきた私は他の人と「目の色が違う」と言う理由で友人が出来なかった。
高校生まで上がり一人の生活にも慣れた頃突然話しかけてきたのはクラスの中でもムードメーカー的存在の女の子。
一時期は周りの人から「調子に乗るな」と言われて来た私だけど、彼女が言ってくれた「友達になろ!」が嬉しくて周りの人達に言い返したのが先日の話。
それからは彼女と二人で遊びに行ったり、学校でお昼ご飯を食べたりと仲良く過ごしていた。はずだったのに……
「悪魔が堂々と人間界に居るとか笑える。私が祓魔師だって知ってたよね?」
「……わ、私はただ普通に暮らしたかっただけなの!」
流れる血に二の腕を抑えながら痛みに耐え、彼女を見るが憎らしいと言う目で私を見るその視線に絶望した。
やはり悪魔と祓魔師では仲良くなれないらしい。
それでも、信じていたい。
「最後に……最期に聞かせて。」
「……何よ。必要以上に話すつもりは無いから。」
「今でも私たちは、友達?」
「は?悪魔と友達に?なる訳ないでしょ。そうした方が油断すると思って言っただけよ。」
ガラガラと何かが崩れる音に私は涙する。
何千年生きていてもこの瞬間だけは、慣れない。
それからの私は殆ど何も覚えていない。
気が付いたら城に戻っていたし鏡を見たら元の姿に戻っていた。家臣の者から事情を聞いて見るとどうやら「まだ」彼女は生きているらしい。かなりの深手を負って居るらしいが。
「……魔王様、もう人間と戯れるのはおやめ下さい。貴女が傷付くだけです。」
「そうね、もう…………人間は信じないわ。」
唯一この城で信頼する家臣の男は苦しそうな顔をした後に私に近寄ると「頑張ったな」と言って頭を撫でてくれた。
彼は幼い頃から共に過ごしている悪魔で腹心で幼馴染。
私の心を守ってくれる優しい悪魔。
だから、どうか……貴方だけは私を裏切らないで。
とても脆弱な「友達」という関係。
自分の気持ちを隠していつまでも──。
僕は「友達」という関係がどれ程までも脆いことを知っている。
僕は友達だと思ってた人に裏切られてから、人間不信のようになっていた。
だから、幼なじみの「友達」に恋をしてしまったなんて、誰にも言えない。
この気持ちを貴方に伝えられたらどれほど良かったか。でも、臆病な僕は伝えられなかった。
(この気持ちを、墓まで持っていこう──。)
友達以上てもなく、それ以下でもない。僕は曖昧な関係を一生続かせるだけ。
恋心に気づいても前と同じ振る舞いをした。
心の空白を埋めるためには愛されることではなく、愛することだとわかったから。
「おやすみ」
空を見上げると満月が真上に煌めいていた。
────────
お題:友達
初めての出逢いは最悪で
衝突ばかりしていたね。
喧嘩して
傷つけあって
今は友...
そんな、ありきたりな展開に
クスッと笑うオレたちは
背中を預ける親友に。
『友達』 RISU
友達
リアルじゃないけど
眩しくてくすぐったいなとは
感じる言葉
空が白む。
夜露をたっぷりつけた草花が生き生きと朝を喜ぶ。
鳥たちの囀り、身が引き締まるような凛とした空気。
そのどれもが私を嬉しくさせる。
友よ、今日も私は生きているぞ。
きっとこの空の下で君も同じ朝を迎えていることだろう。
それだけが私を癒し、救ってくれる唯一の事実なのだ。
「友達なんですよ」
2人の関係を訪ねられたら
あっさりと言葉に出来る
けれど、「親友なんですよ」とは
なかなか口に出して言えかなったりする
私が、親友だと思っていても
さてさて…相手も同じ気持ちだろうか?
なんて、ちょっとした不安が頭をよぎる
後は、何だか「親友」と言う表現を
当の本人が、すぐ隣にいたりすると
気恥ずかしくて素直に言えなかったり…
よくよく考えてみると、ホントの意味で
親友だとしたら、わざわざ「親友です」
なんて、確認事項もいらないわけだ
言わずともわかる、以心伝心みたいな
関係…けれど、最初の一歩はやはり
「友達」なんだよね…
やっぱりこれも見えない赤い糸なのかな…
フリをしてると終わってしまうものって、なーんだ。
それは英語の授業中だった。関係代名詞を選別する単調な問題をこなしていると、隣から一枚の付箋紙が視界に侵入してきた。ちらと視線を送ると、逢坂さんは真剣に問題に取り組むポーズを取っていた。あまりこういうことをするタイプだとは思っていなかったので、少し驚いた。
付箋紙を教師の目から届かないところに貼り直して、問題を考えてみる。
フリをするでまず連想したのは、出題者の彼女だった。今まさに問題を解くフリをしている。それで何かが終わるわけではないだろうから、関係はないだろうけれど。次に出てきたのは、ラブコメによくある恋人のフリをする展開だった。これについては、ここから恋がむしろ始まるのだし、そもそも関連性は低いだろう。
気がつくと関係代名詞のプリントは半分くらい終了している。
あまり良いひらめきを得られずにいると、見かねたのか隣から追加の付箋紙が来た。答えは出た? と可愛らしいうさぎ付きで書かれている。余白部分に、もう少し待って。とシャーペンで書いてから隣へ返す。自分の字と比べると、逢坂さんのそれは丸くて柔らかい印象を受けた。
プリントと同時進行ではどっちつかずでむず痒かったので、先にプリントを終わらせることにした。先行詞が人以外のときはほとんどの場合whichを使用するので有難い。問題は先行詞が人の場合だ。whoかthatを使うわけだけれど、どちらを使えばいいのかいまいちはっきりしない。
そこまで考えたところで、先行詞を見てひらめいた。一度意識を切るとやってくるのが、ひらめきの何ともツンデレなところだ。
プリントの下に隠していた付箋紙の余白に、友達。と書き足してから隣へとそれとなく渡した。キャップ付きのペン特有の間抜けな音が隣から鳴って、耳に引っかかる摩擦音が続けてした。返却(あるいは贈与)された付箋紙には、goodとエクスクラメーション三つが書かれていて、大きな丸がつけられていた。
一仕事終わった気分で一つ息をつくと、机の方にまた付箋紙が貼られた。
次はそっちの番ね。楽しみにしてる。
新たに追加された付箋紙には、丸くて柔らかい字でそう書かれていた。実はもう考えついていた。ひらめきはツンデレなのだ。
息を吹くと膨らむ英単語って、なーんだ。
問題を書いてから、彼女の机に貼り直す。思っていたより早かったのだろう、この授業中で初めて目が合った。考えてみれば彼女が何者なのかよく知らないんだなと、その瞳を見たとき、ふと思った。
本当の友達って
居ないと思っている
どうしても自分から
距離をとってしまう
馴染めない
そんな私に
めげないで
くっついて居てくれる
友達が
出来た
猫さんだった
独りぼっち同士で
くっついて
ご飯を分け合い
遊び合った
そんな猫さんが
先日から
姿を見せてくれなくなった
哀しかった
でも
どこかで
元気で居てくれる
そう信じている
#11 友達
小さな恋を安易に打ち明けてしまえば、多分、崩れてしまうから、今はなまだ恋を下敷きにして、あなたに会う。恋人になれないのなら、せめて友達として一番近くにいたいから。
きっと、そうしているうちに、この恋はなくなってしまうから、もう少し友達のまま片思いをさせて。
私とあなたはただの友達。
それ以上でもそれ以下でもなく。
友達
友達なんていらない…。と思った事があるだろうか。
私は…ある。
人付き合いは得意な方だと思って生きてきた。そんな私が、人間関係リセット症候群かと悩むほど、人と関わりたく無くなった。
ただ、ただ疲れてしまった。
理由は沢山あるが、秘めておきたい。
だから、今は付き合いがある人が片手に満たない程だ。
でも居心地は良くなった。
自分を分かって貰いたいなんて、傲慢なのかもしれない。
だから、もう分かって貰わなくていい。
丁度良い距離で、付き合っていける友達が1番楽だ。
小学生の頃から知っていて、中学高校まで一緒だった女友達を大切に思っている。
もう少し歳を重ねたら、又友達が増えるだろうか。
未来に期待もしつつ、今の友達で充分だと思える私がいる。
究極、一人でも生きていけるように準備を整えている。
これも一つの終活なのかも…。
少し気が早いかな…?と晩秋に想う。
友の知る僕は僕ではない友は
承知で友でいてくれるのか
同級生らのグループLINEは未読のまま
懐旧トークにいだく違和感
#友達
久しぶりに思い出して戻ってきちゃった
このアプリを知って2年が経ってた
たった2年だけどいっぱい色んなことがあったよ
友達が出来たり、学校に少しづつだけど通えるようになったり、病気が良くなってきたり、いっぱいいい事あった
2年前は家にひきこもって死ぬ事ばかり考えて、これからどう生きるかなんて考えてなかった。どうせ中学卒業までには死ぬんだから考える必要なんて無いと思ってた
でも今は色んな人が支えてくれてる。もう独りじゃない。
まだまだ生きるのやだし不安なことはクソほどあるけど励まし合ったり、慰め合ったりしてなんとか今日を生き抜いていこうって思いました
幸せにはなれなくとも
前見て生きれるぐらいにはなってやりますよ!!!
『ヒペリカム』
先日、幼ななじみが亡くなったんです。
たった、15歳で亡くなったんです。
私、泣いたんです。
一日だけ。
他の友達も泣いたんです。
1週間も。
少し、疑問を抱いたんです。
私は幼なじみで深い仲なのに何故他の友達よりも私の方が泣いていないんだろうって。
私、薄情者なのでしょうか。
いやでもきっと、これは薄情ではないはずです。
それにあの子も望んでいないはずです。あの子に執着して引きずり続ける私を見たくはないと思うんです。
行かないでなんて言えません。
行かないでなんて自己中です。
だから、笑ってありがとうって言うんです。
ただただ、大粒の涙がこぼれないように、あの子のいる空を向きながら。
悲しみは、続きませんから。
一度悲しみは断ち切らないと。
だから、薄情者と言われても。
私はあなたを想って泣くことはもうしません。
幼なじみ、ですから。
ともだち、ですから。
貴方の知り合いでありますから。
来世ではまた顔見知りとして0.1から始めましょう。
※このお話は現在の人物とは関係ありません。
だって、もうあの子は他の子ですもの。
本音言えたのであればせめてまたねと言いたかった。
せめて話をしたかった。
せめて愛してると伝えたかった。
助けてあげたかった。
行かないでなんて言えるわけがない。
苦しそうなあの子の眼差しを見て、行かないでなんて。
そんな、残忍なこと。
あの子の幸福をただただ願いたい。
あの子の幸福をただ、ただ。
諸事情でお花も供えられないのでせめてこの話の題名としてあの子を追悼します。
ヒペリカム
悲しみは続かない。
続かせませんよ。私が生きているかぎり。
大好きな親友。
お互い誕生日でもないのにプレゼント。
特に親友から私宛のプレゼントが多いけど
それは親友の感謝の気持ちだったり、愛情、気遣い。
いつも私が1人抱え込んでピリピリしてて我慢、頑張りすぎてるからの少しは手を抜くなり甘えるなりしなよ。
その言葉が何よりも嬉しくて:;(∩´﹏`∩);:
でも少し心が疲れてたんだ。親友がいなかったら
私もっと心疲れてお父さんと同じことしてたよ。
ありがとう。
私も親友が大好きだから笑顔が見たいからプレゼントを贈る(*´꒳`*)゚*.・♡
けどなんで私の男は私がいつもプレゼントするばかりで
私いつもプレゼントがないだろうか私はATMか?
もう男なんて……
特に君はクリスマス、来年誕生日プレゼントなしでもいいか?と考える。
愛の言葉よりも大事なもの。愛情表現の贈りも
君はいつ気づくかな?
友達
大学に入って私は初めて友達ができた。
高校まではそれなりに連む同級生はいたが、友達かと言われると微妙だった。
友達の基準はなんだかわからないし、
明文化しているわけではない。
だが、大学に入ってから確実に私は友達ができたという感覚があった。
こう言うのは個人の感覚に任されるものだが、
安心感が違う、というのが一番大きい。
それはその友人自身の器量の大きさもあるが、
それとはまた別に、忙しくて特に連絡しないときであってもひとつの連絡で直ぐに元の関係に戻り、私がおかしなことを言ってもそれを話せる。また、私も、友人がしばらく連絡がなくともいつでもそのタイミングを待てるし、どんな話でも受け入れられる確信がある。
この謎の確信と自信はほぼフィーリングのようなものではないかと思う。実際私と友人は、マンモス大学で苗字が隣で意気投合、その後も健康診断で後ろに並び偶然出会ったと思えば同じ語学クラスという奇跡の連続だった。なんとなく放課後浅草行く?と声をかけてみたら、あまりにも生い立ちが似ていて生き別れの姉妹?と疑うほどだった。
話が戻るが、この安心感は、誰でも出せるものではない。友人に限らず、人間関係を築く一つの要素としてかなり重要だと認識させられた。
昨今では、幼馴染効果が凄まじく、
生まれた地域や共に育った人間との関わりが最重要かのように語られる節があるが、私は真っ向から否定派である。
正直、地元なるものは親が決めた地域でしかない。それよりも、自我を持ち、自分が考えて決めた場所で、出会い、価値観を共有した相手の方がよっぽど深い関係になる。友達の価値基準を年月に置くのは、もっと人生の後半でもよいのではと予測している。
まぁ、たまたま私の人生はそう感じただけで、
幼馴染に奇跡的な出会いをした人もいるかもしれないけど。
この「友達」ひとつとってもさまざまな価値観と論争があり、中でもステレオタイプのようなものは影響力が強く頭を抱える。何事においても、自分はどうであるかが大切なのだと気付かされる。
友達
痛み止めだけど持つべきものは!
って言われないくらい自立していて
私が知らない私のことを知っていて
待ち合わせは遅れない
返信は怖いほど遅いけど
何回も数をこなす人
天才というよりもできない痛みまで理解した秀才みたいなもの
何もないところでコケてはいたけど
酷いことされても取り乱す価値もないというように冷めた目でみてた
正しいことをする間は私もヒーローを敵に回す自信がある
友達とは
長い間築き上げてきても秒で崩れるとても脆いものである。
友だち
出会ってから、何年が経っただろう
お互い歳を重ねて
会う機会も随分と減った
似ていた考えも変わってきて
それぞれの道を進んでる
それでも、会えば時間は巻き戻る
あのときはあんなことがあったっけ
なんて鮮明に思い出したり
みんな、自分の道を進んでいく
胸に秘めることも増えたかも知れない
生きていくのは、楽じゃないね
たとえそうでも
苦しいときは、言って欲しい
辛いことは分かち合おう
楽しいときは、気にせずに
満足いくまで味わって
偶然の出会いは、奇跡のようで
続いてきたのは必然で
助けが必要なら、言ってくれ
約束はしてないけれど
そうしてここまで、やってきたろう?