『友達』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
昔から人見知りだった。
人と仲良くする方法がわからなくて、一人でいることが多かった。
ようやく仲良くなれたと思った友達も、気付けば傍からいなくなっていた。
そんな頃、新しく友達ができた。
まるで昔からずっと一緒にいるような、そんな気持ちにさせてくれる、とても大切な友達。
でも私はその友達をいつしか忘れてしまった。不思議なことに、まるで最初からいなかったかのように。
それでも、それから友達は定期的にできていた。だからきっと私はその友達を忘れてしまった。もう必要なくなったから。
そして、それを繰り返すうちに、知った。
あれは全て、私の想像の中にしか存在しないものだったと。
あまりに寂しかった私が生み出した、私だけの友達だった。
定期的に生まれては消えていった私の友達。それが全て必要な時に創り出した本当は存在しないものだったなんて。
信じられなかった。信じたくなかった。
たしかにそこにいたはずだったのに。存在を感じていたのに。
まるで本当に夢かのように消えてしまった。
あれから苦しい日々が続いた。
いろいろな出来事があって、受け入れられないことも多かったけれど。
友達と決別することになったあの日、私は前を向くと決めたから。
もういいの。
それに、もうこれからは本当に一人じゃない。
隣に立つあなたに微笑みかける。
あなたも同じように微笑み返してくれる。
昔、本当に友達だったあなた。そして、それからは想像の中で友達でいてくれたあなた。
あなたに再会できて、これで本当に前を向いて生きていける。
――もう、友達の関係じゃないけれどね。
『友達』
自分のこともよくわからないころ
”友達”に羨望と恐怖を抱いた
自分のことが少しわかり始めると
”友達”に幻滅したり落胆したりした
自分のことを認知していくと
”友達”の存在がありがたかった
みんな違ってみんないい
気づいたら”友達”がたくさんいる
テーマ「友達」
私は中学生まで友達がいなかった。高校生になって…ちゃんと言えば高校2年生になってはじめて友達ができた。部活にも入ったこともあり一日中誰とも話さずに帰るなんて日は無くなった。むしろ1日に少なくとも5人とは話してると思う。
だからこそ今、私には大きな悩みがある。会話のしかたが分からないということだ。高校2年生にもなって恥ずかしいことではあるが、今年はじめて家族以外の人とまともに会話をするようになった、会話1年生なのだ。
人と話をするたびに「これで良かったのかな…相手を傷つけてないよね…?他の言い方とかなかったのかな…」と必要以上に悩み、どっと疲れてしまう。しかも1人大反省会を開催しても次誰かと話す時は綺麗さっぱり忘れてしまうから会話しては反省の無限ループをしている。
いつ友達や部活の仲間、先生などと周りの子と同じように話せるんだろう…
いや、話せるようになるまで私は努力しようと思う。
子供の頃はいつも一緒にいる事が親友の基準だったけど
最近は程よい距離感でいられる友達と長く続いてる
一緒に出かけたり、遊んだりは少ないけど
お互いの近況やグチを電話で言い、たまに直接会うとなんだか照れくさい
それと、趣味の習い事の友達。仕事も住む所も年齢も
違うけど、程よい距離感で心地良い
老人になったらまた友達の価値観は変わるのだろうか
それもまた人生の楽しみだ
【友達】
寂れた神社の石段に、君と二人並んで腰掛ける。はらはらと舞い落ちる雪の白さがやけに目についた。
この社はもうすぐ取り壊されるらしい。山を削り再開発をするのだと、町内会の回覧板で回ってきた。
「ねえ、ここがなくなったら君はどうなるの?」
私の問いかけに、君は曖昧に微笑んだ。冬の寒さを感じさせない薄手の着物。周囲の景色に溶けてしまいそうに白い肌に血の気はない。遠い昔には神様と崇められたはずのひとは、信仰を失った今の自分自身のことを『ただのバケモノだよ』と自嘲した。
「さあ、どうなるんだろうね」
心臓がキュッと収縮するような心地がした。もし。もしももう二度と、君に会えなくなるとしたら。幼い頃に社に迷い込んだ私を導き、それ以降ずっと見守り続けてくれた君が、消えてしまうのだとしたら。……そんな結末、私は絶対に認めない。
「うちの庭にお社を作るよ。御神体とかあるんでしょ? それを移して、君もうちに来れば良いじゃん」
親の許可はもう取った。材料も揃えてある。必死に言い募れば、君は驚いたように目を瞬かせた。
「……できなくはない、と思うけど。どうしてそこまで親身になってくれるの?」
不思議そうに尋ねる君の手を取った。寒さに負けて冷え切った私の手よりもさらに温度のない、君の手のひら。氷でも触っているかのように私の手がかじかんでいく。それでもこの手を、離すつもりはなかった。
家族にも学校にも上手く馴染めなかった私のそばにいてくれたひと。君を失うことなんて、考えられない。
「当たり前でしょ? 君は私の、たった一人の友達なんだから」
降り積もる雪が全ての音を呑み込んでいく、二人きりの世界。祈るように君の手を包み込んで、なるべく優しく微笑んだ。
友達
好きなところも嫌いなところも
全部含めて一緒にいたいと思えたら
それは親友だね。
全員が着席した
いつもとは違って、静まり返った教室
前に立つ先生
「うるさすぎるんだよ。もう3年なんだから全校の見本になるように動けよ」
説教
いつも思う
なんで俺も怒られてるんだって
集団だからって、仲間だからって、友達だからって
注意しないのが悪いって?
綺麗事にしか聞こえない
集団だからって、やってもいないことを指摘される。
仲間って。
馬鹿にされた思い出しかないけど。
「友達だろ?」って言葉に
どれだけ騙されたと思って。
注意なんてしようと思わない
非常識なまま生きていくんだなって哀れんでた
「ばかにされて散々傷つけられたとしても、いくら嫌いでも仲間なんだよ」
「3年感おなじ教室で生活してきたのは事実だろ。1回でもクラスメイトの発言とか行動で笑ったこと、あるでしょ?」
「感謝すればいいんだよ。たくさんの経験をありがとうって。お前は人がされて傷つくことが分かる。良かったな、めちゃくちゃ充実してるじゃん」
そう、笑いながら言ってた兄の言葉を思い出した。
そんな考え方は出来なかった。
感謝なんて感情、頭の片隅にも無かった。
でも、別の視点で考えてみようかなって
少し気持ちが楽になった。
「 コウノトリ。 」
【※批判的、妊娠中絶、堕胎等の内容がふくまれます。嫌な方は戻るかスキップして次の話を読んでください。】
私は考え無しのバカは嫌いだ。
後先も読めぬバカは嫌いだ。
アニメ・マンガなどフィクションだけにしてくれ。
無知が罪とは言わん。
だが、知ることができたはずなのにあぐらをかいて知ることを疎かにしないでくれ。
欲に駆られ流され、快楽に溺れ、行き着いた先、悲劇に堕ちてくのだ。
ピロロロロ...
...あぁ。
ピロロロロ...
.....あぁ、またか。
ピロロロロ...
また、命をすくことになるのか。
ピロ...
はい、もしもし__
そこは、裏路地にある小さな事務所。
手垢で汚れ使い古されているであろう固定電話機に一本の電話がなった。
はい、わかりました。はい、今日の午後四時、十六時ですね__
早速準備に取り掛かろう。
本来なら予約してから来てほしいが、早急にお願いされる事はたまにある。
ときにキミは堕胎という言葉を耳にしたことはあるだろうか。
似たようなものとして妊娠中絶があるが、その違いは期間と合法か違法かだ。
近年、母体保護法(旧:優生保護法)で合法化されているのが中絶。
日本では、公式の統計数だけでも年間三○万件ほどの中絶が実施されている。
中絶できるのは妊娠二二週未満とされているのだが、これを過ぎてもなお中絶をしたいという人達が居て、ヤミの世界で違法に堕胎をしている。
全くもって世話のない話だ。
母体保護法では、「経済的理由」による中絶も合法化してしまっているので、この条項の拡大解釈によって、バンバン中絶が実施されているのが現状だ。
望んでも子が出来ない方々からすれば、ツライ現実かも知れない。
もともと、母体保護法の前身である「優生保護法」は、「優生学」に根ざした法律だ。
優生学というのは....
「不良な遺伝子を持つ者を排除し、優良な国民のみを残して繁栄させる」
という思想に基づく学問で、要するに、不良な遺伝子を持つ者は子供を産んではいけない、不良な遺伝子を引き継いだ胎児はこの世に生まれ出てはいけない、という差別思想だ。
胎児は、立派な生命体の形をしている。妊娠が進めば、人間の形にどんどん近づいてくる。胎児に意思能力はないかも知れないが、ある段階以降は、感情らしきものも十分芽生えているはずだ...。
堕胎は極端に言ってしまえば "殺人" だ。
私は今日も金を貰い "殺人" をする。
やり方は中絶となんら変わりはない。
だが、前記のとおり感情がある生物を "殺す" のだ。
とはいえ来る人たちの大多数は考え抜いた末に最終的に自分の意志。
降ろしてほしくて来るのだ。
殺人という物騒な言刃は胎児も私自身も傷つく。
なので、私は考えを変えることにした。
"救い"。
そう、救ってる。
様々な理由で来る悩める子達の為に不運にも不遇な環境に生まれてこなくてはならない子達の為に救っているのだ。
私は今日も金を貰い不遇なる人たちを救う。
金が無いから産まないのに、どこから堕胎する金を捻出してるのだか。
大半は未成年の場合が多い。
そういったものたちはわかるが、三十路を過ぎている者たちもいるのだ。
いい大人して何やってるんだか、同じ大人として恥ずかしい。
今回来る患者は二三歳の大学生だそうだ。
大学に通える頭はあるのに性の知識は動物並みとは恐れ入った。
大学はときたま人を堕落させるとは聞くが...親が可愛そうだよ。
運が悪かったか退化したか...
日本の性教育を見直してほしいものだ。
私みいな人がいない世の中になるのが理想的だが....
愚痴はしてもし足りない。
そして、今日は騒がしい野鳥が見当たらない。
そう思いながら屋上の喫煙所でいつものようにココアシガレットをかじる。
残りカスのせいで砂糖の味がしないな。
ヤニは嫌いだが匂いは落ち着く.....
__施術は問題なく終わった。
黄昏時の喫煙所。
今日はやけに静かだな....
そう思い手すりに手を掛けて見渡す。
__気づけば、口の無い無数の子供が私を見ていた。
背中を押され屋上から堕ちた私は掻き出され赤子のようだった。
あぁ__。
野鳥はここに居たのか。
友達╱10月25日 水曜日
"友達だから"
浮気してる人がよく言う言い訳らしい。
私は今日、とんでもない罪を犯した。
好きな人がいるのに、他の男子と2時間半も電話してしまった。
内容は、相手が某ボカロゲームを入れたから教えてほしい、との事だった。
ゲームして、他愛のない会話を交わす。
結構楽しかった。
相手も他に好きな人がいるし、私もその人を好きじゃないから、本当に男女の友情というものだ。
でも、もし私が同じ立場だったら、と考えると本当に信じられないと思う。嫌だ。
ほんとごめんね。
『アメリカの友人』
記憶は霞む サーモン凍る冷凍庫 連絡なんて暫く取っていない 手紙を書こうか アメリカの友人 元気ですか?なんて 常套句で 窓の外 鳩が唄う ちっとも平和の歌に聴こえない ただなんとなく君がギターをつま弾き唄っていたのを思い出した
友達
大好きな彼と四年前に結婚した。結婚して二年ぐらいは、楽しく充実した毎日だった。同じ歳だった私たちは、三十歳も近くなると、仕事も任される事が多くなり、一緒の時間も少なくなってきた。疲労と忙しさでお互いを責めるようになった。そして、とうとう離婚することになった。
彼から
「これからは友達でいよう」
と、言われた。
友達なんかでいられるんだろうか?あんなに愛し合った二人なのに。これからまた、好きな人ができて結婚するかもしれない。友達として祝福できるだろうか?
友達、、、。
まだほんの少しだけ貴方を好きな私には辛い事だ。
きっとスマホからは貴方の名前は削除する。
さよなら、、、。
「友達」
どんなに仲が良い友達でも、生活環境が変わると疎遠になってしまうことが多い。
進学や就職による引っ越しで物理的に離れてしまう場合や、立場や収入が変化し価値観が合わなくなっていく場合がある。
しかしながら、本当に仲のいい友達は、そうした変化があっても関係が続いていく。
数年ぶりに再会したとしても、まるで昨日も会っていたかのように話が弾むものだ。
私にも、数人そういった友達がいる。
頻繁に遊んでいたのは20歳前後で、現在は職業も住まいもバラバラだがたまに連絡を取ったり、飲みに行ったりしている。
何年たっても、当時と同じテンションで、同じような話題で盛り上がることができる。
これから新たに出会う人々とも、このような親密な関係が築けるのだろうか。
おはよう、ご機嫌いかが?
窓辺に座って、目の前の君に一声かけた。
灰色の長い毛をした少し透けてる君が真ん丸な目を僕に向けている。
返事はない。
いつも無言で僕を眺めている君、君の声を聞きいてみたいな。
ねえ、一緒に遊ぼうよ。
チュン、と合わせた鼻先は飛び上がるほど冷たかった。
テーマ「友達」
主婦、フリーター、
校長、看護師、バイク屋……
みんな私の友達にいる
書くことで、友達を思い浮かべ
“ほっ”とした時間となった
みんな何してるのかな?
今度、いつ会えるのかな?
まー
あんなに覚悟をしていたのに、いざ脚を水面にひたしてみると、またきみを反芻してしまっている。波からただよう潮の匂い、ぼろのヨットでからだをからだにもたせかけて眠るときのきみの息の音。あの夏、ふたりは入道雲を掻き、その先の海をふたつに裂いた。
からだじゅうにぱんぱんに潮の匂いが満ち、その隙間に、きみのうなじの上品なコロンの匂いを反芻する。きみに、すべてに、ふれられる想像をする。ぼろのヨットに乗りこむ。これからの夏にきみはいない。
友達は一緒にいて素を出せるしいろんなことをして楽しく遊べる。
たまに喧嘩して嫌な時もあるけどでも、やっぱり友達で居たいと思う。
友達はほんとに私に取って大切な存在だ。
働かないふたりが楽しそうでいいな
映画合宿とかやってみたい
今までの友達を思い出してみよう
どこで出会って、どんな思い出があったか、何が好きだったか、いいとこ、悪いとこ
大人になると友達が増えることはなかなかないから職場の仲間達でもok
友達
私の友達は人に執着しない。いつかぷつっと縁が切れて疎遠になるかもしれない。それは悲しいけど、近すぎない今の距離感が心地よくもある。
『友達』
今日も今日とて街を行き交う人々を見ている。
自宅警備員とかではない。違う、断じて違う。だからそんな目で見ないでおくれ!
言うならば、そう。市街一帯警備員といった感じだろうか。
そしてそれが、僕の仕事でもあり趣味でもある。
そうして視線を動かした先には、可愛らしい男女が手を繋ぎ幸せそうに駆けている。
――あれは恋人、かな。
にんまり笑顔で見送れば、二人に幸あれと小さく手を振った。
次いで目に止まるのは、明るく輝く子供の顔。
追い掛ける二人も、楽しそうに頬を綻ばせている。
――あれは家族、だね。
人々の幸せそうな光景を見て、眩いような心地になる。
そこに行ってみたくなるような、手を延ばすのは怖いような。そんな躊躇いを含んだ、眩しい感覚に。
先程と同じように見送れば、最後に子供はこちらへと振り返った。
気づいたのだろうか?
僕はにんまりと笑って手を振り返す。幼い子どもは、こちらの気配に敏いのだ。
活気ある人々は、それぞれの思いを胸に通りを駆け抜けていく。
きっと皆、それぞれ予定があるのだろう。
何より今日は、俗にいう祭日というものだ。
さらに視線を落とす。
――彼らは、友人かな。
目に止まったのは、楽しそうに談笑して歩く二人組。
互いに気を許し合っているのか、その間には気安さが見受けられる。
時にふざけ、軽口を言い合い。肩を組んで屈託無い笑顔を見せ合うさまは、心から信じあっている親友のようで。
……友、か。
じぃと見つめていると、脳裏に同族とも呼べる男の顔が浮かぶ。
スラリとした長身に、空色をなびかせる髪。意志の宿った銀色の瞳。
彼のことを友と呼んでいいのかは分からない。同族の中でも色々と規格外で、恐れ多いという感覚もあるのだ。
けれども、そう呼べたら良いなとも思う。
ふざけた所なんて見たことの無かった彼が、最近は柔らかくなった。
それが話し相手として気を許してくれたおかげなのか、はたまた彼の住む場所にあったという小さな変化のせいなのか。
それは定かではないが、いつか彼とも、この往来を行く人々のように屈託無く笑いあえたら良いと。柄にもなく願ってしまうのだ。
ふいに先程の二人組の声が聞こえた。
何故か彼らは徒党を組み、口々に「モモンガ!」「目指せモモンガ!!」と盛り上がっている。
その摩訶不思議な光景に苦笑いを含ませたが、やがて走り出した二人は通りの先へ見えなくなってしまった。
そうして道行く往来の人々を見ていて思う。
次に彼が来たときには、手始めに『友達』として名を呼んでみようかな、と。
友達について。
友人は少なくないと思う。かと言って、多くもない。
多い少ないの線引きをどうするか考えてみたら、50人以上は多いのではないかと思う。そして、友達の定義とは何か。これも千差万別。私は、気を使わずにイベントに誘えたり出来るのは友達かと思っている。
例えば、職場の方々とは仲良い方であるが、「あのイベント好きかな」「この日に誘って迷惑じゃないかな」などと当たり前に考える。勿論、友人でも考えるが、まず誘ってみようかな……と思うスタートの違いはあると思う。
思えば、友人に助けられている人生である。友人に恵まれている。彩りを与えてくれていると思う。
料理が好きなので、食べてくれるのも嬉しい。ボードゲームが好きなので、一緒にしてくれるのも楽しい。歌うこと、演奏すること、バドミントンをする、映画の感想を言い合う……私にとって友人とは好きを共有できる人なのかもしれない。
なぜ一緒に過ごすのか、負担にならないのか。そう考えたとき、それよりも会話をする楽しみはかけがえのないものである。一人では出来ないことで、私には無い価値観や情報を与えてくれる時間でもある。
友人とは、物々交換のギブアンドテイクではなく、目に見えないもののギブアンドテイクで成り立っている。私自身はそういう解釈をするのが、自然だと。思慮を深めて、思い至った。