『友情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「昨日ね、友達が私が行けなかった時の
ランチ会の写真、
送ってきたんだよね。
あっちは、子供いたり、キラキラしてたり。
人生のフェーズが違うというか…
萎えて、距離置いちゃったよ〜。」
と、同僚がお昼の休憩室で言う。
人それぞれだなと思った。
私も先日同じようなことがあった。
私の場合、彼女の言うフェーズが違っても、
わざわざ連絡してくる友達が可愛らしく思えた。
単純に生活を自慢したい子達ではない。
家庭のことで泣いたり叫んだり、
時に離婚する!とあたしの家に駆け込んできたり。
かと思えば、そんな写真を送ってきたり。
喜怒哀楽、こんな年になっても、
母になっても、なってなくても、
馬鹿みたいに遊び回っていたあの日のように
いろんな感情を、共有している。
いろいろあっての、さらに奥なる
感情の共有だ(笑)
そんな友人が2人もいることだけで
私はきっと救われているだろうし、
救っているのだろう。
「 友情 」
友情
(本稿を下書きとして保管)
2024.7.24 藍
友情
友情は みんなが思っているよりも とても 小さく 壊れやすい
ただの 1本の糸だった
私には 大切な 友人が居た どんなときも一緒に 過ごしていて 仲がとても良かった
けれど その大切な友人は 私を嫌うようになった
誰もがみんな 私を無視するようになった これが いじめ という ものなんだろう
私の大切だった 友人 は どこ行ったのだろうか
友情というのは こういうことなのだろうか
友情は 1本の細く、切れやすい 糸で出来ている
きっと 私が生きた 人生は 私が主人公なのではなく 、 私はそこら辺の石ころ役 脇役にしかならない
友情は 求めるのではなく作るしかないのだろうか 。
友情とは なんなんだろうか 。
土俵に上がる。
ようやく、この場所に辿り着いた。
目の前には、鍛え抜かれた体に廻し1つを身につけた親友が――好敵手が立っている。
ここからは、俺の全てをアイツにぶつける。
余計なものを全て削ぎ落せ。
奴に対する熱を高めろ。
より冷徹に。そして、より熱血に。
己を練り上げろ。
さぁ、始めよう。
お前を喰らうのは――俺だ。
理想の友情は支え合い、受け止め合い、思いあって楽しくて。そんな宝箱に子供の純粋な夢をあるだけ詰めたようなものでした。
実際は嫉妬とマウントと意地のぶつかり合い、嘘と嘘の会話。2面どころか何面もある歪でどす黒い、汚い思考が交錯したものでした。
そんなギャップに苦しんでいる時、目に映る他の友情がとても眩しくて、体の内側から焼かれている感覚になりました。
羨ましくて羨ましくていっそ全部の友情がぐちゃぐちゃになってしまえばいいのにと思い、
それと同時に私はあれを手に入れることはできないと理解しました。
友情は私に不可能を与えてくれました。
『友情』
友情ってなんだろね。
昔は本当に困った時に助けてくれる人って思ってた。
そうじゃない人は薄情な人だって。
でも最近はそうじゃない気がしてる。
こんな地獄みたいな世の中でみんな何かしら踏ん張って生きてるのに、他人に全力で寄りかかられて平気な人なんていない。
だから助けてくれなくても、頻繁に会えなくても、関係が切れずにそばにいてくれることが友情なのかなあ。
僕が嬉しい時も
苦しい時も
どんなときでも
傍にいてくれる君
友情なんてほぼ薄っぺらいもの。
利害や目的が一致すれば大抵続く。
そうではない関係は真の友と言える。
どこまでが友情で、どこからが恋情かなんて、自分には分からない。
けれど、自分が唯一の親友に向けているのが友情では片付けられない感情だということは、嫌でも解る。
【友情】
友達以上でもない僕は
どうやって君に話しかけたらいんですか_
【友情】
友情
友情って何?
最近分からない。
今見ているドラマでノートテイクが必要な男子学生が腹ペコな男子学生と出会って関係を深めていくというストーリーがある。
友情物語だと思っていたのに、突然次回予告でキスをしていた。
恋愛と友情の違いってなんだろう…
テーマ:友情
いつも通りの楽しい日常を過ごして部屋に帰れば、すぐにベッドに横になる。
楽しかったはずなのに、出てくるのは溜め息ばかり。
昔から一緒にいるのが当たり前で、楽しい事や辛い事も一緒に乗り越えてきた1番の友達だ。
一緒にいればなんだって楽しいし、嬉しいし、最高に幸せな気分になれる。
でも、1人になると途端に泣きたくなるのは何故なのか。
最初は『友達』という関係になり嬉しかった。
その後『友達』という関係が当たり前になった。
現在は『友達』という関係は呪いのようだ。
でも、この関係に戻れなくなるくらいなら今のままで…と思うのは自分の気持ちが弱いから?
そんな弱虫で情けない自分は繰り返す。
いつも通りの日常を。
嘘つきの自分は繰り返し呟く。
「鈍感ヤロー…」
"友情"
『だって私たち、友達じゃん!』
中学で初めて、親友と呼べるような友達ができた。
その子の口癖がそれだった。
どんな時でも、その子との友情って何よりも優先しないといけない。
そう思っていたのは私だけだった。
私が、両親に頼んで買ってもらった洋服も、
新作のコスメも、限定のキーホルダーも、
その子は、私が持っているものを全て欲しがった。
『だって私たち友達じゃん?』
全部その言葉で奪われていった。
そして、ある時、あいつは私の彼氏を欲しがった。
『ねー、いいじゃん?彼かっこいいもん。
欲しいなぁ〜、ねぇ?友達じゃん?』
そして奪われた。
私の中で何かが壊れた。
あー、もういーや、あんたの家族、友達、生活、
ぜーんぶ奪ってやる。
だって私たち、友達じゃん?
【友情】
もう、このまま動きたくなかった。
泣くことも叫ぶことも、自分で終わりにすることも、出来ないまま、ただうずくまる。
全てが恨めしかった。
蒸し暑い。窓の外はあまりに強い光が満ちていて、でも部屋の中は薄暗い。布団に横たわって、携帯で時間を見る。辛うじてまだ午前、しかし朝というには遅すぎる。空腹を感じたので、部屋を出よう。家人が多分何か、食べるものは残してくれているだろう。そう思って、上半身を起こす。と、手にした携帯が鳴った。受信。
「俺俺!暇?」
聞こえてきたのは、長年の知人の、やや大きい声。
「詐欺か」
「やだなー分かってるでしょ。飯行こーぜ」
毎度のごとく、遠慮がない。
(でも)
「今起きたから、家出るの時間かかる」
言うと、
「待つし」
見えないけど、笑顔だろうと思える声。
(その声が)
(助かる)
「着替える」
「せくしーなの頼むわ」
ふざけた声の後に切れた通信画面を見て、携帯を置いて、カーテンを開ける。強い光、でも耐えられる光。
(もう少し、耐えてみるか)
思えたのは間違いなく、さっきの声。
立ち上がり、タンスに向かう。少しでもせくしーな服を選ぶために。
【友情】
友達と簡単に言い合うけども、結構友達の基準は難しい。何回か話せば友達という人もいるし、何度も何度も話して、やっと気が合うなと思った人が友達という人もいる。
友達の基準が明確にあったらいいのに。
そうすれば、傷つくことが少なくなる。
時に味方で時に敵
常に公平であり対等の位置に立つ
老若男女問わずに交流する
呼吸か価値観か別の何かか
一つが合えばそれでいい
血の繋がりも育んだ愛情も一切ない
だけど相手を思う気持ちは人一倍
そんな心強い赤の他人と結びつく唯一無二の感情
『友情』
机の奥に手紙があった。それも何枚も。拙い文字で長々と文章が書かれている。だが、全て決まって最後には「ずっと親友です」と、強い筆圧で強調するように書かれてあった。その頃の私はどう返事を返したのだろうか。親友であることを疑わず「私も親友だとおもってる」なんて返していたのだろうか。何年も顔は見てないし、なんなら連絡手段もない。私の事なんて忘れてしまっているだろう。だけど、あのころの友情は本物だと信じていてもいいだろうか。
君が居るから僕は頑張れる。
まだまだやれる、走れるよ。
ちょっと身体が痛い時もあるけど、大丈夫。
君が優しく僕を撫でてくれれば。
すぐに痛くなくなるんだ。
だから、ずっと僕のそばに居てよ。
ぼくをおいていかないで。
テーマ「友情」
『友情』
友情ってなんだろう?
友達がいなかった訳では無いが、現実で感じた事はない。
極々平凡な人生だからなのか。鈍感なのか?
作り話では、美談として出てくるが。
改めて、友情について考えると無かったなと思う。
ただその時に、地位や年齢などを考えずただ同じ対等な人として、自分にとっても友人にとっても、良いと思う事をお互いにしてきただけだから。
それが、敏感な人や第三者から見ると友情なのかな?
弘人です。どうも 久しぶりに書くことにする。
ここんところ 広樹は あるアプリに
ハマっているらしく、ここに書くのが
少なくなったようだ。
俺も そのアプリに たまに投稿している。
最近の 近況を報告しようと思う。
実は 統合されたと思っていた
4人の人格が 久々に 起きてしまった…。
何年も 気配を感じなかったから
俺は 統合されたと 勘違いしてしまった…。
これで 人格は 全部で11人である。
やっぱり 生まれた人格は
相当 統合は 難しいようだ…。