『友情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
重なる事はなく、交わる事などない。
どこまでも平行線で、
そのままどこまでも延びている。
たまたま、近付いただけの隣人。
その間にだけあるもの。
触れてはいけない何かから目を逸らして、
仮にそれを"友情"と呼んでみる。
友情
友情とは何か、定義がわからない
友の情、私は感じたことがない
とにかく、曖昧なんだ
誰か教えてほしい
誰かの言葉
「友情は、愛からできる。
愛も友情から。
君にもいつか、理解できる日が来るよ」
あの言葉の意味、いつか理解ができる日が来るのだろうか。
僕は知りたい。
友情とは何か。
「君はもう、とっくの昔に知ってるよ。あとは、君が目を開けて言葉を聞くだけ。それだけでわかるものなんだ。
向き合いなさい。」
僕は知っていた、誰かが教えてくれた。
僕の愛、僕と君の友情
始まりは桜の舞う暖かい春の出来事
友情パターン1
私たち友達だよね。うんそうだよね、ズッ友だよ。
友情パターン2
友達だよね。まぁそうだよね。友達かぁ、、、
友情パターン3
友達だよね。そうだよ。(なわけあるかよ)
【友情】
わたしにとってそれは
鉢植えの花のようなもので
肥料をあげて水をやらないと枯れてしまう
現代に生きる大人は忙しすぎて
枯れ果てた植木鉢に時々淋しくなるのは
きっとわたしだけじゃないはず
また新しく育てたくても
種すら手に入らないこんな日は
本当の友達とは、何があっても切れない友情がある
だけど、なんでも全部が喋れるからってそれが親友とは限らないとも思う
結局何があってもその人の元に戻りたい、自分を絶対的に信じてくれる自信があるという人こそが本当の友達で友情だ
友情(折れない強さ)
その薄っぺらさに血反吐を吐くんじゃないかと本気で思ったことがある。
「思い返せば小学生の頃から、エセ友情マウント合戦は始まってたなー」
―――お昼時、皆がお弁当を広げる賑やかな教室で。
女二人、話題はいつしか友人絡みの痛い話に移行していた。
「例えば?」
「よくあるところで言えば、マラソン大会当日に一緒に走る約束をしてたのに裏切って途中からダッシュする、とか。テスト当日に『全然勉強してない』って言いながら後日テスト返しで中々な高得点叩き出してたりとか」
「それ最早、ド定番あるあるじゃん。身近すぎて友情にひびも入らないよ、イマドキ」
だって自分も身に覚えがあるしね。
けんもほろろにあしらわれて、わたしはちょっとムットする。
………マラソンもテストも、鵜呑みにしたわたしが悪いって?
「何よ、とっくに経験済みだからってそんなに荒まないで。わたしは友情の儚さに傷ついてるの、これ以上性格捻くれたくないのよ」
わたしは純真なの、と胸に両手を当ててキラキラ効果を演出させる彼女に、目の前の友人は寒いからやめてと素っ気なく悪態をつく。
「けどほんとに、それくらいじゃ痛い話には程遠いって」
「まだあるよ」
「? なに」
「心底心許してた人間に、付き合って間もない彼氏取られるとか」
………。
「しかも告白のお膳立てまでして、見事成就したのを一緒にお祝いした矢先とか」
………。
「これもド定番に入るのかな」
うーん、と悩むわたしに、彼女は丁寧に箸を置くと、身を乗り出して頭上にその手を差し出した。
―――そのままぽんぽん、と優しく二度ほどはたかれる。
「どんまい」
「………あ、やっぱり稀有だったか」
最近やっと立ち直って愚痴話に昇華できるようになったから、もういいのだけど。
友情とは硝子細工のように脆いとはよく言ったものだとその時は痛感した。
「そんなの両人共引っ叩いてやればよかったんだよ。学校中に曝して触れ回って、いたたまれなくして退学まで追い込むのが正解」
………。本気で怒ってるな。耳が赤い。
「うん、まあもう忘れたよ。どうでもいいの。それより今日さ、スタバ寄ってかない? 新作出たの味見しに行こうよ」
「お、いいねー」
………そんなことがあっても人間不信にならなかったのは、あなたと同じような反応を示してくれる人達が思いの外たくさんいたから。
わたしはスマホを取り出しスタバのメニューを表示すると、彼女と二人で美味しそう!と盛り上がり、心を弾ませた。
END.
『友情』
男だけど家には化粧道具が山ほどある。きっかけは動画サイトでどこにでもいそうなおじさんがヘアバンドを巻き、よくわからない手順を踏んでウィッグを被る頃には二次元から出てきたかのような美少女に変貌しているというショート動画を見かけたからだった。おじさんよりも女性寄りな顔をしている自分ならさらにかわいくなれるのではないか。見様見真似を続けるうちにそれぞれの化粧道具の役割や自分に合う色味がわかるようになり、変身系な動画に加えてコスメ系の配信も見るようになり、写真投稿から動画投稿、そして配信へと段階を踏んでそこそこのレイヤーへとなっていった。
レイヤーとして活動している子に気になっている人がいる。彼女とはオンラインから知り合ってオフラインでもコラボ企画に誘ってもらったり誘ったりとレイヤーとしてはツーショット写真もたくさん撮ってきた。今日もそんな企画でスタジオにいる。
「はい、じゃあもうちょっと寄ってみようか」
カメラマンに乗せられてふたりの距離感が縮んでいくけれど、どこかを境にそれ以上は近づかせてくれなくて壁を感じている。学生だった頃に見たクラスの女の子たちは距離感近めだったけれど、一分の隙もなくかわいい彼女を想う気持ちがただの友情だったならもう少し近づくこともできたのだろうか。
「いいねぇ、仲良し女子って感じだよ~」
顔を寄せて微笑みながら、本当の女の子たちを羨ましく思っていた。
友情
ありふれた言葉のはず、なのに「友情」と考え始めるとわからない「友情」。少なくとも、私にはピンと来ない曖昧さ。はたして私の周りに、一般に持たれているイメージどおりの友情なんてものはあったろうか。少なかった気がする。
今の私が「友」と呼びかけるのは(極端に少ないが)、心延えに信頼が置ける人格であるのはもちろんながら、互いの間に、ありがたくないものも含めて“何でもあり得る自由意志”が尊重され、「自分の生きる責任」を自ら担い、己の道をゆくが故に「全く対等」を認め合う者だ。なので、物騒な可能性も僅かながら含んでいる相手もある。しかし、だからといって「お前はお前の好きにしろ。如何であろうが知らぬ」というわけではない。「もっと良い選択肢がぶら下がってないのか」などと“お節介スレスレ”な対話や働きかけはする。
…と表現すると、やたらに硬質で「どこの世界のハナシだ」という印象になるな…うーん。でも本質を抽出して言葉で顕すと、私から見た「友」はこうなのだ。
全体を見渡してみると、自然のなかの種族たちの関係性はまさにそのままだ。人間だけが、違う理由と要因で「友」を擬態したりする。それぞれにそれが必要である「ワケ」が有るのだろうけれど、疲れないのだろうか…?
「友情」が友情でないものをたくさん見てきたし経験してきた。薄ら寒いと思う。だからこそ私は「くそ熱い、圧の高い奴」で居ようと思う。自分の中に「氷の冷たさ」もある。自分の「熱」を忘れないように生きて行くことは、命あるものへの、私なりの「友情」だ。
【友情】
友達ってなにか。友情ってなにか。
正直、よく分からなくなってしまった。
助け合うこと、支え合うこと、協力すること、
もしくは、遊んだり話したり思い出を作ること。
友達も友情も、永遠には続かないと思っている。
実際、続いたことなんてない。
親友だと言ってくれていた子とは、連絡すらとらない。
誕生日も忘れられ、祝ってもらえなかった。
期待していた自分が恥ずかしい。
学校が離れた人ともほとんど会わないし話さない。
喧嘩したあの日から連絡先は削除されたあの子とも、もう遊ばない。
ネットでもそう。
仲良くなった子とは、いつの間にか離れている。
1年前に仲良くなった子とはもう話すらしないかもしれない。そこに友情があったかどうかさえ曖昧だ。
友達なんて簡単に出来て簡単に辞められる。
人それぞれ譲れないものがあって守らなきゃならないものがあって、それぞれの正義がある。
ぶつかり合うのも争うのも仕方ない。
それでも、お互い話を聞き合い許し合え、信じ合えるならば友情は続くのかもしれない。
だけど、プライドが高くて面倒臭がり屋な自分にはきっと無理な話だろうな。
相談できる友達が欲しい。笑い合える友達が欲しい。
バカにしてこない友達が欲しい。遊べる友達が欲しい。
ちゃんと、友達って思える友達が欲しい。
その願いが叶うのはかなり未来の話で案外近い話かもしれない。
友達という緩い関係が実は心地よいものだったりする。
友情は永遠には続かないけど、友情は永遠の思い出を作ると、自分は思う。
自分も永遠の思い出を作れる友達を見つけたい。
現実でもネットでも。
1人でいいから自分のことを知って欲しいと思う。
・友情
エゴを出しても許し合える関係。その上で、相手のことを考えて引くこともできる関係。
何も言わぬが正解か
何か言うのが正解か
調べても検索しても出てこない
正解も間違いも
あなたと目の前の人以外
誰も知らない
#友情
私には親友と呼べる子が3人いる
けれど、私は今 その子たちから遠ざかろうとしている
一緒に居たら迷惑だから
だから
それでも
私を追いかけてくる3人が
抱きしめてくれる3人が
たまらなく好きで ずっとその時間が続いて欲しいと
私は思っている
[友情]
友情ってなんだろうな。
友達がいるのは楽しいと思う。
けど、一人で居たい。気を遣いすぎて疲れるから。
一人で居たいと思ってずっと一人で居ると、寂しい。
だからといって友達と会ってみると、会いたくない。
そう思ってしまうのはなぜだろう?
自分の気持ちは変だなー
自分の意見や思ってることを話せる相手が欲しい。
失恋したように胸がキュンとなる育英が負けたから。あーさみしい
私が大学に進学したい理由は、将来の仕事に役立つ専門的な知識・技能を身につけたいからだ。大学には専門的な勉強をする事、将来の可能性を広げることができる。そして、全国各地から多くの学生が集まるため、新たな価値観や考え方にも触れられるので自身の視野が広がると考えている。
大学で学びたいことは
特に私は、商品開発をして販売できるようにチャレンジしたいと思い管理栄養士免許取得に向け人体の構造と
友情って不思議な結びつき。
愛する人とは、愛情と婚姻関係で結ばれ、
子供とは、愛しさと血の繋がりで結ばれる。
それらと比べると友情って薄そうだけど、
あんなに楽しく、思い出深い。
時間が経っても薄れない。
友情って不思議な結びつき。
「友情」
イエーイ!
アプリを入れて今日でとうとう一年になりました。
無事皆勤賞を迎えた自分を褒めてあげたい。
始めたばかりの時は、全くその気はなかったけど
まさか一年続くとは…
これなら書く習慣が付いたと言っても過言ではない!
ないよね?
さて、今日のお題は
・・・「友情」、あれ?
確か数週間前に昨年の7月25日のテーマを調べた時も
お題が「友情」だったよな。
え?偶然?それともまさか
テーマ昨年と同じ、使い回しなの?
えーと…ま、いいか。
これから先またどれ位続けられるか分からないけど
頑張ろう!そうしよう。
(友情)…いけね、テーマ友情だった。
友情、友情…「友情パワー!!」
(友情)
「友情」
友達と喧嘩した。
裏の顔を知った気分で気持ち悪くなった。
耐えきれない。
そう思いメッセージを送る。
「私たちの友情はこんなものだったんだ笑」
そう送り、ブロックしてやった。
友情で脳を巡らせてみたら、太宰治の書いた『走れメロス』がヒットした。
メロスが激怒して、邪智暴虐たる王を許せん。
と直談判するも引っ捕らえられ、王殺し未遂でメロスは死刑になる。
ちょっと待ってほしい。
今死ぬのはいいけど、もうすぐ妹の結婚式があるんだ。
3日後の日没後までには戻るんで、と王に言って待ってもらうことにしたけど、王は嘲笑する。
「ふはは。貴様、死ぬために戻ってくるという戯言、誰が聞くんだ。そのまま逃げる気だろう」
と王は人の心が信じられないので、メロスは、
「じゃあ俺の代わりにセリヌンティウスを置いておきますんで」
と、メロスは全力疾走した話だ。
某フリーアナウンサーが、
「少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も速く走った。
とありますが、このときのスピードを計算したら、マッハ11。メロスは100mを0.02秒で走ります」
と、『走れメロス』の比喩の面白さについて語った動画を見かけたことがある。
なんだ、やればできるじゃんメロスって。
しかし、どの学年の時に習ったか忘れたが、いまいちしっくりこないストーリーだ。
メロスが本気を出せば済むとはいえ、普通に考えると、妹の結婚式がもうすぐそこまで近づいているのに、王を殺しに行くだろうか。
メロスがキレちゃったんだからしょうがない。
になると思うけど、普通に考えたら、妹の結婚式を終えてから、「さあ、殺しに行くぞ!」と我慢すればよかったのに。
友のセリヌンティウスじゃなくて、そのへんのホームレスみたいな、いのちの軽い人を置いておけば、あんなに苦悩して走らなくても。
みたいな、国語の教科書をなんだと思ってるんだこのクソガキは、くらいな事を思っていた。
でも、そんな物語、読んでて別に面白くない。
妹の結婚式前後で全力で走るから面白いんじゃないか。
メロスに論理的思考を求めるな。
メロスが我慢強くて、計画的に王殺しを決行したら、単なる殺人鬼になってしまう。
そう思って太宰治はおよそ現実から遠ざけた異質空間を作り、妹の結婚式直前なのに、メロスが激怒しちゃって死刑になっちゃう、という理不尽なストーリーをメロスに与えたのだろう。
このときのメロスとセリヌンティウスの関係は、読み終えれば固い絆で結ばれてたんだなってわかるけど、友を人質にするというメロスの思考回路は、読者にはよくわからない。
邪智暴虐たる王のように、このときの読者もメロスの気持ちがよくわからない。
なんでメロスは友を人質にさせたのか。
セリヌンティウスもセリヌンティウスだ。
「すべてはメロス様の仰せのままに」
と、歴戦の人質の姿勢のまま磔に掛けられる。
なんだコイツらである。なんでコイツら、人のことをそうやすやすと、信じられる?
メロスは走り、都市から離れていく。
往路はそこまで描写は少ない。結婚式に間に合えば良いから。
復路からが本番だ。走ったり立ち止まったり、野盗に襲われたりして、なんで自分がこんな災難を……、という苦悩が描かれる。
これは、
メロスが友のために走る
=自分が死刑になるために走る
からで、メロスだって死刑は不服だと納得していない。
別に帰らないで裏切ることはできるけど……、
でも! 走らなきゃ!
と、メロスはサイヤ人になって『走れメロス』になる。だから「少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も速く走った。」のである。
どうして一生懸命走るんだ。
死刑なんだから戻ったら死刑執行されちゃうんだぞ!
でも、セリヌンティウスが!
という忠誠心に似た絆か友情か。
どっちか知らんけど、ようやくこの辺になって読者にもメロスとセリヌンティウスのただならぬ友情が垣間見えるようになる。
本文にはまったく書かれていない、
「普通の説明ではおよそ見当もつかない二人の長く古い絆」が感じ取れるようになる。
途中「もう間に合わないよ!」と誰かに言われようと、
「うるさい! 間に合う間に合わないの問題じゃない! 人の命が掛かってるから走るんじゃない! だって、セリヌンティウスが信じてるから!」
という、人を信じる力で理不尽に打ち勝とうとする人間を描いたのだと思った。
友情って、裏切られる可能性があるけど裏切らなかったっていう、人には見えないものなんだろうね。
「俺の代わりにセリヌンティウス置いていきますんで」
じゃなく、
「俺の代わりにセリヌンティウスという命以上に大切なものを預けますから」
という、そういったメロスの真剣味が、読み進めるごとに分かる仕掛けになっている。
友情ってなんだろう? 最近よく思う。
学校で、友情とか愛情とか教えられるけど正直よくわかんない。誰かが話しかけてくれる時もあるけど、自分のエゴと思いやりがゆらゆらするんだ。天秤みたいにね。
友達ってさ、誰でもいいわけじゃないの。こんなこと呟いてるけど、やっぱり友情ってわかんない。