『友だちの思い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
楽しいより
暇。早く時間すぎないかな。
が勝つ。
心からそんなことを思わず
楽しかった!疲れなかったと思える時は少ない。
結局上辺
歳を取ると新しい友だちを作るのはなかなか難しい
職場で友だちを作るのは難しいし、
プライベートで作るのはもっと難しい
学生の頃の友だちは
ライフスタイルや居住地が違って
連絡すらままならない
そして疎遠になってしまう
だが、楽しく笑いあえていたあの日々は
間違いなく本物だ
もし、縁あって再び会うことが出来たら
あの時のように笑いながら思い出話をしよう
そして友だちの思い出を更新しよう
友だちの思い出話を又聞きした。その中に自分が登場しない。楽しかったのは自分だけだったのだろうかなんて、たまたま話さなかっただけだろうと思いながらも自分も確かにその場にいたのにいなかったことにされているということを話の内容から察して友達だと思っていた自分が悲しくなる。
いつもの4人組の中で1人だけあだ名呼びの子が呼び捨てで呼んで欲しいって言ってきた。可愛すぎて悶えた。
【友達の思い出】
右から左へと言葉が流れてる
名前も顔さえも知らない人たちが放った言葉
四角い箱の中の架空の話
相手がどんな顔で画面を見ているかもわからない
偶々同じ場所、同じ時間にこの場にいて
偶々同じ声、同じ言葉に感動して
たった数分で別れていく人たち
架空の空間なのに
誰もが本音を話していて
不器用な優しさで満ちていて
安らぎをくれた
出会った人間の中で一番温かな人たち
数分間だけの僕の特別な友達
2024-07-06
あの頃、一人じゃ何も出来なかった。
逆に言えば、一人じゃなかったから何でも出来る気がしてた。
大人になって、それが勘違いだと気付くまで。
友達の存在は、きっと毒にも薬にもなり得るだろう。
意気投合すればするほど、自分達は最強なんじゃないかと錯覚する。
神様がベストマッチさせたんじゃないかと。
んな訳はない。
それなりに、お互いが気を遣って接している成果だろう。
人は誰かと仲良くなりたいと思うほど、その人のことを意識するはずだ。
他人でいいなら素通りするだけだろう。
運命の出会いなんかない。
本当の親友に出会えたと思っても、時が過ぎれば当たり前に疎遠になったりする。
向こうが新しい親友を見つけたのかもしれない。
自分の生活環境が一変したのかもしれない。
友だちの思い出。
勘違いして調子に乗ってた。一人じゃ何も出来ないくせに。
ドラマの主役になったような錯覚で、夜通し走り回ってた。
ハメを外すこともあった。
公序良俗に反することだって、自分達なら許されるんじゃないかと思ってた。
バカだった。
イイことも悪いことも、そいつと一緒にいるフィルターで見てた。
だから、いつだって世界が明るく見えた。
だけど、そのフィルターを外して見る世界は、不安だらけで心細かった。
結局、リアルを忘れるためのドラッグみたいなものなのかも、友達なんて。
…いや、違うか。
友達の存在は、毒にも薬にもなり得るんだ。
たとえ意気投合しても、運命の出会いだと思えても、自分の中に越えない一線を持って、それだけは死守するつもりで付き合えばいい。
そんな友だちの思い出を、宝物として残すために。
いずれ、あっけなく他人に戻る日が来るかもしれないんだから。
モーニングする約束して、朝9時半に待ち合わせて
夜9時半までノンストップでおしゃべり。
お酒を飲みながらするような熱い話を
イオンのベンチで3時間語らった。
もう親友と呼んでもよいでしょうか?
恥ずかしいので確認ができません。
でも友達というのが気負わずちょうどいい気もする。
名称なんてなんでもいいのかも、心から大切な友達です。
友だちの思い出
「友だちだと思ってた人に 仲間はずれにされたし」
「無視されたし 機嫌とってたし」
「友だち関係、長くて数カ月しか続かないんだよ。」
そんな話をしてる あなたと 友だちになって
もうすぐ1年。
友達との思い出はどのくらい覚えてる?
半分以上も記憶がある人は最近友だちになった人かな?
半分も覚えてないって人はそれだけ長い時間友だちと過ごしてきたんだと思う。大事な友達なんでしょ?
大事にしてね!この世はお金で買えないものもあるから。
友達の思い出
私の、私しか知らない友達
名はみき
彼女は私の前世だ
彼女は私を知っていた、
否、彼女が私という存在を作り出した
私は彼女の理想がつまった存在だ
彼女は、いつも私に語りかけた
今日はこんなことがあって、こう思ったの、、、
私が〇〇なら、、
きっともっと素敵な人生を過ごせたのに
彼女は必ず最後にこの一言を言う
泣きそうな、悲しそうな声で、、
死にたいと嘆く彼女にかける言葉は、
今でも見つからない
学生時代に親友だった彼女
三年間ショートカットを貫いた
お菓子作りが大好きな
利発だけどおっとり喋る
今はもう異国にて母になっている彼女
たまに柔らかな思い出を反芻しながら
彼女との間に子供ができたら
こんな感じだろうかと想像してみる
彼女の強さ、賢さ、優しさと
私の苛烈さ、傲慢さ、孤独を
併せ持って育つだろう
名前は何がいいだろう
◼️友だちの思い出
「友だちの思い出」
旧友との再会を重ねるたびに密かに思う。
恒例のように取上げる在りし日のエピソードはどこまでが正確なのだろう。もはや話題となること自体が目的化して擦り上げられている気もする。
何かの本は「忘れたい失敗も未来の教訓に活かせば成功体験の一部だ」と啓発していた。ただそれ以前に、そんな自分のネガティブな過去を、一体どれだけの人が覚えているだろうかとも思う。学生時代のアルバムを指でなぞっても、顔から火が出るような黒歴史は、自分以外の他人のものは全然浮かんでこない。
そもそも人の記憶は曖昧だ。あらゆる情報は感覚器を通して脳に保管される。インプットする段階で明るさや響き方などの物理的条件の差異が各自の知覚に生じているし、その時々の価値観や感情や体調によってその脳の振舞いも変わってくる。またそれは人に限った話でなく、どんな記憶媒体にも完璧な堅牢性は存在しない。
アインシュタインは過去や未来などは幻想に過ぎないとの言葉を残した。流れゆく粒子の仮の姿に過ぎない私たちは不確かな過去の形に囚われ続ける必要など全然ないのかも知れない。
「そうだったかな?」と盛られた思い出話を訝りながらも、年々親しみを増す友の笑顔を見て「それもまたいいか」などと思う。
友だちの思い出
友だちと言えたのか分からないや。ただなんとなく一緒にいた。それだけ。
友達の思い出
ずっと友達だと話し合い、ずっと離れないと決めた時。
いつでも会える状態を失った。
15年ぶりに逢ったとき、離れていても友達のままだったと確信した。
同じ時を過ごしたより、逢えなかった時の方が長いけど。
それでも、永遠の別れを拒否した約束は…今も 思い出にならないまま…
他人と見た目が違うから。
それだけの理由で今私はこうなっている。
私を罵る声。
私を貶す声。
私を虐める声。
私を、殺す声。
何もしていないのに。私は皆と見た目が違うだけなのに。何で、私、わたしは。
「大丈夫?」
「友だちになろう!」
そう言って手を差し伸べてきた1人の女の子。私は恐る恐るその手に触れる。
「えへへ、友だち!」
そう言ってぎゅっと私の手を掴んだ女の子の体が、目の前でどろどろと溶けていく。本当に泥になってしまったみたいに、どろどろ蕩けていく。
「化け物め!だからあれ程近付くなと言ったのに…」
「アイツが誘惑したんじゃないのか?」
「そーだそーだ!そうに決まっている!」
「娘を返して!」
……何で。私は何もしてないのに、何で、わたしは、
私は友だちが欲しいだけなのに。
『友だちの思い出』
友達の思い出。
私に友達が出来たのは小学一年生の頃。
親友ができたのは小学二年生の頃。
二人いて、二人とも優しくて。
一人はちょっと毒舌。
それに、スポーツ万能で成績は私より少し良い。
勉強は少し苦手なようだった。そして、容姿端麗。
もう一人はスポーツ万能で成績優秀。
性格も良くて、容姿端麗。
それに比べて私は、スポーツはめっぽうダメ。
走れば、ほぼ最下位。
成績もあまり良くなかった。
怒られてばかりだったし、人に迷惑をかけてばかり。
おかげで散々比べられた。
言われたことをずっと気にし続けてしまう私は、それをずっと気にして自分でも比べてしまい、劣等感を感じる日々だった。自分に嫌気がさす。
でも、そんなふたりとは高校に上がり別れるまではずっと一緒にいた。
大学4年生の春。
キャンパスにて花見をやったことがあります。
理科系の研究室に在籍しておりまして、あの頃は酒さえあれば何でもよろしい、という、のんだくれ予備軍みたいな単純な生き物でした。
キャンパス敷地内には八重桜が一樹だけ植わっており、その下で宴会風味なことをしたのです。
夜桜だったと思います。突発だったと思います。
グループラインで「今夜花見するんだけど」と女性の誰かが言い、いいねいいねと男ののんだくれたちが賛同するのです。僕もその中に含まれます。
突発から数時間しかありませんでしたが、あの頃の行動力はばかみたいなものでした。
家から思い思いのお酒を持ち寄り、その八重桜の下で夜桜花見をしたのです。
参加者は僕を含めて五〜六人。
ワイン、梅酒、果実酒、缶チューハイ、もちろんビールも。
何を敷いたのか知りませんがたぶんそのままだったと思います。そのままズボンに土をつけて座り、紙コップを配って、酒盛りを始めまして。
何を話したのかは記憶の彼方に消し飛んでいますけれども、深夜11時にお開きとなったことだけは存じ上げております。お酒が切れたのです。
しかし、キャンパスの夜というのは不親切でしてね。
折角の八重桜は観光地のようにライトアップしておらず、キャンパス内は真っ暗闇の中なのです。
一応時代は平成後期でしたので、スマホのライトで照らすんですけれども、無いよりましみたいなもので全然頼りになりません。
ただ言い出しっぺの女子生徒が立派な懐中電灯を用意しておりまして、それで首の皮一枚繋がったといいましょうか、一応花見の体裁はあったと言いましょうか。
上向きに置かれた懐中電灯って意外と頼りになるのです。あいにく夜空まで届きませんが、光の筋が見えるのです。八重桜の枝に光が引っかかって。
それが儚げで。でも、その光景をのんだくれ全員は見ておりません。花よりお酒、単純な生き物。お粗末。
中学の修学旅行で娯楽品の持ち込みが禁止されていたんだが、同室の友達は旅先で漫画やゲーム、お菓子を買ってホテルで楽しんでいて
「持ち込みが禁止なんでしょ?買うのはいいよね」
と得意げに話していた
頭いいなと思った
「友達の思い出」
今日のテーマはちょっと嫌なテーマだな。
新しい友人が出来れば 古い友人と交流が途絶えるし
付かず離れすぎの付き合い方が良いと思うよ?
現実世界でもSNSの世界でもね、
付き合い方に頭悩ませる訳だし。
まぁ、嫌だなと思えば、すぐに縁を切れば良いけど、
今はそうはいかないよね。Twitterで何かと晒されちゃうし。
難しいもんだよ。友達作りも思い出作りも。
まぁ誰かと一生の思い出を作りたいて思いがない。
良いじゃない。思い出作りしなくても。
「友だちの思い出」
友だちとは
あまり
いい思い出がありません
本当は大好きだし
ずっと一緒で
すごく楽しかったけど
突然、消えてしまった
もっともっと楽しい思い出が
できるはずだったでしょ?
なんでそんな高い所にいるの?
この世界に降りてきてよ…