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「友だちの思い出」

旧友との再会を重ねるたびに密かに思う。
恒例のように取上げる在りし日のエピソードはどこまでが正確なのだろう。もはや話題となること自体が目的化して擦り上げられている気もする。

何かの本は「忘れたい失敗も未来の教訓に活かせば成功体験の一部だ」と啓発していた。ただそれ以前に、そんな自分のネガティブな過去を、一体どれだけの人が覚えているだろうかとも思う。学生時代のアルバムを指でなぞっても、顔から火が出るような黒歴史は、自分以外の他人のものは全然浮かんでこない。

そもそも人の記憶は曖昧だ。あらゆる情報は感覚器を通して脳に保管される。インプットする段階で明るさや響き方などの物理的条件の差異が各自の知覚に生じているし、その時々の価値観や感情や体調によってその脳の振舞いも変わってくる。またそれは人に限った話でなく、どんな記憶媒体にも完璧な堅牢性は存在しない。

アインシュタインは過去や未来などは幻想に過ぎないとの言葉を残した。流れゆく粒子の仮の姿に過ぎない私たちは不確かな過去の形に囚われ続ける必要など全然ないのかも知れない。
「そうだったかな?」と盛られた思い出話を訝りながらも、年々親しみを増す友の笑顔を見て「それもまたいいか」などと思う。

7/6/2024, 1:06:26 PM