『一年後』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
☆一年後☆
今から、一年後って…
何してるかな?
今と一緒でぼーっとしてるだろうな
一年後も、二年後も、三年後も…
ただ、歳を重ねるだけで
たいして変わり映えの無い時間を潰して
るだけ…
一年後の今日も
きっと同じ事してる…
つまんねぇ。
梅茶々
お題《一年後》
閉ざされた月茨の森。
蒼白の花弁は月の雫で煌めく。深淵の空には、宝石箱から零れ落ちたような星の欠片。
「必ず戻ってくるから」と。
約束を交わした相手は、もう二度と戻ってこなかった。
梟の歌が孤独を綴る。
呪いを解く歌は遠い昔に枯れ果てて。
もう、終わりにしよう。
一年後月茨の森は――深淵の空の下、月炎で花弁のように灰が散る。
誰も知らない物語。
誰もが忘れてしまった、森の鳥籠の、美しい歌姫がいた遠い遠い幻想の物語。
ここ数年
新年だーなんて、世間一般並みに
おめでとうを口ずさんでも
実のところ、さして
年が開ける前と変わりない気分だったし
日常は気分以上に、代わり映えしなかった
変化はそれなりにあったけれど、
根本は変わらない、という感じ
変わらない日々
それで、良かったの
でも今は
とても大切な存在を喪ってしまって
変わらずにいられた日々の根幹も
絶たれてしまった
あの子は写真嫌いだったから
あまり撮れなかったけれど
それでも
ガラケーからリンゴなスマホになってからの
写真アプリには
あの子の写真がいっぱい
もう、それも増えることはないんだね
この先、増えるのは弟分の子の写真だけ
『最近の項目』から
あの子が遠くなってしまうと思ってしまって
まだ撮れない
弟分の子だって大事だし可愛いし
やっぱり永遠に一緒にはいられないから
撮れる時に撮らないとだけど
一年後
写真アプリの『最近の項目』は
どうなっているのかな
写真の中のあの子に見せてあげられるように
綺麗な風景とか
撮れるようになろう
もちろん弟分の子も、ね
一年後には、僕らは一緒にはいなくて
三年後には、みんなとの思い出も薄れてきて
五年後には、もうほとんど忘れてしまって
十年後には、それぞれの人生をまっすぐ見据えてる
こんなに短い時間だけ、一緒に過ごす仲間
その仲間の中に、どんな意味を見出せるか
その仲間の中で、どんな「今」を過ごすのか
一年後の自分が、後悔しないように
一年後の自分に、悔いの残らないように
今もすぎてく時間を過ごそう
一年後
一年後はどうしてるかな?
あいも変わらず此処で暮らしてると思います。出来たら健康で。
中身は?進歩してる?
いえ、後退してますね。
でも、頭が硬くなって人の意見が聞けなくならないようにと思います。
『一年後』
「僕が無事に帰ってきたら、一緒になってくれないか」
半年前に戦役へと旅立った彼との約束は不定期に届く手紙や葉書で今も守られていると感じていた。何度も取りだしては読み返した葉書は四隅の角を少しずつ丸くさせていく。
けれど、遠い島国で自国軍が勝利したという報せを新聞で見てからパタリと連絡が途絶えた。空から降伏勧告の紙が舞うのを見て、新聞に書いてあることが本当なのか、敵国の報せが本当なのかわからなくなった。何度も取りだしては読み返した葉書の文字は幾度も触れていたためか少しずつ薄れてしまっていたから、覚えてしまった内容を胸に唱えては彼の無事を願っていた。
約束をした日からやがて一年が経つ頃。文字に表せばたったの一行。月に替えれば12ヶ月、日にして365日。彼の一生は紙切れ一枚となって知らされた。
「お父さんは、本当はいつごろ亡くなってしまったのかしらね」
何も知らずに腕の中で眠る我が子に涙がひとつふたつと落ちてしまう。悲しいけれど、悲しんでいる暇はなかった。
【創作】一年後
1年後の自分に会える。
そんな魔法の様なサービスをとある保険会社が始めたのが10年ほど前になる。
仕組みは簡単で、契約者本人の画像と身長、体重などの健康情報から始まり、アンケートからなる過去に関する情報など、ありとあらゆる精細なデータを取り込んだ上で創り上げた精巧な自分コピーの様なAIと会話することが出来るのである。
データも数を揃えるとどうやら1年程度の簡単な未来予測みたいな事もAIは出来るらしく、それらを反映した形でバーチャルアバターとしてPCの画面に表示される。
正確性はサービス開始当初こそ75%くらいと高くはない数値だったが、今は精度も90%を超えているそうだ。
このサービスにはメンタル面への悪影響も考慮し、1年に1度しかアクセス出来ない。
私はそれを自分の誕生日の日に設定している。
画面内には今と違い、バッサリと髪を切った私のアバターがいた。
「髪、切ったの?」
『うん、なんかそんな気分になって』
アバターの私はちょっと元気がなさそうにそう返事した。
…うん、さては今の彼氏と別れたな?
分かりやすい自分に苦笑する。
でも、このカットは似合ってないから、もし切る時は他のカットにしてもらおう。
…あと、彼との関係は今後要注意ね…。
このサービスを始めた保険会社はこの10年で登録者から集めた個人情報から、別のサービスも始めることにしたらしい。
AIとの会話情報も学習させて精度を更に上げた、コピーのアバターと本人が亡くなった後も話出来るサービスだ。
「一年後」
雪の降る季節も、桜の咲く季節も過ぎ去って、今はもう夕方でさえ明るい季節が来たね!!!
にしても、キミと一緒にいる数ヶ月間はボクにとってすごく濃密な時間だったよ!!!
なんせ、ボク基準だとちょっとぼんやりしているうちに100年くらい経っていることもザラにあるからね〜!!!
実際に見たわけではないが、もう少し経てば蛍が、しばらくしたら蝉の鳴き声と入道雲が、さらに待つと紅葉が見られるんだってね!!!とても楽しみだ!!!
それ以外にもきっと、まだボクでさえ知らないような素敵なものが、この星には溢れているんだろう?!!
この宇宙を、この星を守るために、ボクはできることならなんだってしなくちゃね!
キミとこの星で、この宇宙で、無事に一年後を迎えるために。
慌ただしい数日が過ぎ、先程まで遊びに来ていた友人を見送った後。
静まり返ったリビングで一息つく。
惰性で周囲を見渡すと、案の定シェルフに白い兎の人形が置いてあった。
手に取ってみると、手のひらにすっぽり収まる瀬戸物の人形はひんやり冷たく、少し重たい。
一周見たあと、再びシェルフに戻す。
人形の持ち主――友人は、年に一度だけ遊びに来る。
事前の連絡はない。
実のところ、連絡先も知らないのだ。
出会いもあまり記憶がないが、小学生くらいから知っていた気がする。
決まって同じ月、同じ日から約一週間ほど滞在して去っていく。
いつからかそれが暗黙の了解になっていて、僕もこの時期になるとなるだけ予定を入れないように調整していた。
天の川を渡って再会する彦星と織姫のようだが、そんなロマンチックな雰囲気でもない。
数日間、語って遊び明かしてまた来年。
雨が降れば家にいるし、晴れた日には外で遊ぶ時もある。
それ位、気軽な関係だ。
そして去り際には、この兎の人形のように毎回『忘れ物』をしていく。
別れの前日に喧嘩して気まずいまま見送っても、必ずどこかに置いてある。
喧嘩した年は罪悪感を抱えた一年になるが、それを目につく所に保管しておく。
次の年に会ったらこう言うのだ。
「また忘れ物してたぞ」と。
忘れ物の主は態とらしく笑いながらそれを受け取り、近況を話し始める。
それがいつもの流れだ。
それまでは、時折『忘れ物』に目を向けては暗黙に交わされた約束の日を待つ。
一年越しの約束を楽しみにしているのは、僕だけではないと信じて。
「暗黙の約束」
⊕一年後
一年後の自分の姿を思い浮かべるには、一年前どうだったかを見るべきである。
……まるで違うな。見た目は変わってないけれど。
まあ一年後も、相変わらずやっているのだろう。
このアプリを続けているかはわからんけどな!なのでお題更新してほしいな!!(願望)
「桃栗三年柿八年」という諺がある。
何かの結果を出すには、早くても2年、3年くらい待たなくてはならないのだと戒めたものだろう。
その続きには「梅はすいすい十三年、柚子の大馬鹿十八年、林檎にこにこ二十五年、銀杏のきちがい三十年」なんてのもあって、どこかで聞いた事がある。
でも、覚える必要はない。多分ゴロが良いから調子に乗って誰かが付け足したのだろう、意味はないのだ。だいたい柚子も林檎もそんなに長くはかからないらしい。
私の経験を話せば、
商売で見事に失敗したのだが、ついウカウカと7年も粘って、傷口を拡げてしまった。
1年くらいでは、物事の判断ははや過ぎるが、3年もやってダメだと思ったら、方向転換を考えるべきだと思う。
この諺は、その戒めでもあるだろう。
そう、粘れば成功する保証はどこにもないのだから、自分を疑う事も大切だ。来た道を引き返す勇気も必要なのである。
これに似て、「石の上にも三年」というのもある。
由来は、インドのバリシバ尊者という人が、80歳から出家して、3年石の上で座禅を組んで悟りを開いた逸話から来ているそうだ。
間違ってはいけない、彼は3年間もずっと座り続けたのである。その間は横になって寝た事はなかったそうだ。
因みに、私も商売していた7年の間働き通した。もちろん寝る時間はあったが、充分とは言えなかった。ひと月休まない事はザラにあった。
3ヶ月間1日も休まないで働いた事もある。その間読書も、映画も、旅行も、楽しむ時間は無かった。・・・・でも、結局は失敗に終わってしまうのである。
私は今月から通信教育を始める。これは最速でも卒業までに4年かかるのである。
もしかして、ここへの投稿も毎日出来なくなるかも知れないが、なるべく続けたいと思ってはいる。
だが、何教科もあって、正直どうなる事やら分からない。
一年後の事なんか考えちゃいないのである。
4年、5年先を計算しているのだ。
「来年は
結婚しようね
お互いに」
私の思いは
あなたに届かず
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「あなた」は言った。結婚しようと。
ただそれは あくまで「友達」である自分に
「お互いにいい歳だしそろそろ誰かと結婚しなきゃね。」
という意味だった。
私はあなたと結婚したいと言うのに…
「去年6月16日のお題が『1年前』で、同月24日が一年後ならぬ『1年後』だったな」
某所在住物書きは100均のマグカップにスティックコーヒーを落とし、湯を入れながら呟いた。
数日前の猛暑に対して、今日は随分肌寒い。
去年は何℃だったか。一年後の今日との気温差は?
「去年がアレで、今年が今年の真夏だったけどさ」
ちびちびコーヒーを飲む物書き。実は猫舌である。
「まさか一年後『4月の猛暑日』とか無いよな?」
一年後だろうと十年後だろうと、物書きの舌のステータスは「猫舌」のままに違いない。
――――――
昔々、まだ年号が平成だった頃、約10年くらい前のおはなしです。出逢って約一年後に縁切れた、トリカブトと元カレ・元カノのおはなしです。
都内某所、約4年前上京してきた珍しい名字の雪国出身者がおりまして、つまり附子山というのですが、
田舎と都会の違いに揉まれ、打たれ、擦り切れて、ゆえに厭世家と人間嫌いを発症しておりました。
異文化適応曲線なるカーブに、ショック期というものがあります。
上京や海外留学なんかした初期はハネムーン期。全部が全部、美しく、良いものに見えます。
その次がショック期。段々悪い部分や自分と違う部分が見えてきて、混乱したり、落ち込んだりします。
附子山はこの頃、丁度ショック期真っ只中。
うまく都会の波に乗れず、悪意に深く傷つき、善意を過度に恐れ、相違に酷く疲れ果ててしまったのです。
大抵、大半の上京者が、大なり小なり経験します。
しゃーない、しゃーない。
「附子山さん!」
さて。
「ケーキが美味しいカフェ見つけたの。行こうよ」
そんなトリカブトの花言葉発症中の附子山の職場に、ハネムーン期真っ最中な者がおりました。
加元といいます。元カレ・元カノの、かもと。未来が予測しやすいネーミングですね。
「何故いつも私なんかに声をかける?」
絶賛トリカブト中の附子山は「人間は皆、敵か、まだ敵じゃないか」の境地。無条件に突っぱねます。
「あなた独りか、他のもっと仲の良い方と一緒に行けばいい。何度誘われようと私は行かない」
加元は附子山の、威嚇するヤマアラシのような、傷負った野犬のような、誰も寄せ付けぬ孤高と危うさと痛ましさが大好き。
附子山の顔と性質が、加元の心に火を付けました。
このひとが、欲しい。 このひとを身につけたい。
きっと美しいミラーピアスになるだろう。
恋に恋するタイプの加元にとって、この所有欲・独占欲の大業火こそが、すなわち恋のカタチでした。
「だって、附子山さん、いっつも何か寂しそうな、疲れてそうな顔してるんだもん」
己の声、言葉、表情それら全部を使って、附子山の傷ついた心に、炎症を起こした魂に、
ぬるり、ぬるり、加元は潜り降りていきます。
「美味しいもの食べれば、元気になるよ」
それは、表面的には附子山をいたわり、寄り添う言葉に聞こえますが、
その心の奥の奥には、清く尊いジェムの原石に手をかける、不遜な収集家の欲望がありました。
そして悲しいかな、附子山は加元の言葉の、奥の奥に気付くことが、まったく、できなかったのです。
「……あなたが分からない」
何度突っぱねても、どれだけ拒絶の対応をとっても、こりずに優しく言葉の手を伸ばしてくる加元に、
ぽつり、怯えるように、少し懐いてきたように、でもまだ相手を威嚇するように、附子山は呟きました。
とくん。附子山の絶賛トリカブト中な筈の心が小さく揺れます。それはひょっとしたら、もしかしたら、附子山の「初恋の日」だったかも、しれませんでした。
この数ヶ月後、加元は望み通り附子山を手に入れ、
しかし「実は附子山、心の傷が癒えてみたら、自然を愛する真面目で心優しいひとでした」の新事実発覚で地雷級の解釈違い。ショック期が堂々到来します。
「人間嫌い」と「厭世家」のトリカブトには、礼儀正しく義理深い「騎士道」の花言葉もある。それを加元、知らなかったのです。
そもそも「花」に「宝石」を求めていたのですから、そりゃ齟齬も相違も発生するのです。
「アレが解釈違い」、「これが地雷」、「頭おかしい」と旧呟きアプリに愚痴を投下していたら、
あれや、これや、なんやかんや。
初めて附子山に会って約一年後、元カレ・元カノの加元の名前どおり、プッツリ、附子山の方から縁切られましたとさ。 しゃーない、しゃーない。
「あけまして おーめでとうございまーす!」
バルコニーに出て初日の出を拝む
「今年こそ!
禁煙、禁酒、ダイエット!パンパン」
正月といったらやっぱコレだょねぇ~
「プシュッ」
缶ビール片手におせちをつまむ。
「ぷかぁ~」
熱燗いきますか?
お正月~たーのしぃ!
……はっ!!
またやっちまった…
ま、いっか…正月明けからがんばる!
うまぁ~いっ♪
………ゴーン…
「ふぁ~いつの間にか寝ちまったか」
ん?鐘の音?
「サン!ニィ!イチ!」
「あけまして おーめでとうございまーす!」
は?2025?
2024じゃなかったのか?
まさか…これが噂のタイムリープ…!?
……違います
現実です…
という位1年後って早くやってくるって話
【一年後】
一年後
ぼくは
ウキウキしてるのか
ドキドキしてるのか
シクシクしてるのか
ゾクゾクしてるのか
誕生日を迎え
ハタチになった
大人の仲間
お酒も飲めて
煙草も吸えて
ママやパパに相談せず
お家も買えて
借金もできて
自分の選択が
自分の行動が
自分の未来を
自分の感情を
つくりあげて行く
責任を伴う自由の重さに
ヘキエキとしながら
ドキドキの一歩を
明日に向けて
『一年後』
やっべぇ、眠過ぎて忘れてた!!
ごめんね!
#16
お題『一年後』
毎年のようになにかが変わっているといいな、とその時は思う。たとえば、恋人が出来ていればいいなとか、より残業が少ない部署に行くことが出来ればいいなとか、給料が上がっていればいいなとか。
けれど、今振り返ってみると結局去年どころか、数年くらい生活がなにも変わらなくて、ある意味諦めてる節があるんだよね。
食いしばれ この苦しみも しんどさも 今を耐えれば 過去の思い出
お題「一年後」
一年後二年後三年後…
いつになったら君に会えるの…
もう二度と会えないの…
どうしてる?誰かといるの?
私を覚えている?
いつまでもまってるよ
一年前の日記を開いてみる。
そこには今と同じ悩みが書いてある。
朝早く起きられない。
食べ過ぎを止められない。
毎日のように飲み歩いて、時間もお金も無駄にしている。
もうやめよう。
もっと意義のあることをしよう。
同じことを今も書いている。
今日。
一年後の私が、「あの日があったから今がある」と、そう思うような日にしたい。
『一年後』