『ブランコ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
ブランコ 揺れる 揺られる
キィキィと鳴く
手に残る匂い
あの頃 隣に居た君は
今何をしているだろうか
勉学や仕事に打ち込むなかで、必ずどこかでその歩みが止まるときは誰にでもあるだろう。問題集を読めば読むほど難解になり、最早意味がわからず放り出してしまいそうになる。何事も順調で立ち止まることなどないと思っていたの仕事に、不安や自信喪失といった心理的なハードルや己自身の処理能力の限界といった壁を前にしゃがみこんでしまう。勉学や仕事に限ったことではないが、一度や二度はそんなことがあるだろう。いやなに、なるほどどうしてか時に器用に立ち回れる者もあることにはある。しかし長い人生のなかで全くないのかというと、そんなことが一度はあったと回顧する者が殆どだ。
辛いことや悲しいことを前に塞ぎ込んでしまえば、目の前の苦しみから逃れることはより一層の困難といえる。己を守るつもりが逆に痛めつける結果になるのは、周囲の声や様々なヒントやきっかけなどあらゆるものを締め出してしまうことで機会を失うからだ。煩わしく思う人との付き合いも、疎ましく思う会話の中にも脱却のヒントが隠れている。多くの人はそれに気が付けないだけで、その多くを無駄にしてしまっている。作詞家や画家が日常の様々な風景から気づきを得ているのはよく知る話だが、それはそういった一部の人達に限った事ではない。実は我々にとっても、同じように多くの気づきを与えてくれる。世間は、言わばたわわに実る果樹のようなものだ。旨味や甘味がギュッと凝縮している果実を見れば、ひとつと言わず二つも三つもと欲張るものだ。しかし、これは魅力的な形がそこにあるからに過ぎない。そこにあるものが甘くて美味しく、喉を潤わせてくれることを誰でも知っている。故に欲張リ、いくつも欲してしまう。ところが、見たことも無いものや自分の知識の曖昧なものでは興味を示さない。避けて通る者もいるだろう。
勉学において、重要な部分を聞き逃さまいと聞き耳を立てたり必死にノートにとるといったことはごくありふれたことだろう。しかし、ノートの使い方やマーカーの使い分けの一つ一つがとても重要性の高いことであることに気がついていない者もいる。ノートの中で、カテゴライズしてみたりマーカー色の使い分けで強調したい部分を視覚化すると後で見直した時に驚く程に分かりやすい。仕事において、効率を求める際にはパソコンを使う業務ならばソフトやアプリケーションで効率化を図る者もいるだろう。Excelを多用する職務内容であれば、より多くの関数を学ぶだけでなくマクロやVBAを用いる者もいるだろう。しかしここで重要なのは、主観的に物事を考えるのではなく一度立ち返って客観視をしてみるということだ。自分のしていることや、しようとしていることが本当に意味を生すものなのか。効率が上がるのか。成績が伸びるのか。客観的に物事を見つめ直すことで、自分には考え及ばなかったことや、なるほど素晴らしいと思えるアイデアを周囲から見つけることができる。
実際に溢れかえる情報の中から、自分が今必要としているものを見つけ出して掴んだときにその価値をどれだけ見いだせるかは本心次第になる。有用性を引き出し、価値をつけるのは自分次第である。掴んだものの、いやはや時期尚早であったか使い切ることが出来なかったと思うこともあるだろう。人の気分は、様々な情況に忙しなく浮き沈みをする。価値を見いだした掴んだそのヒントやきっかけも、生かさなければ全てが無駄になるだろう。得たりと顔を緩ませている隙に、それは消えてなくなってしまう。しかし掴んだ瞬間に自分のものにして使おうにも思案が足りない、そのタイミングが間違っていればまるで意味が無い。パズルのピースのようなものだが、かといって言うほど難しい問題ではない。主観的に物事を見るだけでなく、客観的に物事を見ることの大切さについて触れた。では、その機会も俯瞰して考えてみよう。角度を変えて多角的に見定めてみれば、案外すんなり嵌め込むことができるものだ。
なにかに失敗して挫けたり落ち込んだり、なにかに不安を感じて立ちすくみ周りに置いていかれたり自ら後ずさったりする。かと思えば、何事も上手くいき、全力で駆け抜けてみたり、飛び越えてみたりする。その時に不安も何も感じることはなく、強く背中を押されるように前へ前へ駆ける。人生などその繰り返しでしかなく、今生きるこの時間は、そんな繰り返しの中のほんの一瞬に過ぎない。一喜一憂することがあれど、不自由や不満を吐露することはあれど直ぐに過ぎ去っていく。嬉々として歩を進める時が、そんなことを忘れさせる。
人生なんてブランコのようなものさ。怯え挫け慄いて、誰かの後ろに隠れてもからに籠って背中を丸くしていても何かに背中を押されるよう前え飛び出す。誰かがその背を押すのか、自分自身が立ち返って押すのか。それはその時々で違うだろう。だか、後ろに退いたとて必ず前へ進み出す時が来るのが人生だ。仕事も勉強も躓いたって、気づけばそんなことも忘れて打ち込んでいるものさ。
そんなものさ。
私はもうブランコがこげない
無邪気にブランコをこいでいた子どものころ
大人になれば自由になれる、と思っていた
大人になればなんでも出来る、と思っていた
だが実際は?
かなり多いしがらみの中で生きている
親の過干渉の中で生きている
全然自由じゃない現実で生きている
家も、会社も自由に振る舞えない
責任と自由の重さが対等じゃない
もう座るだけで精一杯だ
#ブランコ
優しく揺れるそのさまは
母の腕のゆりかご
あさき夢にたゆたう
あの日に戻りたいと願う
私の思いを誘う…
このまま揺られて
あの日へと
帰りたい…
地面を蹴って 助走をつけて
宙に浮かんだ わたしの身体
身体の力が 抜けていく
背中に翼が 生えたよう
このまま 飛べるかしら
てんごくは お花が降るってうわさ
ほんとうかしら ほんとうかしら
あの子には きっと きっと
お花なんて きっと降らない
わたしがあの子を 想うとき
カンタレラの 雪が降る
ブランコ
私は昔公園にある遊具の中でブランコが一番好きでした。でも中学生になった頃くらいから苦手になってしまったんです。しばらく揺られてると段々酔うようになってしまって。でもブランコ自体を嫌いになったわけではないんです。例えば、公園に行ったとき人がいなかったら私はベンチではなくブランコに座ります。それくらい好きです。でもやっぱり座るだけで昔みたいに思いきり漕いだりはしません。
私ブランコに乗るといつも思うんです。好きだけど酔っちゃうから苦手って、これ人生をつまらなくする公式だって。歳を重ねるにつれて色んなことがこの公式に当てはまっていって苦手なものがたくさん増えて。そうやって人生どんどん苦しくなって、つまらなくなるのかなって。それとも長く生きていれば苦手なものが増えても大丈夫なくらい好きなものがたくさんできて人生を豊かにしてくれるんでしょうか。
ブランコ
最近乗らないよな~
大好きだったなぁ~
危ない乗り方もしていたなぁ~
子供も、大好きだったなぁ~
風を切る感じが好きだった
空が目の前に来るのが好きだった
小学生の頃の俺
小学生の可愛い女の子と
どちらが高くブランコをこげるか
競争した
俺は女の子に負けて悔しかった
見た目とは裏腹に
お転婆だった君に
初めて恋をした
お題 ブランコ
いつから乗ってないだろう
ひさしぶりに乗ってみたいな
風に身を任せたい
私はブランコ競走が好きだった。
誰よりも高く漕いで風を感じるの。
少し高くなりすぎて怖くなったこともあったけど
それも含め私には楽しいとっても大好きな遊具だった。
でもみんなは鬼ごっこばっかりやろうとする。
私は足が遅いから鬼ごっこは嫌いだった。
だって捕まえられなきゃつまらないし
必死に頑張っても捕まえられなかったし
バリアとか使ってくるんだもん。
でも彼は私の扱いをこの頃から分かってたみたい。
「終わったら一緒にブランコ乗ろうね」
「うん!」
「俺タッチしていいよ。」
「いいの?」
「うん。いいよ。」
そう言う彼にタッチした。
「頑張って」
彼は笑って走っていった。
彼は足が早いからあっという間に
誰かにタッチして戻ってきた。
「じゃあブランコ乗ろ?」
彼はそう言って私の手を引いた。
好きな人が私の手を触れるなんて
恥ずかしくなって顔は赤かったと思う。
あのころの彼は私の夫となって
私のそばに居てくれる
“ブランコ”
それは私の人生の大きな1ピースになっている
─────『ブランコ』
漕げば漕ぐほど高くなる。
休んだからといって直ぐに止まる訳では無い。
人生はブランコに似てると思う。
歩けば歩くほど自分の将来に進んで、
けれども歩みを止めたらかといって
直ぐに止まるわけでもなく、時は進む。
きっと歩みを止めて休んだとしても
何かしら成長しているのだと思う。
ブランコも人生も漕ぎ続けたら、歩み続けたら
大変だし、疲れてしまう。
休憩しながら高く、前に。
進んでいけばいいと思う。
"ブランコ"
3日目
(飛べるブランコ)
崖のところにある古いブランコ。私はいつもそこでブランコをこいでいた。
ブランコは空を飛んだようになれるから。自分が孤独な人間でないように思えるから。
いつものように夕日を見ながらブランコをこぐ。
なんだか、夕日が手に届きそうだった。
暖かくて、ぽかぽかしてる夕日。
私は手を伸ばし空中に浮かんだ
ブランコ
今日は女の子。今日は男の子。今日は猫ちゃん。
長い年月を思い出し、懐かしみながら、今日もコクリコクリと動きます。
広い草原にある一つの物にすぎないけれど、それでもみんな、一緒に遊んでくれるから。だから、私はいつもコクリコクリと動けます。
みんな、ありがとう。
「ブランコ」
ブランコに乗る度に、小学生の頃を思い出す。
友達とどっちが高く漕げるか競ったり、
二人立ち漕ぎをして友達を落としてしまったり、
立ち漕ぎからジャンプして柵を越えるのを見て、
「あれはできないなぁ」と思ったりしたことを。
スリリングで楽しかった、あの頃。
刺激を求めていた、幼い私。
今じゃすっかり、安心安全が第一になっている。
そろそろ刺激を求めて、
漕ぎ出してもいいのかもしれない。
久しぶりにブランコに乗りにでも行こうかな。
もうすぐ春に、なるのだから。
.
バイト帰りに一人夜道を歩いていると、近所の公園の隅に、ブランコが見えた。
なんだかブランコに懐かしさを感じて、立ち止まって眺めていた。
ブランコを囲む小さな柵にはPPバンドが張り巡らされ、その領域への立ち入りを拒絶していた。
近付いてみると、暗さで最初は気付かなかったが、支柱に「老朽化のため使用禁止」と書かれた紙が貼られていた。
「こんばんは〜」
突然背後から声がした。
心臓が飛び出るかと思った。
振り向こうとすると、自分の前にそいつは立っていた。
いつの間に…?
「えっと…」
「あ、ブランコに乗りたいの?」
誰だこの子。
見覚えはないが、外見は普通に可愛いらしい少女。
家出とか追い出されたとか、そんな風には見えなかった。
恐らく自らここに来たのだろう、と感じた。
しかし、こんな時間に子どもが一人で出歩くことを許す親がいるとは思えない。
そんなヤツもこの少女も、自分の友人には居ないはず。
「…でも、来てくれて嬉しい。ありがとう。」
なんだか嫌な予感がした。
____きっと関わってはいけない、立ち去らなければ。
と思ったが、時すでに遅し。
少女が抱きついてきた。
「……あぁ、幸せ。待っていて本当によかった。」
一瞬、目眩と金縛りのような感覚があった気がした。
次の瞬間、目に映る世界は別世界に。
…どこまでも続いていそうな草原。
辺り一面が鮮やかな緑の世界に、突然現れた一軒家。
彼女が言う。
「私たちの家。どうぞ入って。」
なんだかさっきから頭がぼんやりする気がする。
さっきまで何を考えていたか忘れてしまった。
まあそのうち思い出すだろう、大事な事ならなおさら。
そういえば彼女、何をしているヒトだっけ。
まあそれも後で思い出すだろう。
なんて考えながら、とりあえず、彼女に付いて行く。
思考が行ったり来たりしている、ブランコのように。
………うん?ブランコ…?
それが『自分』の最後の記憶。
______そこから先のことは、もう分からない。
ブランコに腰かけて
しばらくぼんやり空を眺めて
そろそろ泣こうかと思っていたら
ちびっ子たちがやってきて
不思議そうにこちらを見つめた
その視線の無垢さに
恐ろしささえおぼえ
そそくさとその場を去った
後ろでブランコが揺れていた
白い雲が穏やかに流れる
あ、なんだ
そんなもんか
わたしの気持ちなんて
そんなものだったのか
晴れた空を見上げながら
わたしは笑い
やっと泣いた
【ブランコ】
【創作】【宵(よい)と暁(あかとき)】
2/4 AM 11:00
「お母さーん。ピザが食べたいです!」
「あるわよね。
ピザって、無性に食べたくなる時」
「お昼、ピザ注文してもいい?
それで、宵ちゃんと真夜(よる)くんも
呼んでピザパしていい?」
「好きにしなさい」
「やったぁ。……天明(てんめい)くんは
今日部活かなぁ。聞いてみよっと」
「……知らない子が出てきたわね」
2/4 PM 0:00
「こんにちは」
「お邪魔します」
「いらっしゃい、真夜くん、宵ちゃん。
いつもうちの暁の面倒をみてもらって
申し訳ないわね」
「面倒と思ったことはないです」
「……ありがとう。本当に2人には
感謝してるわ」
「宵ちゃーん、真夜くーん、おはよー。
ピザもついさっき届いた所なの。
熱い内に食べよ~」
「はいはい、今行くわ」
「……旭(あさひ)さん。
これ、うちの母から渡してって
頼まれたものです」
「『ブランコ』ね。
さすが夕月(ゆづき)、いいセンス」
「何もらったの? お母さん」
「ピザに合うスパークリングワインよ」
「へぇ~。じゃあ、お母さんも一緒に
乾杯しよ? わたしたちはコーラで!」
「(確かに親子でしゅわっとした飲み物が
好きだけど……。なんていうか
真夜くんたちの面倒見の良さは、
やっぱり夕月からの遺伝なのかしら)」
回旋塔が好きだった。
回る丸いジャングルジムも好きだった。
幼稚園の頃に乗っていたブランコは、鎖が長くて座面も低く、どんな子供が乗っても地面に足がつい た。ブランコの漕ぎ出しは地面に足をつけなければならないのだから当然のことだ。
小学校のブランコは幼稚園のものより座面が高くなっており、成長というものを否が応でも突きつけられた。
回旋塔も回るジャングルジムも、高学年にならなければ使ってはいけない決まりになっていた。鎖に繋がった遊具という意味では、ブランコと同じであるにも関わらず、だ。
始業式の翌日の五年生は、真っ先に校庭の回旋塔に向かっていった。
〈書けん。当日中に思いついたら編集して書く〉
「ブランコ」で初めに浮かぶのは、アルプスの少女ハイジのオープニングのあのシーン
あれって、前に行ききった後、今度は後ろ向きに延々と戻るのかな?
ふふふ
命綱無しの、スリル満点アクティビティ
後は、深夜誰もいない公園で、勝手に揺れてるブランコ・・・
ふふふ
だ〜れ〜・・・
子供の頃はブランコで酔ってたなぁ
あ〜
長〜いジップラインやってみたい
バンジージャンプやってみたい
気球に乗ってみたい
・・・どうやら刺激不足らしい
「ブランコ」
小学校時代、立ち漕ぎのできる奴は英雄だった。
立ったままブランコを大きく漕げれば漕げる程、周りから羨望の眼差しを集めた。
「怖くないの」
「ぜぇんぜん」
鼻を高くして英雄は自分の武勇伝を語る。練習なんかしなくても元々立ち漕ぎができたんだ。コツがいるんだよ。
それを聞いた仲間たちはわぁすごい、かっこいいねと色めき立つ。褒め称えられすっかり良い気分になった彼は声高らかにこう宣言した。
「俺くらいだと、立ち漕ぎしてその上からジャンプも出来る」
自信満々の英雄の一言に仲間たちは餌を見つけた鯉のようにわっと群がり食い付く。そして、案の定誰かが「やってみせて」と言った。それを聞いて堰を切ったように他の仲間も「見たい」「見せて」と次々声を上げる。
「仕方ないな、特別だからな」
そう語る英雄の膝が、微かに震えていたのを私は見逃さなかった。その理由も私にはわかっていた。
彼は最近従兄弟のお兄さんに立ち漕ぎのやり方を教わったばかりで、元々立ち漕ぎができたというのはまるきり嘘っぱちであることを知っていたのだ。夏休み中の公園で怖い怖いと言いながら、2人で練習している姿を見たことがあったから。
やめておけば、とは言えなかった。
彼の勇姿を見たくてたまらない仲間たちの手前、ここで変に口出しして雰囲気を壊したくなかったし、きっと英雄の面目も丸つぶれだろうと思ったから、口を噤んだ。
英雄の乗ったブランコが大きくしなるように揺れる。
「早く飛べ!」
彼の額には暑さのせいなのか、焦りのせいなのか、じっとり汗が浮かんでいた。
「早く飛べ!!」
周りのボルテージは最高潮だった。まるで闘技場で戦う剣闘士を煽る観客のように叫ぶ。
「飛べ!!!」
結果から話すと、英雄は飛んだ。
しかしそれは周りが望むような華麗なものではなく、ほぼ落下事故に近かった。
硬い地面に叩きつけられ、足を思わぬ方向に捻ったのかうずくまってうめき声を上げている。
ただ事ではない、と駆け寄ろうとしたがやはりそれも周りの言葉によって遮られた。
「できないんじゃん。嘘つき」
「自業自得だよ。偉そうにしといて」
「嘘つきとはもう遊ばない」
彼らは2、3言、地に落ちた英雄に向かってそう吐き捨てた。散々煽っておいて、自分たちの罪の意識を英雄の嘘に全て擦り付けた。
彼らが去っていった後、私は駆け寄って肩を貸そうとしたが英雄はこちらを睨みつけた。
「ほっといてくれ」
その剣幕に押され、私はいたたまれなくなってその場から逃げ去った。
夏休み明け、彼はギプスを填めて登校してきた。聞くところによるとあれが原因で相当靭帯を痛めてしまったらしい。片足を重そうに気遣いながら歩く彼の背に、もう英雄の面影は無かった。