『バレンタイン』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
そういえば 今日はバレンタイン!?
そっかそっか…
妻から毎年もらうと言ってたから
私の入るスキマは微塵もなく
そのまま今年も世間の賑やかさから離れていく私…
ふーっとため息を、あと何回ついたら
次のステージに進める!?
早く開放されたい あなたから
早く誰か 私を捕まえて…
早く 早く これ以上 私を惨めにさせないで…
#バレンタイン
バレンタイン。最近は義理チョコという文化がなくなりつつあるらしいな。
普通に考えてどうでもいい相手にチョコだのお返しだのはばかばかしい。その当たり前の事実にみんな気が付いたということだろう。
とはいえイベントになにもしないというのも寂しいものがある。なのかは知らないけど代わりに自分へのご褒美チョコが流行っているとかいないとか。
これまた普通に考えてどうでもいい相手にチョコあげるよか自分でチョコ食ったほうがいいのはあまりにも当然すぎる。
俺もチョコは好きで毎日食べている。食べ過ぎはいけないからお徳用の袋に入っている小さいやつを一日一、二枚程度だ。
俺が好きなのはカカオ多めのビターチョコ。カカオ78%とか書いてる健康系のチョコ。
アーモンドチョコとかも好きだけど結局チョコオンリーが一番だな。チョコを食うなら素直にチョコだけを食うのがいい。
世の中には色々とチョコがあるけどやっぱりビターチョコがいい。甘さ控えめがちょうどいい。
愛を表現する日バレンタイン、選択して伝える。愛とは何だろうと考えたとき私は、愛とは「執着」なのだと思いました。そう、強くひかれて深く思い忘れないこと。皆様は誰かの忘れられない思い出になれましたか?
今日、老人の健康麻雀会でチョコレートをもってきてくれたひとがいた。そうか今日はバレンタインデーか。そう言えば昨日高校生の孫がチョコレートを買ってきてと言って銘柄の記された包装紙を見せららた。くれるんじゃなくて買ってきてだった。
『バレンタイン』
「あなた、これ。今年のチョコね」
「あぁ……。ありがとう」
「今日も行ってらっしゃい」
「……あぁ。行ってくる」
歳が経つにつれ、チョコをもらう機会も、そもそも甘いものも食べる機会も少なくなった俺だが、お前が毎年くれるこの少し苦めのチョコレートだけは毎年嬉しい。表情が表に出やすい俺は、顔を隠したまま家を出た。職場に着いたら食べるとしよう。ハッピーバレンタイン。
______やまとゆう
日本でバレンタインデーが盛んになったのは昭和30年代頃で、女性が気になる人にチョコを贈る日ーーなどという独特な風習に変わって定着したのが昭和40年くらい、
1965年、つまり昭和40年生まれの私にとっては「なんて日だ!!」と叫びたくなる顛末が多かった。
すごく期待していたのに、もらえない日ばかりだったからだ。(母は除く)
今は義理チョコだとかチョコレート渡すのは気軽になったり、義理もないくらい廃れて来てるのか知らないが、
とにかく私の子供から思春期にかけてはチョコはそもそも高級品だったし、バレンタインデーはガチ勝負みたいな雰囲気があったのである。
当時、3人兄弟で、3時のオヤツに板チョコを3等分して分けていた記憶がある、
わが家が特別貧しかった訳ではないと思う。当時の平均的な家庭はそんなものだった。玉子がバラ売りされていて、1個20円くらい(今より高い)、その1個の生玉子を、普通に2人で分けて食べていたから。
「チョコは食べ過ぎると鼻血が出るからだめよ!」と母親や周りの大人からも注意を受けた。
いう事聞かずに1人で1枚の板チョコを全部食べたら直後に鼻血が出た。
さっき調べたら、食べ過ぎると鼻血が出るなどという事実はないらしいので、暗示にかかっただけのようである。
多分、高級品を子供にバクバク喰われては堪らないから大人がそういう事を言っていたのではないか?
そんな高級品だったから、渡す方だってそんなに気軽には渡せなかっただろう。1枚の重みが今とは少し違うのである。
残念ながら私はほとんどもらった記憶がないのだが、
小学3年生くらいの時、バレンタインデーの日に歩いていたら、女子高生が数人たむろして何やら楽しげに話をしていた。手にはチョコが入っていそうな紙袋を手に手に持っていたのである。
彼女たちのそばを通り過ぎようとしたその時、「ちょっと!」と女子高生の1人が私に声をかけてきた。
私はドギマギして、聞こえない振りをして足早にそこから離れ去ろうとした、
「ねぇ!!君!」私は顔を真っ赤にして走り出していた。
さすがに追いかけては来なかったが……
シャイな小学生であった。
勝手にチョコを渡されると思って逃げたのだが、
それは単なる私の思い過ごしだったのかも知れない。
今となったては永遠に分からない。
「はい、バレンタイン」
「あ、ありがとう。友チョコってやつ?」
「んー?まぁそんな感じ」
よかった、まだバレてないこの気持ち。
「本当に料理上手だよね~、今度教えてよ?」
「いいよ。じゃあホワイトバレンタインちゃんとお返ししてね?」
「もっちろん!」
あなたが好きだなんて、言えない。
友達としてじゃなくて……恋愛感情として。
でもきっと、この先もずっと気づかれない。
バレンタインは、ずっとこの想いを抱いて、1日過ごすことが多いのです。
チョコを買った。それもバレンタインチョコをバレンタイン当日に。
普通の子はみんな事前にあれはどうだあそこはどうだと事前に調べてると言うのに。
買ってそれをカバンに入れてからじわじわと後悔する。
どうしよう。
食べるか。
食べよう。
どうせだから友達と食べるのもいい。
友達にラインを飛ばせば近くにいた。
バレンタイン
貴方への、この魅惑的な感情は
こんな甘ったるい液体すら
苦く感じさせてしまって
貴方への、この膨らんだ妄想は
こんな可愛らしい容器には
収まりきらなくって
貴方への、この天邪鬼な態度は
こんな煌びやかなラッピングじゃ
カバーしきれなくって
今年のチョコレートは
貴方のせいで、一段と歪な物が
出来上がりそうですよ
バレンタイン
これ、あんたの。
押し付けられた小さな箱
恥ずかしそうにそっぽ向く君
バレンタイン
普段見られないいろんなチョコが見られて
自分へのご褒美に、ちょっと高級なチョコを買ってしまう日。
なんて楽しい!!
指先から夜に呑み込まれるように、透明になってしまう。
それは幻想的なものではなく、黒い恐怖が心臓に向かって纏わりつくような、生々しい不気味さがあった。
自身が死んでしまったことを自覚させる生物のようだなと思うと、口角が皮肉に吊り上がって、また沈んでいく。徐々に透明なものへと身体を侵食し、焦りに取り乱しながら一段、また一段。
ふらふらと上半身を揺らしながら階段を登り始めたのは泣いてしまいそうな時間に溺れて、投げやりになった思考回路が、もう一回死んでしまおうと切り替わってしまったからだ。
歩道橋で中心で立ち止まり、ごう、と威嚇する大きな風の音が横から髪を掻き乱した。
「わっ……!」
振り向けば、目を瞠るような美しい夜景が広がっていた。
大都市の中心部は、夜闇に飲み込まれながらひとつとつ異なる光を浮かび上がらせ、行き交う車は人の息継ぎが感じられる速度で駆け抜けていく。ひしめき合うように隣接するビルは側面の細長い硝子に反射し、屈折したライトを散らしながら青い夜に染まっていた。
風に向かって翳した透明の手のひらを呑み込む美しい世界。頭の中で絡まった糸がするすると解けて澄んだ空気が流れ込んでくる。
まだ、生きてみたい。差し込む光は透明になりきれない自分自身にとって希望のように眩しいものだった。
バレンタイン
2/14は誰しも喜ぶバレンタインの日。
バレンタインの日は誰からくれるのかそわそわしながら待つ人や好きな人からもらえる喜びの人で全く違うそんな日。
だけど嬉しい日なのにもらえなかったときの悲しさと悔しさはわからなくもないそんな日だ。
バレンタインって好きな人に告白するイベントだよね。
だけど好きな人に告白してもフラレてしまってかわいそうな日になることだってある。
そんなツラいイベントだったりもするよね。
だからあまりバレンタインで喜ぶ人って少ない日でもあるし、なんだその世界は?ととぼける人だって出てくるんだ。
だからこういうイベント事はあまり好きじゃないのもわかるかもね。
みんなチョコもらえるなんて思ってないもんね。
あ、チョコが苦手で食べれないって人もいたよね。それはそれでツラいな…💦
バレンタインって浮かれやすいけど気をつけないとね。
終わり
とある姉弟はスナック菓子パーティを開催していた。
バレンタインデーというお気持ち搾取イベントに辟易し、耐えられなくなったことからの急な開催だ。
姉の言い分はこうだ。義理チョコ、友チョコ、お世話になっているが故のチョコを用意しなければならないという点で負担が大きい。買ったものを渡すにしろ、チョコ菓子を作るにしろ、時間と労力と金銭を捧げなくてはならない。好意の差をつけるなら尚の事。そんなものやらなければいいという人もいるが、やらないという選択を取ったことで「そういう人」レッテルを貼られ、ケチを付けられることもある。社会人のお歳暮文化のようなものだ。穏やかな暮らしのために金銭を包むのを良しとする文化の亜種だ。
弟の言い分はこうだ。貰うにせよ貰わないにせよ、晒し者になる。好きの重さに程度があることを度外視した奴らのせいで、男女間のすれ違いや勘違いからの事故もおこる。貰ってしまえばお返しをしなければならず、そのお返しのセンス次第で人格否定までされかねない。気持ちのやり取りにしてはあまりにも重すぎるイベントだ。
炭酸入りのオレンジジュースで乾杯をし、日陰者同士で意見が合致したことを嬉しく思う。
我らの同士もまだどこかに隠れているはずだ。弟は言う。
彼ら彼女らを救い、共に手を取り、たった一日のために気分を暗く気を張り詰めて暮らさぬようにせねば。姉は言う。
二人の戦いの始まりは、ここからだった。
2045年、2月。
大手製菓のチョコレート工場が、「バレンタイン撲滅活動推進派」を名乗る組織に占拠された。彼等は人質をとり、企業に声明を出した。
人の気持ちを搾取するバレンタイン文化の推進を辞めよ、と。
バレンタイン チョコの代わりに歯が浮く台詞を君にあげる。
バレンタイン。
それは、私にとって決戦の日だ。
好きな人にチョコを渡す。
その筈だった。
なんでなのよ、私熱出しちゃったのよ
翌日、バレンタインデーが終わって浮かれた気分も終わっちゃってる。
でも大丈夫だよね、朝四時から作り直したし、絶対幼馴染に渡す。
『教室の前で立ち止まってどうしたんだ?』
『あ、健斗。一日遅れのバレンタイン』
健斗は、驚きもしなかった。
『ありがとな、あの約束忘れてねぇからな』
健斗はからかうのが上手だ。私たちがまだ保育園で砂場遊びをしていた頃、私から言ったあの言葉。
『好きなの、だからしょうらい、けっこんして!』
その後、私は教室に入れず予鈴がなるまで顔を冷やすので精一杯なのであった。
そうして、高校を卒業、大学を卒業した所で私は正式にプロポーズを受けた。
その日も、高校で一日遅れで渡したバレンタインデーと同じ二月十五日の朝。
それを子供たちに聞かせると、『今もラブラブだよ』って返ってくるぐらい、あの頃の甘くて幸せなチョコのようなひと時を過ごしていると実感できたのである。
〈バレンタイン〉
目が覚めて、仰向けのまま伸びをする。
視線だけ、チラ、と勉強机を見遣る。机の上には、割と大きめな紙袋があって、中身が少し溢れそうになっていた。
昨日はバレンタインデーで、明らかに義理なものも、本命なのかなというものも、たくさん貰って。でも、本当に貰いたかった相手からは、貰えなかった。
(……他の誰かには、渡したのかなあ。)
なんて、ぼんやり思う。同時に、自分から渡せばよかったとも思う。今の時代、女から男に渡す一方的なイベントでもあるまい。
思い立ったが吉日だ。元気よく起き上がって身支度を済ませると、いつもより少しだけ早く家を出た。
(この時間じゃ、きれいに包んだのは買えないし、アレ…かな)
電車に揺られながら、少し前に見かけた、青い箱パッケージのビスケットチョコを持ったあの子を思い浮かべた。付き合ってほしいなんていう大層なものじゃなくて、単純に喜ぶ顔が見たい。気持ちがちょっとだけでも伝われば、なお良いが。
そうこう考えているうちに降りる駅に着く。まず目指すべきは駅前のコンビニだ。駆け足気味で改札を抜けた。
とろり。
苦い苦い、チョコを型に流し込む。
だれにも、渡すものか。
「うん。2月14日は『バレンタイン』。知ってた」
予想通り。だって行事ネタと空ネタと恋愛ネタのお題が多いこのアプリだから。
物書きは過去のお題の出題傾向を、それをまとめたメモをスワイプしながら、ポツリ。
このお題が来ることは、だいたい理解していたのだ。
ただ「予想できる」と「すぐ書ける」は別物。
不得意なのだ。 貰った試しが無いから。
「……でも『ホワイトデー』は書いた記憶ねぇな」
正直なところ、ホワイトデーやバレンタインの、売れ残ってしまった3割引5割引をウォッチするのが楽しみで、そちらをメインイベントとしたい説。
物書きは提言した。残り物にはきっと、福がある。
――――――
昨今のバレンタイン事情、報道によれば、どうやら義理チョコが衰退してきて、推しとか自分用とか、本当に感謝を伝えたい人用とかに、傾いてきている様子。
ゆえにチョコが貰えなくたって、全然寂しくないのです。まったく、寂しくないのです。涙は拭きます。
そんなこんなの物書きが、「バレンタイン」をお題に、こんなおはなしをご用意しました。
都内某所、某アパートの一室、夜。
部屋の主を藤森といいまして、どうやら親友が遊びに来ている様子。親友の名前は宇曽野といいます。
「低糖質チョコ3種類と、ミニクラッカーと、砂糖少なめホイップクリームと?これで合わせて?」
「税抜き700円程度。ホイップのディップ容器に、100均のタルトカップを使っている」
今日はバレンタイン。藤森と宇曽野が二人して、
小さく丸いクラッカーに真っ白ホイップ、それから小さなキューブチョコをのせて、チョコパーティーなど、しておったのでした。
「七味、なかなかイケるな」
ホイップチョコ付きのクラッカーに、赤い小瓶を振りかけて、宇曽野が言います。
味変のオトモは各種調味料。七味にジンジャーに黒こしょう、シナモンや刻みレモンチューブも控えます。
ワサビチューブとか、完全に罰ゲーム……?
「いや、意外と、ホイップが刺激を軽減して」
藤森、興味本位でほんの少し、緑を絞っていざ毒味。
ワサビチューブの原材料に、どうやら食塩が一緒に入っていたようです。
「甘じょっぱい……?」
感覚的に、ワサビ風味の塩バニラ、かもしれない。
藤森、このクリーミーとジャパニーズスパイシーの不思議な組み合わせに、更に緑を絞りまして、
「……ァッ、違う、ダメだ、からい!」
小さな小さな、悲鳴を上げました。
「で、藤森」
「なんだ、『もう少しワサビ絞ってみないか』と言われても、私、やらないぞ」
「何故今日俺を誘った?いつもはバレンタインなんざ、気にも留めないお前が?」
「昨日後輩に、焼き肉食べ放題とチョコレートオンリービュッフェに連れ出された」
「人が多過ぎて疲れた?」
「酔った後輩とその友人が講義を始めた」
日頃、感謝を感謝として、小さく伝えておくことの重要性と意義だとさ。
ワサビでヒリヒリした舌を、ちょっと濃いめのお茶でなんとか流して、藤森、宇曽野に言いました。
焼き肉屋では、「日頃から感謝を伝えておかないと、神絵師も文豪様も消えてしまうのだ」ということ。
チョコビュッフェでは、「デカい荒らしの単発を癒せるのは、小さな感謝DMの継続だ」ということ。
それぞれを、藤森の後輩とその友人が、それはそれはもう、力説しておったのでした。
なんということでしょう。藤森の後輩とその友人、元二次創作の物書き乙女だったのです。
ただ藤森、二次もナマモノも知らんので、
ただ藤森、「要は善良な感情を表に出すことの重要性」とだけ聞き取りまして、
ならば、「ちょっと親友の宇曽野にでも、実践してみようか」と。思い立ったのでした。
「宇曽野。こんな捻くれ者の堅物で、面白みも無い私だが、それでも十数年つるんでくれて、本当に――」
せっかくの、好意を伝えるバレンタインだ。
告白でも何でもないが、ただ感謝だけ、伝えておく。
ありがとう。
お茶で口元を隠して、藤森、宇曽野に言いました。
対する宇曽野は後輩の言う「神絵師」だの「文豪様」だのを、自分の一人娘と愛する嫁さんのおかげで、ちょっと、ほんのちょっと知っておったので、
うん、お前はそのまんまで良いよと、心の奥で、ポツリ言いましたとさ。 おしまい、おしまい。
バレンタインといえば、やはり国生さゆりさんですよね!