『カレンダー』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『カレンダー』
2072年のカレンダー
自分の誕生日に花丸をつけた
これはわたしの死亡予定日
人生の終着地点
日本の平均死亡年齢は
男性が81歳、女性は87歳らしい
早い、遅いはあるけれど
だいたいこれくらいの年齢で
みんな死ぬ
家族だって恋人だって
恩師だって友人だって
例外はない
終着地に到達したときに
笑っていられるように
愛する者たちと同じ時を時代を過ごせる
奇跡を感じれるようになるために
わたしは花丸をつける
今日はあの人の誕生日だった。
明日から、またカレンダーに×印をつける日が始まる。
次の記念日まで、あと365日。
//カレンダー
部屋に置いてあるサイコロカレンダーを今日の日付に変えた
[今日じゃん、そういえば冷蔵庫にケーキ作れるだけの材料あったよね]
今日は同棲している彼氏の誕生日だった
オンラインでのカウンセリングの仕事をしている私より中学で教師をしている彼氏の方が起きる時間が圧倒的に早いため朝は顔を合わせるタイミングがまるでないのだった。
その代わりに夕飯は一緒に食卓を囲むことが多い
午前の仕事が終わったら
お昼ご飯ついでに足りない材料買いにいこうかな
買い物が終わって、軽い昼食を食べる
シンプルなショートケーキが1番かなと思い
スポンジの生地を作り、その間にオーブンで予熱を入れる
メレンゲを泡たてそれを生地に加える
型に流し込み空気を抜く
予熱したオーブンにそれを入れ、その間にいちごなどのフルーツを切っておく
ひと段落ついたところで一旦作業をストップさせ、
夕飯の準備に取り掛かる
普段より少し気合いを入れて
メニューは
[エビフライ、ピラフ、スープにサラダ]
ピラフは本当に大好きなようで毎回お変わりをして、すぐに炊飯器は空っぽになってしまうのだった
給食に出たら毎回嬉しそうな顔をして[今日ピラフやった!!]と嬉しそうに報告してくれるのが本当に可愛い
炊飯器の電源を入れ、スープに入れる人参、じゃがいもなどの野菜を切り、鍋に水、切った野菜を入れて、コンロの電源をつけるエビフライの下準備を終えた頃
ちょうどタイミングよく
焼きあがって、型からだし、冷ます
その間に飾り付けの準備を進めていく
チョコプレートにhappeningの文字を書くのは未だに慣れないでいて苦戦してしまうのだった
苦戦しながら書き上げた頃様子を見てみると冷めていた
半分くらいに切り生クリームを載せ、ヘラで伸ばしていく
半分くらいに切ったいちごを載せ
その上にスポンジを重ね、同じようにクリームを乗せていく
切っていないいちごを感覚を開けながら乗せていく
間にクリームを絞り込み
仕上げにチョコプレートを載せればバースデーケーキの完成だ
完成したばかりのケーキを冷蔵庫に入れたところで
夕飯の準備に取り掛かる
油を弾いて、衣つけしたエビをフライパンに入れる
ついでにスープの中に火が通りやしすい、玉ねぎ、レタスなどを加える
お皿にキッチンペーパーを乗せ、エビフライを載せる
一息ついた時に
[もうそろそろで帰れそうご飯なにか楽しみ]
あ、LINE来てるいつもは献立ここで教えるけど今日はお楽しみにしようっと
[お疲れ様、今日のご飯は着いたらわかるよ]
運転中かもな
少しづつ、喜ぶ顔を想像しながら準備を進める
どんな反応してくれるかな
お題[カレンダー]
No.55
カレンダー
昔はただ
日付を確認するだけだった
この頃は
ああ もう少しであのひとの誕生日
この日はあのひとの命日
あと幾日で あのひとに会える
誰かを思って
眺めるようになった
自分の生きる時間を
誰かの生きた時間を
思い起こすようになった
こうやって人生は
少しずつ広がって
少しずつ離れがたいものになる
「カレンダー」
書いた覚えのない予定が増えていく
今週末はお葬式の予定が入っている
一体誰の葬儀なのだろう
「カレンダー」
ペンを持つ。緩やかに、尚且つ直ぐにペンは軌道に沿って、文字を書いていく。
少し考えれば、その通りに文字が書かれていく。
文の最後に丸を書いた。ゆっくりと、綺麗に。
『書けた』
自分の声に、少し驚いた。
誰もいないとはいえ、家中に響くような声だった。
ふう、とため息を吐く。
視線は、虚空に向いていた。
勉強机に座る。特に、勉強をしたいわけでもなく、座る。
肘をつき、虚空を見つめる。なにもしたくなかった。
視線の先には、カレンダーが見える。
大きく、月と日にちが振られている。
そこには、遠目からはびっしりとした文字列が並んでいた。
日程を書くようになったのは、いつからだったか。
毎日毎日、特に考えることなく、過ごしていた。
ボーッと授業を聞いて、特になく休み時間を過ごして。
それを思い起こそうとすると、その隣には、なぜかいつも君がいる。
確か、君は少し忘れっぽいんだったか。
意図的なのか、そうでないのか、自分に嫌なことは『忘れちゃった』と言いながら、ふわりと笑う。
だから僕は、ほんの少し手を焼いていた。
そうだ。この習慣は君が原因だ。
君と、いつか話していたとき。
『ねえ』
いつものように、でもいつもより少し哀しげに君は問うた。
なに、といつも通りに返すと、君は頬を緩めながら言った。
『私が忘れても大丈夫なように、日記とか、日程とか、書いてよ』
なんで、と当時の僕は言ったのだろう。
でも君はなにも答えることなく、笑顔で返したんだろうな。
『大丈夫』と。
今だったら分かる。どうしてあんなことを言ったのか。
なんであのときああ言ったのか。
君は、記憶喪失になったらしい。事故だったそうだ。トラックに引かれて。
命こそ大丈夫なものの、体はほとんど死んでいる。精神だって、ほとんど、眠っている。
自ら身を投げ出したのか、ただの事故か。分からない。
分からないけれど、あのとき言ったのは、自らそう、成りに言ったんじゃないのか?
そう、自己解決しようとしてしまっている。今では、もうわからない。
ただ、この「カレンダーに日程を書く」ということだけが、習慣として、身に染みてしまっている。
もう一度、書いた日程を見る。特に面白くはない。ないけど。
これが君の遺言なんだと、僕はただ、思っている。君が残した、言葉なんだ、と。
君の見たかったことなんだろう、と。
誰かに優しく微笑まれた、気がした。
君の誕生日が来る度に受け取ってくれもしないプレゼントとケーキが机に置かれているのさ
カレンダーをめくると、赤丸がついていた。
"ついていた"と言ったが、つけたのは他でもない私だ。
1年前、私が"私"を失った日の印。
私の1番古い記憶は5歳の時。母が病床から私に話しかけてくれている記憶だ。
「あなたはね、本当は双子だったの」
元来あまり体が丈夫ではなかった母は、妊娠出産は難しいかもしれないと医者から言われていたが、それでもどうしてもと願い、周囲を説得して妊娠に踏み切った。
「エコーで見たのよ。小さい丸いのが2つあったの」
これはその当時のことを、母が私に話してくれた時の記憶だ。
「でもね、その後少しして、1つは消えてしまったの」
病床の母は白くて細くて、今にも消えてしまいそうなほど儚かった。
「悲しくて悲しくて、たくさん泣いたの。でもね、あなたのお父さんが「きっとその子は、キミに負担をかけまいと思って身を引いてくれたんだろう。そしてきっとこの子は、キミに淋しい思いをさせまいと思って生まれてきてくれるんだろう。優しい子たちだね。」って、一緒に泣いてくれたのよ。」
母は目に涙を浮かべながら、笑顔で話していた。
「だから私は、2人のために一生懸命生きようって誓ったの」
私を産んだ後の母の、それまでの病弱さが嘘だったかのようなハツラツとした様子に、周囲の人たちも驚いたらしい。家事も育児もそれはそれは楽しそうにしていたんだよ、と父が後に教えてくれた。
「あなたが日々どんどん成長していくのが嬉しくってね」
しかしそんな日々は長くは続かなかった。その冬に肺炎になってしまったことで、状況が一変した。
母は見る見る内に生気を失い、この頃には床から起き上がることさえ困難になっていた。
「あなたは1人だけど1人じゃないの。忘れないでね。生まれてきてくれて、ありがとう」
それが私が聞いた、母の最後の言葉だった。
しかし私は気付いていた、自分が1人じゃないということに。
頭の中で声が聞こえるのだ。楽しい時には"たのしいね"、悲しい時には"なかないで"。公園から道路に飛び出しかけて"あぶない"と止められたこともある。
自分じゃないもう一人の自分。それが母の最後の話でようやく納得できた。
あれから10年。母はあの後すぐ亡くなった。母を一心に愛した父は再婚もせず、私を男手一つで育ててくれている。
もう一人の自分も変わらずだ。基本的に"おはよう" "いいね" "だめ"などの一言しか発さないが、そのたった一言でも、私にとっては生きる支えになっていた。そうやってこれまで生きてきた。これからもそうやって生きていくつもりだった。なのにここ最近、その声が少なくなってきている。
声が減少し始めたのと同時期に、腹痛が増えたことに気付いた。最初は我慢できていたが、最近は動けなくなるほど痛い。
腹痛のせいで食欲が減り、痩せていく私に気付いた父に連れられ病院へ行くと、医師から、腹部にかなりの大きさの腫瘍があり摘出しなければならない、と告げられた。
私は悟った。"それ"がもう一人の自分だということを。声が少なくなっているということは、終の別れが近いということを。
そして覚悟を決めた。
術後、目が覚めた時の喪失感は、思った以上に私にダメージを与えた。15年一緒にいたもう一人の自分を突然失ってしまったのだ。決めたはずの覚悟は脆くも崩れ去り、私は涙に暮れた。
ボロボロ泣きながら、父に、10年前に母に言われたこと、これまでもう一人の自分と生きてきたことを話した。
「そうだったのか」
父も泣いていた。私の手をそっと握ると
「それで、どうしたい?」
と訊いてきた。思いがけないことを訊かれ戸惑っていると
「これから先、何もなかったように暮らしていくことは可能だろう。でもアナタは、今まで一緒に生きてきて、お別れするのだから、それなりのけじめというか区切りみたいなのが必要じゃないかい?」
確かにそうかもしれない。小さく頷くと
「また一緒に考えよう」
父はやはり優しかった。
退院後、父と一緒に母のお墓参りに行った。
墓石の側面、母の名前の隣に、父と一緒に考えたもう一人の自分の名前を彫ってもらった。
手術の日を没日として、そこを区切りとした。
これから1人で生きていくことが怖いと言うと
「たくさんの出会いがあるよ」
と父は優しく微笑んだ。
―――Vanishing
#66【喪失感】【カレンダー】
#カレンダー
私はカレンダー通りに過ごすことができない。
カレンダー通りに生きるなんて、自分で自分の首を締め付けて閉まっているようで。
カレンダー通りに生きるなんて、誰かに人生を支配されているようで。
どうしても、その通りに生きることはできないのだ。
気ままに行きたい。流れる雨のように。
さて、今日はどんな一日になるのかな。
「日記を歩く」
本棚を整理しながら
数年前の日記に
手が伸びた
カラフルなペンで彩られた
行間の間を歩く
目が覚めるだけで
胸いっぱいに
しあわせが
広がっていた朝があった
好奇心の向かうまま
やりがいに燃えた昼があった
ヒールを履いて
るんるんと
駆け出す夕があった
ときめきが
色とりどりに
舞っていた
懐かしい友人に
出会ったように
きゅうと心が締め付けられる
わたし少し
卑屈になりすぎたかもしれない
開かれた日記
もう鍵を閉めることがないように
#カレンダー
(過去の詩から)
可憐ダー
愛犬の名はマル。
猛暑日が過ぎて散歩がしやすくなってきた。
今日も友達の猫のオニ君に出会ってご挨拶。
夏休みを示すカレンダー
蝉の鳴き声のしない部屋
「こうすればずっと夏休みだろ」
なんて戯言を証明することもなく
今日も制服を着る
カレンダー
まるしておいても忘れるなんて
ほんとに興味がないのかしら?
2人で決めた1か月前
楽しみにしてたの私だけ?
女の恋愛は減点式だよ。
いつか来る零点はきっと涙も出ないわ
めくって、めくって
めぐるめぐる
春夏秋冬(ひととせ)をすごして
今日もまた、まるをする
#カレンダー
今日のお題 カレンダー
世の中便利。リビングに貼ってあった大判のカレンダーは消え、スマホのカレンダーソフトで予定はつける。
だけど予定は未定。
すっぽかして謝り倒したり、納品日を心待ちにしてカレンダーを眺めていたのに、気がつくと過ぎていて…
俺にはカレンダーは気休め。
あると便利だけど、肝心な時は忘れてしまう。
リマインダーなんて便利な機能があるけれど、そもそもメールの確認さえ怠る俺。
一番役に立っていたのは、年末にもらった大判のカレンダー。マジックで殴り書きしても嫌がおうにも目についていた。
さてアンインストールして、大判カレンダーの復活だ
月めくりカレンダーを作っている方々。
月に6週分のスペースを確保して下さい。
ほとんどの人は何のこっちゃとお思いでしょう。
でも23、24、30、31日が誕生日の人は
気づいてくれたかもしれません。
もちろんこの日に生まれても別にいいじゃんと
思ってる人が大半だと思います。
が、敢えて言わせて下さい。
1日が始まる曜日次第で、これらの日にちが
同居を余儀なくされていることを。
2月は29日までなので問題ないですが
30日ある月は1日が土曜始まりだと、23と30日が同居を。
31日ある月は1日が土曜始まりだと、23と24が30と31日と
1日が金曜始まりからでも、24と31日が同居をするのです。
もちろんそれで何が困るでもありません。
ただ、カレンダー上で自分の誕生日が肩身の狭い思いをしてる
気がしてならんのです。
それと特にうちのカレンダーは日付下にあるメモ書きの空欄に
30日、31日を詰め込んで、その日は空欄無し状態です。
23、24、30、31日にだってメモ書きに誕生日等の記述を
させてほしいのです。
月めくりカレンダーを作っている方々。
年末24と31日が同居します。
来年は間に合いませんので再来年は月6週分のスペースを
検討してみて下さい。
▼ カレンダー
日付すら左程気にしないタチではあるが、季節の変わり目くらいには気付く
気温や街の外観の変化、空気
肌寒さを感じる季節になると、妹がキッチンに籠る
『出来上がるまで見ちゃだめっ』
どんなものでも気持ちがこもっているのが嬉しくて、つい顔を綻ばせてしまう
それも、今年はない
端末のカレンダーを見て、思い出に浸っていると。
背後から軽快な電子音。
ドアホンに映るのは見知った顔。
呆気に取られている間に、反応がないのを不審に思ったのか何度も鳴らされる。
慌てて解錠をして玄関へ向かった。
「テメェッ、何べん鳴らすんだ!つか、何しに」
「誕生日、」
「あ?」
「おめでとう、×××」
ビニール袋一杯に入っている缶ビールを渡されて、ぐっと息を呑む。
いくらなんでもここで追い返す程無情ではない。
渋々中へ通して、何となく、警戒をしながらキッチンへ入る。
「相変わらず殺風景だな。空間が勿体ねぇっつーか」
「ケチつけてんじゃねぇ。酒だけか、コレ」
仕方なく肴を用意して、ふともてなしてる自分に気付く。
(違う。絆されてる訳じゃねぇ。好意なんだ仕方ねぇ、仕方、)
意識を飛ばしていたせいか背後に気配を感じるのが遅れて、反射的に睨み付けた。
「カレンダーに丸付けて、今日を待ってた」
(何の為に)
答えは声にならなかった。
カレンダー
カレンダーの印を今日も書き朝が始まる。
あと何日待てば君に会えるのだろう。
24時間中君のことを考えて仕事して、家事をして。
なのにいくらたっても君に会えない。
だって、君はもうこの世にはいないもんね。
あと2日。やっと会えるよ。
2日後は君の命日
お参りに行くからね。待っててね。
織姫と彦星は年に一度の七夕の逢瀬を心待ちにしているが、雨になるとカササギの橋はかからないと聞く。
だが、幼い頃から七月七日は雨の日だった。
それもそのはず、七月七日は梅雨も明けたか明けぬか分からぬ季節。こんな日にこんな行事を設けるなんて昔の人は馬鹿なのかと思った。
お陰で織姫と彦星は年に一度どころか、十年に数度しか会えぬ有様である。
恋人との逢瀬が年に一度、それだけでもつらいのに。
この二人を思うと胸が痛くてたまらない。
自分が恋を知り、その幸せを知ってからはひとしおだった。
「ねぇ、あなた。酷い話だと思わない?」
「優香は多感だねぇ」
「むー。私が欲しいのはそうじゃない」
ごめんごめんと笑いながら謝る彼が、教えてくれた。
「七夕が雨ばかりなのは新暦になったからなんだよ」
言われて、気づく。そういえば昔は太陰暦を使っていたんだっけ。習ったことはあったが、それとこれとを結びつけたことは無かった。
「じゃあ、旧暦の七夕はいつ頃だったの?」
「大体1ヶ月先だから、8月くらいじゃない」
ってことは梅雨も明けて夏真っ盛りじゃない。
「織姫と彦星も昔は結構会えてたわけね」
「今でも陰暦で七夕を祝う地域もあるけどね」
「え、そうなの?」
知らなかった。
勝手に昔の人を馬鹿にしていたけれど、私が知らなかっただけだなんて。
話し出した彼は饒舌だ。知識をひけらかしたい顔をしている。
「七夕の頃の月って分かる?」
「月?」
あんまり考えたことがない。七夕に月の絵なんて書いてあったっけ。
「三日月?」
「違う。上弦の月」
陰暦の七日は大体上弦でしょって。
言われてみればその通りだが、馴染みのない陰暦の話についていけない。
「詳しいね、すごいすごい」
話題に飽きてきた私は適当に褒めて、そしたら彼が嬉しそうに笑った。
頭がいいんだか悪いんだか、そういうところが可愛くて好きだ。
「ねぇ」
「なに?」
「あなたは雨でも迎えに来てね」
明日は付き合って3年10か月の記念日
そして明後日は振られて4か月記念日
カレンダーを見るたび、楽しかった思い出と、苦しい思い出がたくさんあふれてくる笑
君が買ってきた日めくりカレンダー。
今日は9/12で、カレンダーは7/27。
めくれるのは買ってきた者の特権だ!とか言ってたのに、熱心にめくってたのは最初の一週間だけだったな。
途中からめくるのは俺の役割になった。
俺がめくらなくなって48日経った。
君がいなくなって明日で49日になる。
俺はそのことを、まだ受け入れられないでいる。