傾月

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カレンダーをめくると、赤丸がついていた。
"ついていた"と言ったが、つけたのは他でもない私だ。
1年前、私が"私"を失った日の印。

私の1番古い記憶は5歳の時。母が病床から私に話しかけてくれている記憶だ。
「あなたはね、本当は双子だったの」
元来あまり体が丈夫ではなかった母は、妊娠出産は難しいかもしれないと医者から言われていたが、それでもどうしてもと願い、周囲を説得して妊娠に踏み切った。
「エコーで見たのよ。小さい丸いのが2つあったの」
これはその当時のことを、母が私に話してくれた時の記憶だ。
「でもね、その後少しして、1つは消えてしまったの」
病床の母は白くて細くて、今にも消えてしまいそうなほど儚かった。
「悲しくて悲しくて、たくさん泣いたの。でもね、あなたのお父さんが「きっとその子は、キミに負担をかけまいと思って身を引いてくれたんだろう。そしてきっとこの子は、キミに淋しい思いをさせまいと思って生まれてきてくれるんだろう。優しい子たちだね。」って、一緒に泣いてくれたのよ。」
母は目に涙を浮かべながら、笑顔で話していた。
「だから私は、2人のために一生懸命生きようって誓ったの」
私を産んだ後の母の、それまでの病弱さが嘘だったかのようなハツラツとした様子に、周囲の人たちも驚いたらしい。家事も育児もそれはそれは楽しそうにしていたんだよ、と父が後に教えてくれた。
「あなたが日々どんどん成長していくのが嬉しくってね」
しかしそんな日々は長くは続かなかった。その冬に肺炎になってしまったことで、状況が一変した。
母は見る見る内に生気を失い、この頃には床から起き上がることさえ困難になっていた。
「あなたは1人だけど1人じゃないの。忘れないでね。生まれてきてくれて、ありがとう」
それが私が聞いた、母の最後の言葉だった。

しかし私は気付いていた、自分が1人じゃないということに。
頭の中で声が聞こえるのだ。楽しい時には"たのしいね"、悲しい時には"なかないで"。公園から道路に飛び出しかけて"あぶない"と止められたこともある。
自分じゃないもう一人の自分。それが母の最後の話でようやく納得できた。

あれから10年。母はあの後すぐ亡くなった。母を一心に愛した父は再婚もせず、私を男手一つで育ててくれている。
もう一人の自分も変わらずだ。基本的に"おはよう" "いいね" "だめ"などの一言しか発さないが、そのたった一言でも、私にとっては生きる支えになっていた。そうやってこれまで生きてきた。これからもそうやって生きていくつもりだった。なのにここ最近、その声が少なくなってきている。
声が減少し始めたのと同時期に、腹痛が増えたことに気付いた。最初は我慢できていたが、最近は動けなくなるほど痛い。
腹痛のせいで食欲が減り、痩せていく私に気付いた父に連れられ病院へ行くと、医師から、腹部にかなりの大きさの腫瘍があり摘出しなければならない、と告げられた。
私は悟った。"それ"がもう一人の自分だということを。声が少なくなっているということは、終の別れが近いということを。
そして覚悟を決めた。

術後、目が覚めた時の喪失感は、思った以上に私にダメージを与えた。15年一緒にいたもう一人の自分を突然失ってしまったのだ。決めたはずの覚悟は脆くも崩れ去り、私は涙に暮れた。
ボロボロ泣きながら、父に、10年前に母に言われたこと、これまでもう一人の自分と生きてきたことを話した。
「そうだったのか」
父も泣いていた。私の手をそっと握ると
「それで、どうしたい?」
と訊いてきた。思いがけないことを訊かれ戸惑っていると
「これから先、何もなかったように暮らしていくことは可能だろう。でもアナタは、今まで一緒に生きてきて、お別れするのだから、それなりのけじめというか区切りみたいなのが必要じゃないかい?」
確かにそうかもしれない。小さく頷くと
「また一緒に考えよう」
父はやはり優しかった。

退院後、父と一緒に母のお墓参りに行った。
墓石の側面、母の名前の隣に、父と一緒に考えたもう一人の自分の名前を彫ってもらった。
手術の日を没日として、そこを区切りとした。
これから1人で生きていくことが怖いと言うと
「たくさんの出会いがあるよ」
と父は優しく微笑んだ。


―――Vanishing


             #66【喪失感】【カレンダー】

9/12/2023, 9:17:31 AM