「カレンダー」
ペンを持つ。緩やかに、尚且つ直ぐにペンは軌道に沿って、文字を書いていく。
少し考えれば、その通りに文字が書かれていく。
文の最後に丸を書いた。ゆっくりと、綺麗に。
『書けた』
自分の声に、少し驚いた。
誰もいないとはいえ、家中に響くような声だった。
ふう、とため息を吐く。
視線は、虚空に向いていた。
勉強机に座る。特に、勉強をしたいわけでもなく、座る。
肘をつき、虚空を見つめる。なにもしたくなかった。
視線の先には、カレンダーが見える。
大きく、月と日にちが振られている。
そこには、遠目からはびっしりとした文字列が並んでいた。
日程を書くようになったのは、いつからだったか。
毎日毎日、特に考えることなく、過ごしていた。
ボーッと授業を聞いて、特になく休み時間を過ごして。
それを思い起こそうとすると、その隣には、なぜかいつも君がいる。
確か、君は少し忘れっぽいんだったか。
意図的なのか、そうでないのか、自分に嫌なことは『忘れちゃった』と言いながら、ふわりと笑う。
だから僕は、ほんの少し手を焼いていた。
そうだ。この習慣は君が原因だ。
君と、いつか話していたとき。
『ねえ』
いつものように、でもいつもより少し哀しげに君は問うた。
なに、といつも通りに返すと、君は頬を緩めながら言った。
『私が忘れても大丈夫なように、日記とか、日程とか、書いてよ』
なんで、と当時の僕は言ったのだろう。
でも君はなにも答えることなく、笑顔で返したんだろうな。
『大丈夫』と。
今だったら分かる。どうしてあんなことを言ったのか。
なんであのときああ言ったのか。
君は、記憶喪失になったらしい。事故だったそうだ。トラックに引かれて。
命こそ大丈夫なものの、体はほとんど死んでいる。精神だって、ほとんど、眠っている。
自ら身を投げ出したのか、ただの事故か。分からない。
分からないけれど、あのとき言ったのは、自らそう、成りに言ったんじゃないのか?
そう、自己解決しようとしてしまっている。今では、もうわからない。
ただ、この「カレンダーに日程を書く」ということだけが、習慣として、身に染みてしまっている。
もう一度、書いた日程を見る。特に面白くはない。ないけど。
これが君の遺言なんだと、僕はただ、思っている。君が残した、言葉なんだ、と。
君の見たかったことなんだろう、と。
誰かに優しく微笑まれた、気がした。
9/12/2023, 9:21:25 AM