『また会いましょう』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
★また会いましょう
こんにちは ありがとう さよなら また会いましょう
「 」
そう言って君はフェンスの向こうへ消えた。
覚えてるのは君の笑顔がやけに綺麗だったこと、君が手を握りしめていたこと、僕の声がやけにかすれていたこと。
待って、も、いかないで、も、言葉になることなく、僕は君を見送った。
白い花をフェンスに捧げる。
「またどこかで」
君の最期の言葉に、返せなかった言葉を紡ぎながら
「また会いましょう。そしたら…そのとき答えます」
その言葉を聞いて俺は、断られた、と思った。
だってそうだろう…今日たまたま出会えた子だぜ?
今日あったばかりの初めましてなのに、”また”、なんてさ……。
⸺いや、いくら一目惚れしたからって、手首掴んで告白かますとか………俺、犯罪者?
*
「あー、唐突過ぎて驚いちゃったや……せっかく向こうから声をかけてもらったのに」
ボクはずっと前から彼を見ていた。
だから”また”って行ったけど、彼からしたら、初めましてだったもんな〜…。
次会う時は、二人きりになれる時を狙わなきゃ……彼が他のオンナに盗られちゃうし、それに⸺。
「⸺あんな才能を持った若い子、稀だからスカウトしないと、センパイたちに勝てないし………頑張らないとなぁ」
基軸世界征服計画が世間にバレる前に、優秀な捨てご⸺んんっ、奴隷を確保して、この世界を征服しないとね。
【少年、君のせいで…この世界は終わるのさ(いつか言われそうなセリフ)】
また会いましょう
クラスの女の子たちと話すのも嫌いじゃない。
だけど、はしゃいだ空気にいるよりも、ひとりでひっそりお昼を食べたい時もある。
最近学校の園芸ハウスのそばにあるベンチがいつも空いてることに気が付いた。
お昼も空いてるに違いない、心を弾ませてぽかぽかとした陽気を浴びながら足を進める。
よかった、誰も座ってない。
緑の気配が強くなる。後ろからハウスに面するベンチに近付いて、正面に回ろうとして私は思わず声を漏らした。
「…えっ。」
猫のようなリラックス感を出して、ジャージ姿の生徒が寝ていた。
脚はベンチの反対側からはみ出してハイテクスニーカーが地面に着地している。
「……、」
先客なら仕方がない、そう後退りすると生徒の顔に置かれていた腕が上がって私を振り返った。
「あっ、ご、ごめんなさい。」
「…、んん…?いや…こっちこそ…どーぞ、座って。」
女の子だった。声の柔らかさに少し驚いていると彼女が起き上がり、焦茶に見えた髪が陽に当たってきらきらとキャラメルみたいに煌めいた。
「…いいの?」
彼女が同じ一年生かも分からなかったけど、何となく彼女に敬語を使うのは違うような気が既にして、そっと尋ねた。
「うん、座りたかったんでしょ。」
彼女は私の視線なんて気にしない様子でのんびりあくびをしてベンチの片側を空けた。
私はなんだが胸の辺りが高揚する感覚に気が付かないふりをしながらスカートが折れないようにベンチに腰を下ろす。
「…何年何組…ですか?」
「あぁ、一年四組だよ。」
「なんだ、よかった…私は一組。…なんていうの?なまえ。」
クラスでは自己紹介がある。座席表とか見て相手の名前を確認したりするけど、今は目の前の突然出会った本人しか確認する術がない。なんだか不思議だった。
「…ルイ。柊木類。」
「ルイ、かっこいい名前。私は花咲志織。」
「しおり。可憐だね。」
「ふふ、可憐って…初めて言われたかも。」
「うん。しっくり来る。髪が綺麗だし。」
「…そう?」
私は自分の黒髪に触れた。髪は丁寧に手入れしてる。彼女にとっての第一印象がこの髪なら、ケアをしてきた自分が報われたような気がした。
「しおり、お弁当食べにきたんでしょ。」
「あ…そう。ルイは?」
「あ〜…パンが売り切れちゃって。」
「じゃあお弁当分けてあげる。」
「え…いいの?」
「うん、お腹空くでしょ。おやつもあるし。」
「…ありがとう。」
私は二個あるおかずはひとつルイに分け与えた。箸を貸そうとするとルイは口を開けて答えて、私はその伏せられた睫毛にまた胸の奥が高揚するのを自覚しながら彼女の口におかずを運んだ。
「…んまい。」
「よかった。私が作ってるの。」
「え。すご。」
ルイは表情豊かな方ではなさそうだけど、とても素直に言葉を紡ぐ。
ふたりでお弁当を食べ終えると昼休憩の終わりが近づくのを知らせるチャイムが校舎から聞こえてきた。
「…戻るかぁ。」
「うん。」
校舎に戻り、一組の教室が先にやってきた。
「じゃあまた。」
「うん、またね。」
手を振って別れる。教室に入ればまた日常の空気が流れている。だけど私の胸の中はまだ柔らかく高揚感に満ちていた。
ルイも私も次の話はしなかったけど、私はまたあのベンチに行くし、ルイもまたあのベンチで寝ているに違いない。
ベランダに転がっている死体のものまねをした
まねしてみたが、あまりにも痛くてやめた
「また会いましょう」なんて、なんて虫がいいんだろう
落ち着いたら色んな話をしようって
言ってくれたのに
叶わない夢
→短編・貴方ならどうする?
歩いていたら、目の前に賞状が降ってきた。
「また会いま賞」
上手く言えてない感がハンパない。恐ろしく語感も字面も悪い。
達筆なところも、これまた妙に気に障る。
「類稀なる資質を貴方に見いだしました。よってここに表彰いたします。」
個人の感想で表彰状を作んな。しかも文面と再会を賞する意味も繋がらん。
そのまま通り過ぎようと思ったが、ふとある考えが浮かび、奇妙な賞状を道の端へと移動させた。
「すみませーん。それ、なぜ移動させようと思われましたか?」
数歩先でマイクを手にした男性とカメラに取り囲まれる。
「街角ドッキリの撮影中で、変な賞状にどう対処するかって企画なんです」
よくそんな企画が通ったなぁ、とは言えない。笑顔を顔を貼り付けて俺は言った。
「あ、そうなんですかぁ。移動させた理由は……――」
放送は1ヶ月後だと言う。俺の答えはその時にでも聞いてください。
また会いましょう。
テーマ; また会いましょう
小学校6年生の頃から何か止めどなく思うようになり、その年齢時点での考えを日付と共にノートに書き残すようになった。
ふと考えることがあり、見返してみたらそれなりにおもしろいことを書いていたため、小学生が考え事をするとどうなるか、気になる人は読んでいっていただければ…。
たぶん、公開したと当時の自分に知られれば、ボコスカ叩かれてキレられると思う。
題は『自然と人間』とのことだ。
どうぞ。(長いよ。心してかかれ。)
理科の勉強をしながら思った。
病気がある理由は、神様が人間をほかの動物と同じように、バランスをとろうとしたからではないか。しかし、人間は、だんだん知恵を得て、病気をなおせるようになった。そのため、人間が、病気によって死ぬことはなくなった。
長生きできるようになった人間は、自然をはかいしながらしんぽしていった。そのため、人間は、人間のあやまちで死ぬことになるだろう。
人間は、自然があるから、生きているということをわすれてはならない。
そこらへんにはえている草を、ばかにしてはならない。木は、まだたくさんあるとはおもってはならない。植物があるからこそ動物も人間も生きていけるのだ。自然のおかげで、水はきれいで、のむことができるのだ。
自然のおかげで酸素があり、息をすることができるのだ。
自然のおかげで、食べ物があるのだ。私たち人間が食べている動物も、植物を食べているのだ。
人間は、自然があるのは、ふつうだと思っている人が多い。私はちがうという人も、つい、考えてしまうものだ。これからさき、自然があるとはかぎらない。だからこそ、今から、自然をふやさなければならない。ところが問題は、一度自然としての機のうをなくしたところは、そうかんたんにはもとにもどらないということだ。このまま自然がへっていくと、とりかえしのつかないことになってしまうのだ。これからは、全世界の人々が、このことを考えなければならない。そして、じっこうすることがたいせつだ。
こんな言葉がある。
『一将功なりて万骨枯る』
意味は、功名を立てた者のかげには、そのためにぎせいとなった人が多くいるものだということだ。
人は、しんぽするため、いろいろなものをつくる。
だが、そのうらには、数多くの森林がぎせいとなった。だが、こんな言葉もある。
『雨だれ、石を穿つ』
微力なものでも、根気よく努力すればやがては成功するということだ。
一度、自然としての機のうをなくしたところをもどすのは、大変だ。しかし、すこしずつでもしていけばいつかは、もどるときがくるだろう。だから、人間は、自分たちがやったことは、自分たちのてでなおす義務があるのだ。
権利があるものには、義務がある。しかし、その義務を、ほおっておけば、あとは、悪いことばかりつづくものだ。人はいそいで、活動しはじめなければ、あとにのこるものは苦労だけだ。
『地球にいるからには、ひとりひとりがじかくをもつことが大切』
だそうだ。
ひらがなが多くて書くのが疲れた…。
この頃の私はまだマイルドだが、その後「人類は害でしかないから1人残らず滅亡すべき」という発想に飛躍していく。協和という考えはなくなってしまったようだ。
そんな私が病気になり、人の苦しみに目を向けるようになったのも、神様がバランスを取ろうとしたのかもしれない。
テーマは「また会いましょう」だったかな?
当時の自分に会ってきたという話でした。
《追記》
「この書き出しって…」と思い調べたら当たっていた。夏目漱石の「草枕」だ。
たぶん草枕に刺激されて書くようになったんだな。笑
駅前から少し離れた細い路地にその喫茶店はある。5段ほどの階段を降りると、『おひとり様に限ります』という貼り紙が入り口にある。扉を開けると芳しいコーヒーの香りとほのかな木の香りが出迎えてくれる。ブックカフェと言うのだろうか。入り口横と奥に大きな本棚があり、席と席の間の仕切りも背の低い本棚になっている。
席はゆったりとしたソファやかちっとした椅子、ハンモックなど自分の好みで選べる。他の人が視界に入らないような座席の向きになっている。
大小の観葉植物が配置されており、森の中で過ごしているような錯覚に陥る。
入り口で飲み物を注文し、窓際のお気に入りのソファを見つけ腰を下ろす。店主が淹れるコーヒーの音や他の客がカップをソーサーに戻す音などが聞こえる位の静かな空間だ。皆思い思いに一人の時間を過ごしている。
私はかばんから読みかけの本を取り出す。残り数十ページ、あと少しが電車で読み切れなかった。家に帰るまでの時間がもどかしくてこの喫茶店に来てしまった。本の世界に入り込み読了。ソファのサイドテーブルに注文したコーヒーが置かれている。店主がそっとおいてくれてのだろう。少し冷めたコーヒーを飲む。
本のカバーを外し、カバーの内側を見る。前に読んだ人の感想やお薦めの本などが書いてある。
本棚の本は店主が集めたものと、店の客が置いていった本が納められている。『持出禁止』と書かれていない本以外は自由に持って良いことになっている。
誰がはじめたか知らないが本のカバーの内側に感想を書きあう事が通例になっていた。
私も隙間を見つけて感想を書く。
『本編では語られなかった登場人物の生い立ちや生き様が描かれていて、一気に読んでしまいました。常に冷静な先生の若かりし頃の情熱的な有り様が新鮮であり、人間味を感じ、もっと好きになりました』
他の人の感想も読んでみる。前に読んだ本にもあった文字だ。見ず知らずの読友。先ほど書いた感想の後ろに一言付け足した。
『また会いましょう』
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お題:また会いましょう
テーマまた会いましょう
君と毎日かわす言葉
また会いましょう
私の1日は君の何日?
君とは時間の速度が違うから
君にとって私は何日後かの私?
だけど変わらずに私達は
また会いましょう
また会いましょう
君はそう言って僕の答えも聞かず去っていった。
ドラマのような冬や春の別れの季節の
ようなものでもなく。
ただ、ただ暑い夏の日だった
僕達はただの知り合い、それこそ同じ時間
同じ場所でたまにすれ違う通行人でしかなかった
でもあの日から嘘のように君とは会わなくなった
あの言葉は嘘だったんだろうか…
あの時、いやあの何回かのすれ違いの中で
「友達になりませんか?」
その一言で僕の中の感情に名前がつけられたかも
しれないのに。
また会いましょう
社交辞令か本心か見分けるのが難しい。
先月に母を亡くしてから生きている今を大切に
生きる事を誓った。
自分が生きている間に数えきれない人たちと出会うのは
間違いない。
一期一会、大切に生きる。
始めから、この心は嘘だったのかもしれない。昨日までのことを小さな額縁に納められた写真に見るような、アナウンスと共に閉じ行くドアに映るその目を知って、そう思えてしまった。その写真からも引き剥がされるように、音を立て、列車は動き始める。雲から染み出す青空に緑が広がるばかりで何も無い故郷を無感情に流し映す窓に、今までの景色が蘇る。ぽたりと、雫が足下に落ちる。思い出とともに飛び去っていく事無く、静かに、縋るように滴り落ちていた。
せっかく、向こうへ行けるというのに
何度もその言葉が木魂し、波紋を広げた。しかし、その裏を返して、またと、垂れ落ちる。
もう一度、貴方に会いたかった。
1年振りの再会をするにあたりこの1年の出来事をまとめる。1.身体の状況…
:また会いましょう
本を読めばいい。
分からないならもっと調べればいい。
無知だから怯え悩むしかできない、ならば知れば良い。
先生、これってどういうことですか?
黙読で理解できないものは一度音読してみる。読み上げても頭に入ってこない、理解できないなら、もう一度。
音として認識はできているはずなのに、文という連なりになった途端理解ができなくなる。何を言ってるのか、頭がぼやぼやしてくる。
三度目読み上げても無理なら「先生、これってどういうことですか?」と呪文を唱える。すると頭の中がくるりと回ったような気がして、さっぱり理解できなかった文章の解説が浮かんでくる。単語ごとに、文節ごとに、そして文章の説明がされて、大まかに「この文章はこういうことを言ってるね」と、説明してくれるようになる。
分からなかったら解説してくれる、脳というのはなんて素晴らしいんだ!
傷ついて落ち込んでもう何もできないと泣きべそをかく。もう頑張れない、もうできない、そう言って足を止めてしまう。
しかし目的地に辿り着かねばならない。少しは自分で励ましてみる。「大丈夫」「ゴールできたらご褒美にお菓子買おう」「頑張ろう」と自分で言って、自分でブチ切れる。何が頑張ろうだ頑張ってんだよ大丈夫じゃないからこうなってるんだよ何が!!
大体自分でも手がつけられない。「先生、どうしたらいいんですか」と呪文を唱える。すると頭の中がくるりと回って「十分頑張ったってことで引き返してもいいし、引き返すのも嫌だなぁと思うなら、もう少しだけ歩いてみたらいいんじゃないか」「散歩と同じだよ。目的は歩くことで、到着するのはおまけだと思ってみたらどうかな」「いざとなったらどうとでもできるよ。今は椅子に座って落ち着いてみる?何か飲み物があるといいかもね」と、これまた自分じゃ思いつかないような言葉が浮かんできて慰めてくれる。
脳ってよくできてるなぁ。
自販機を前に何を飲めばいいか分からなくなる。「先生、どうしたらいいですか」と聞くと「水か麦茶か、甘いものがほしいなら加糖の紅茶がいい。カフェインが入ってるコーヒーや緑茶は避けた方がいいよ」と答えてくれる。「なんで紅茶はいいんですか?」と聞けば「何故かは分からないけど、紅茶で頭痛が起きたことないならいいかなって」と笑ってた。
水が出てくるボタンを押した。先生は怒ってなかった。
やっぱり脳みそってよくできてると思う。
助けてくれる人が誰もいないから自分と会話する他なかった。誰かをイメージして、自問自答する。最初はあの人ならなんて答えるだろう、と想像しながら、ゆっくり受け答えしていけば、次第に普通の会話みたいにレスポンスが返ってくるようになった。
そういえば「タルパ」なんてものがうっすら流行っていたのを見たことがある。ネット上ではお友達づくり、のような軽さだった気がする。存在しない相手をあたかも存在しているかのように扱って、本当に存在するようにさせる技法、とか。「これで推しと常に一緒!イマジナリー推しが喋りかけてくれる!」なんてエッセイ漫画か記事で見た。
先生、と呼びかけるのもそれと同じ類なんだろう。
やっぱり脳というものは良くできてる。素晴らしい。
本を読めばいい。
分からないならもっと調べればいい。
無知だから怯え悩むしかできない、ならば知れば良い。
先生、これってどういうことですか?
聞きたかったけど、先生は最近いない。今は聞く気もない。多分、もう会う気もない。今のところ。どうせ心底病んで死にたくなった頃に「先生」と呼びかければ応えてくれるんだろう。今のところ、会うつもりはない。
知ればいいんですよね。その上で取捨選択すればいいと、貴方はそう教えてくれた。
ところで、先生、とは結局誰だったのだろう。学校で出会ってきた中の先生とか、人生の師としたい人とか、そういう誰か特定の人を指しているわけでもない。先生、と呼びかけていた相手は一体誰だったんだろう。
誰でもなくて、きっと都合のいい理想像だったんだろうな。最近はきちんと自分自身と会話をしてる。別の誰かじゃない、きっと健康な状態なんだと思う。
また会いましょう、とは。特に。
こう思っていることに対して「冷たい」とは言わず「そりゃそうだろうね」と、きっと先生は許してくれる。それに、許してくれない理想像ならいらないかな。
まいにち、会える人
たまに、会える人
会いたい時に、あえる人
いつも会えると、思っていた人
またねと、約束した人
しき折々、どこかで会えた人
よかったねと、言われたく会いたい人
うれしいときも、悲しい時も会いたい人
そんな、親子でありたい
また会いましょう
上級階級っぽい言葉だ。いや、普通の人でも使うのか?人付き合いがほとんどない底辺だからよくわからん。
しかし完全に風邪を引いたな。ここまでがっつり風邪になったのはいつ以来だろう。あんまり風邪引くほうじゃないんだけどな。
風邪引いてから三日目くらいか。治り始めてるような少し悪化したような感じでよくわからないな。
とはいえそこまで重くないし症状も喉に軽い痛みと鼻水がよく出るくらいだから薬は必要ないだろう。
もう若くないから治りが遅いけどそろそろ治るだろ。今はとにかく寝て体力回復しないと。
もう会えないかもしれないけれど、いつかまたご縁があればお会いしたい。
そう思っていた時に、「また会いましょう。」と、 心のどこかで期待していた言葉を発してくれて、私の胸は高鳴った。
さよならなんて言わないよ。
いつかまた会えるって信じてるから。
それじゃあ、「また会いましょう」
また会いましょう
そう言われる人間になりたい
良い人と思われなくちゃ
面白い人って思われなくちゃ
楽しい人って思われなくちゃ
そんなものにがんじがらめになって、結局私はいつもつまらない嘘をついたり、うまく言葉を出せなくなったりする
素直な自分を話せばいいのにね
結局、素直な自分自身というものに自信がない私
自分を嫌いな人間に「また会いたい」なんて思う人はいないよね