『ひなまつり』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
夢に見るんだ
君と一緒にひなまつりの準備をしているとこを
夢を見たんだ
君とあの子がお雛様を飾っているのを
目を開き
ベットから起き上がる
近くの仏壇には
彼女とあの子の写真が飾ってあった
お題『ひなまつり』
『ひなまつりの夜に』
「おい、おれこんな楽器は吹けないよ」
「はは、去年は俺がそれを持たされていたからな」
「この家の人間は、学習というものがないな」
「たしかに、私の提子もほれ、あそこに」
「何処だ」
「ほれ、あそこにさ。最後の段の牛車の横さ」
「牛車の横に」
「飾りきれなかった小物が、箱にまとめて、置いてあるな」
「本当だ、俺の烏帽子もあそこにあるぞ」
「まあまあ、みんな、文句はなしよ」
「どうしてですか、お雛様」
「毎年きちんと出してくれるのだから」
「そうですかねぇ。僕は弓持ちなのに、太鼓のばちを持たされてます」
「まあまあ、今年は我慢しときましょうぞ」
「お内裏様は人がよすぎますです」
「私たちだって、順番違うし」
「そう、持ち物もちぐはぐで」
「官女なのに、足元に鼓がつづみが・・・」
ガララララ
「お静かに、誰か来るぞ」
ガラス戸の開く音がして
『あっ雛人形かざったんだ』
『そうよ、おじいちゃんが倉庫から出してくれたので、飾ったの。この人形は、母さんが子供の時に買ってもらったものよ』
『お母さんが子供だったの』
『そうよ。毎年ここから元気な姿を見守ってくださるのよ』
『私も守ってくださるの』
『そうね、守ってくださるわ。さあ、その菱餅を飾って』
『おかあさん、どこに飾るの』
『ほら、そこあいている所でいいわよ』
ギリリギリリキリリ
『何しているの』
『オルゴール鳴るかしら』
ポロンポロン ポポロン ポンポポ ホロン
ポンポポ ポポロン ポンポポ ポロン
『ひな祭りだ』
しばらくの間、人の去った静かな部屋の中に流れました。
「いい子だな」
「はい、いい子ですね」
「よかったね。この家に飾られて」
「そうだな、笛でも吹いてみるかな」
「おや、吹けないのではなかったのか」
その夜、真夜中をすぎたあたりから、雛壇の部屋でがそごそと、小さな音がしていました。
家族のみんなは寝静まっておりましたから、気がつきませんでした。
「おい、俺の鼓は・・あったあった」
「烏帽子 烏帽子と」
「弓と矢と」
みんな、段のあちこちを行き来し、本来の場所へと移動し、また、四五人は、牛車の横の箱の中をあさって、自分の持ち物を探しています。
一番上で、お内裏様とお雛様は立ち上がって、その様子を首を伸ばして、ちょっと笑いながらのぞきこんでおりました。
やがて、すっかりと、みんな持ち場について、がやがやと騒がしかった雛壇が落ち着いた時、切れていたぼんぼりの電燈が突然ついて、飾り車が、青やら赤やらの明かりをまわしはじめました。
『あれ、オルゴール鳴っているよ』
女の子が目をさましました。
でも、それはオルゴールではなく、五人囃のかなでる、雅楽の調べなのでした。
『わたしの・・・ひな祭りよ・・・』
そのまま女の子はまた眠りにつきました。
次の日です。
きちんと並んだ雛壇のことを、家の人間は見直しましたが、もちろん、その順序やもち持ちのが変わっていることにも、まったく気がつかなかったのです。
【219,お題:ひなまつり】
ひなまつりの飾り付けって、お手本とか見ずに出来ますか?
私は無理ですねっっっ!!!!!
意外と右左を覚えていなくてですね~......特に三人官女の手に持ってるやつとか (何て言うんだあれ)
あと桃の花と橘の位置とかね、重箱と御所車と御駕篭の位置はいつもあってるんですけどね...
確か一回ミスらずに置けたことがあったんですが、今年はというと...失敗しましたね...w
まあ、ひなあられ美味しかったし...手巻き寿司も食べれたので結果OKです!
「ひなまつり〜ご馳走と雛人形〜」
今日は、ひなまつり。ひなまつりと聞くと思い出す事が2つある。子供の頃の話だ。
テーブルにちらし寿司、いなり寿司、はまぐりのお吸い物、手巻き寿司が並び、私にとってのご馳走だった。それらを食べ、「美味しいね!」と笑いながら家族みんなで食べたという思い出。
もう一つは、雛人形。
昼間に雛人形を見るときれいだなと思っていた。
夜、部屋の電気をつけようとして、視線を感じた。
なんだろう?と思って、電気をつけ、視線を感じた方を見ると、雛人形だった。そうだった。雛人形がおいてあったんだったと安堵した。原因が分かりホッとした。電気をつけて、夜に雛人形を見ると子供心に恐怖を感じた。という思い出。
大人になった今、2つの思い出を懐かしく思う。
幼少期から何よりも“らしさ”を詰め込まれた。
お兄ちゃんらしく、6年生らしく、男の子らしく――。
妹が出来て、家に雛人形が来た。僕は兜があたったけれど、雛人形の方が可愛くて、綺麗でずっと羨ましかった。
「お兄ちゃん出すの手伝ってー」
力仕事は苦手で居たかったのに、お父さんに似て筋肉がついたせいで、ずいぶんと得意になってしまった。お母さんは妹が生まれてから僕を名前で呼ばなくなった。
舞台の組み立てを終えて、段ボールから防虫剤と雛人形を取り出す。
包み紙を開けたときに広がる絢爛な金と艶やかな朱色の着物が好きだ。済まし顔に差した紅と、結わえられた髪が好きだ。
こんなに近いのに僕には届きはしない。まだ幼く準備を手伝えない妹の方がよっぽど、これに近い。
“らしさ”を詰め込まれたおかげで、“らしい”が何かをよく知った。おかげで、異端としてクラスで排斥の対象となることはなかった。
代わりに自分らしさというものには、いつまでも届かないまま、伸ばした手は掴む目的すら知らず、行儀よく膝に置かれる。
ああ! どう頑張っても女の子の日!
【ひなまつり】2024/03/03
ジェンダー差別を助長する意図などは一切ございませんと申し上げようか迷いました
今年は知らぬ間に3月3日になってしまっていた…
昔はひな祭りには祖父母から買ってもらったひな壇を飾っていた。
今は忙しいを理由に全く飾ってない…
祖父母が相次いで亡くなった今、久々に飾って見てみたい。
来年こそリベンジしようかな?
『早春とピーチガール』
桜桃を齧って 甘い汁が春を報せる 日が長くなってきたあくる日に 少女と歩く駅前の道 桃色のほのかな狂気が街に溶けていく その心 その想い また違う誰かも知るだろう
どれほど頑張って努力しても、報われないのを知っている。
だからこそ、本当の目的の為に行動を起こすことは、恐ろしい。
だけど、本当にそれが真の願いなら、私たちは進むことを辞めることは出来ない。辛くても苦しくても、諦めようとしても、逃げ出したって。がむしゃらに、なりふり構わず、気づけばそこに向かってる。
本当に願い、その知識と道のりを理解してしまった時、私たちの運命は周り始める。私たちは、求める情報を目の前にした時、知的欲求の衝動を抑えられない。
だから、心配しないで。
一歩進むだけで、道を切り開くための石ころは転がってる。どの石ころを選べばいいのか分からなくて、手当り次第拾うこともあるでしょう。それもまたあなたの道。最初から正解を当てる必要は無い。
正解を知っている人達は、みんな損をしている。
寄り道や回り道にある宝物を見逃している。
みんなと同じ道を選んで、みんなと同じことをする人生に、なんの意味があるのでしょう。
それを選んできた人達は、すべからく心を失っているはず。
けれど心を失いたいと思って、彼等はその道を選んではいないのだ。
だから、目の前の石ころを必死に拾う者を嘲笑いたくなってしまう。
石ころの価値に気づいて。
石ころに必死になる自分を誇りに思って。
それは私たちが失くしかけている、大切なこころかもしれない。それを知るだけで、その努力は決して無駄にはならないのだ。
お雛様より、三人官女が好きだった。
なんというか...仕事ができる女!って感じがして、かっこよかった。
あと、三人同じ着物なのも制服みたいで。
今でも、ヒロインよりも、それに付き従う強い女性キャラが好きだなぁ。
その字を見て、
ハッとし、 今日の日付を確かめた。
『3月3日』
ひなまつり、ひなまつりだ...。
どうして気が付かなかったんだろう。
今日の日付は、
きっと無意識に何度か目に入っていたはず。
無意識に、認識することができなかった。
いつの間にか、できなくなってしまっていた。
昔は、あんなに楽しみだったのに。
雛人形が好きだったのに。
面倒くさがる母にせがんで、
押し入れから出してもらっていたのになぁ。
◌ ひなまつり ◌
雛祭り
今日は雛祭りだったことを忘れていました。
調べてみると平安時代ぐらいから歴史がある伝統行事みたいですね。
特にこれと言って思い出は無いのですが
『あかりをつけましょ ぼんぼりに〜♪』 で
有名なうれしい雛祭りという曲を思い出します。
女の子の健やかな成長を願ってお祝いする日
なんとも素敵な伝統ですね。
ひなまつり
ひえきったからだがあたたまる
なべをあけるしゅんかん
まわりにただよういいにおいに
ついついえがお
りらっくすたいむのはじまり
今日はそんな日だったのですね
それくらい
記憶に残ってない昔のことなので
↑こんなことに
お許しください
end
ひなあられぽりぽり。
ひなあられぽりぽり。
ひなあられぽりぽり。
思い返せば、ひなあられをぽりぽりと噛み砕いていたことが私の最初の記憶である。
いや、よく考えれば流石に最初の記憶ではなかった(実際の最初の記憶は親戚に連れられて行ったコンビニである)。しかしながらあれは最初の記憶といっても過言ではない。それほどまでに古い記憶である。
いや流石に過言であった。私が初めてひなあられを食べたのはおそらく小学校の給食だ。割と育ってからである。
いや、そもそもよくよく考えれば、というか考えるまでもなく、ひなあられを食べている、という確固たる記憶は私の中に残っていない。つまり私がここまで話してきたことは全て嘘である。
貴重な休日の夜の数分をこのような訳のわからない文章に費やしてしまった、と思いながら私はひなあられを齧る。もちろんこれも嘘である。ぽりぽり。
今日がひな祭りだということを忘れていた。お隣のおばあちゃんから「今日はひな祭りだから」と、お赤飯を頂くまで。まあっ、ありがとうございます、と受け取りながら頭の隅っこで財布の中と時間を勘案する。ヤバい、何も準備してない。私は日が暮れてから、慌てて買い物に走った。
ひな祭りはよく知られた節句だから(…だよね?)、明日子どもが学校から帰って来てからぶーたれられると困る。
お雛様に厄を祓ってもらい、人生の幸福を祈る。現代のひな祭りは、ふんわりとそんな感じか。伝統に則ってしっかりと「桃の節句」を行われるおうちもあろう。そういう場所には特有の清々しさがあるような気がする。そして、そのようなおうちの女性たちは、すごくしっかりしている印象がある。
今の時勢にひな祭りの意義はどうなんだ、という向きもあるかもしれないが、つまるところ、「どうか幸せであるように」というシンプルなねがいが核心だ。子ども時代の思い出にも何か良いものが残るかもしれないし、彩りのある記憶はほんの少しと言えど心の力になるかもしれない。
えっ、それでお前んちのひな祭りはどうしたんだと?
お隣のおばあちゃんから頂いたお赤飯、バラ刺身でちらし寿司、ホタルイカの酢味噌和え、はま吸い、苺…で何とかなった。最近のスーパーの工夫には頭が下がる。ちらし寿司用のカット刺身セットや、ボイル済みホタルイカ。いちばん手のかかる工程や下処理をかなり減らせる仕様で並べてくれているのだ。そのぶん値段が上がるのでいつもこのテが使えるわけじゃないが、ともあれ今日は助かった。感謝だ。
お雛さまは夢のように舞う。
あでやかな絹の揺れる羽音。
軽やかな笛の調べ。
幼き日に見た幻想の舞を大人になった今はもう見ることがない。
今お雛さまは優美に鎮座している。おっとりと。
題「ひなまつり」
ひなまつりたから、スーパーでひなあられか菱もちを買いたいと思ったんだけど、売っていなくて、ちょっと意外だった
桜もちはあったけど、桜餡のピンク色の大福があったから、それを買った
おいしかったけど、やっぱり、もっとひなまつりらしいお菓子が食べたかったな
ひなまつり
私の家にはひなまつりでないにも関わらず、一年中ひな人形が飾られている。ひな人形を片付け忘れると婚期が遅れると言う。強い結婚願望がある訳じゃないけれど、何となく不安になってしまう。立派なものだけど、少し…結構不気味に見えてくる。
小さい頃
私の家にはお雛様はなかった
理由は弟が大分やんちゃな子で
お雛様の首をもいだりして
めちゃくちゃにしてしまうと予想されたから
母は女の子の私にお雛様を
買ってあげたかったそうだが
叶わなかったと
ひな祭りには友達の家に行って
お雛様を見せてもらっていた
そんな子供時代
そして大人になった今
沢山の雛人形が家にある
旅先で伝統工芸品など見かけると
お内裏様とお雛様のセットを
せっせと買ってきてくれた
愛ある雛人形を並べて
ちらし寿司を食べる
今日は楽しいひな祭り
【ひなまつり】
結婚と付き合う
付き合うは?
付き合うとは好きになった人と一緒に笑い合ういつでも別れられるお互いの意見が会わなくても無理やりだってどちらかの思いが辛くなると、直ぐにわかれることは、出来る、そう思う
じゃあ結婚は?
結婚とはほんとに愛した人とするもの喧嘩したり笑い合い一緒に一生歳をとっていくものそして簡単には別れられない遊び半分の好きで結婚何てしてはいけない
こんな詩をどこかで聞いたまぁ私の妄想であり今作ったものだけどそこは貴方なら許してくれるでしょう
付き合って半年の恋人の来月結婚式をあげる予定なの、なのにね貴方は僕はまだ君を十分に幸せに出来ていない僕の精一杯の愛はここまでだ僕と君は一緒じゃない方が良いと僕は君を愛せていないと僕は君愛せないのに一緒に一生を過ごすのは無理だとさよなら
こんな手紙を置いて走っていった君の背中に私は問いかけた
何?十分って、十分じゃなくていいよ、あなたの精一杯はまだ私を愛せてなかったのね私は愛されていたわでも貴方は無理だったのね無理やり愛せと言ってたのかもしれない私は簡単にこの恋を終わらせてしまった
結婚なんてまだまだ先遠いわね
あぁ
私達の恋は
まだ遊び半分だね
ひな祭りは女の子にとって大事な日。だから笑顔で楽しく過ごす日。でも疲れてたから今日はのんびり過ごした。それもまた大切なことだしいいかなぁ。