『ひなまつり』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
ひなまつり
ひなまつりは女の子の行事
だからワタシも参加してみたい
だけどワタシのお家にはひな人形がない
だって、ワタシは本当は
男の子だから
男の子は女の子になれないのかな…?
なんだか悲しくなってきた
あ、お母さん帰ってきたんだ
おかえり
え?これって…
ひな人形!?
もしかしてお母さんが買ってきてくれたの?
そっか、今年からワタシも参加していいんだね
ありがとう、お母さん
ひなまつり
レジのバイトで今日何回ひなまつりのお菓子やケーキ
ピってしたか数えられない
世の中のお父さん、お母さんお疲れ様です
そして私事ですが昨日21歳の誕生日でした
お父さん、お母さんここまで育ててくれてありがとう
テーマ「ひなまつり」
初節句
父はあなたの
虜なり
桃の花言葉は 「私はあなたのとりこ」
3月3日にひなまつり
俺的には12月のクリスマスなどの行事などしか正直覚えてない
そもそも俺は男なのでそんな関係ないと思っていたが
歌やひなあられなどもありかかせない行事であるという事が少しわかっていった
明かりをつけましょぼんぼりに・・・
雛飾り?
もうずっと飾って無いよ。
なんだか苦手なんだよね。
理由?
ほら、のっぺりとした顔が集団で見下ろして来る感じ? 圧がすごいじゃない、お前のことを見ているぞーって。
自意識過剰って酷いなー
男は兜被ってチャンバラごっこしていれば皆んなご機嫌だったでしょ? 気楽でいいなー
え、馬鹿にして無いって、それこそ自意識過剰。
うん、うん、じゃあまた。
彼女にもよろしくね。
私は、雛壇にすら上がることが出来ないことに気付いたのはいつだったっけ、
ひなまつり
男兄弟しかいなかったが、母は毎年ひな人形を飾っていた。古い人形だった。
子どもの頃は嫌いだった。着物もところどころ傷んでいて、どことなく陰気な感じがしたし、何より僕は男だから。ただ、母がとても丁寧に飾っていたので、口には出さなかった。
高校生の時。ひな人形は、子どもの代わりに邪気を吸い取ってくれるというのを知った。
帰宅して棚の上のひな人形を見て、とても申し訳ない気持ちになった。
化学のテスト、16点だったから。
という話を年上の彼女にした。
今年も飾ってるの?
ああ。画像が来た。
良かったね。そのおかげで、いい女と一緒にいられるんでしょ。彼女が意気揚々と言った。
邪気を払わないと会えない人なのか、と口に出かけたのを慌てて飲み込んだ。
上機嫌でいてもらおう。ひなまつりは、やっぱり女の子が主役だからね。
私にとってはなんの日でもない
ただの1日だ。
女の子の日と騒がれるが
おひな様達を見たことがない。
生まれて1回しか出してないらしい。
12段の豪華なおひな様。
可愛いだろうなぁ。
子供が産まれたら絶対飾ってあげようと誓った。
今日が皆のいい日になるといいな。
毎年おばあちゃんが時間をかけて大きなひな飾りを準備してくれていた。物心ついた頃、寒い部屋の中で、押し入れから人形たちを出して飾っているおばあちゃんに、お母さんは「そんなのもういいのに」と言っていた。おばあちゃんは「だって女の子の日だものね」と私に笑いかけた。私のために準備をしてくれているということが嬉しかった。どこか特別感があった。もしいつか私に女の子の子供ができたら、お内裏様とお雛様だけでも準備して、その子にも私と同じ気持ちを感じてもらいたい。
#2 ひなまつり
だいぶすきな行事です
学校給食でひなあられ出たから小学生の頃は
ほんとにたのしかったなぁ…。。
中学も給食あるけどもう食べれない悲しい ; ;
ひなあられ。あれ美味しいですよね。
私の旧友はチョコレート味しか食べないので、よく、余った分を私が食べていました笑。
ところで、今日は、親友の命日でして。
お墓にひなあられをお供えに行こうかと思います。
お墓の前で、ひなあられで乾杯でもしましょうかね笑。
では、素敵なひなまつりをお過ごしください。
「ひなまつり」
「どうなってるんだよ……」
いつも通り起きて、気怠げに入ったバイト先は、戦場かと見紛う程大荒れだった。
「悠馬、待ってたよ」
涼太が普段絶対にしないような満面の笑みでこっちに微笑んでいる。不気味すぎる。
「何でこんな荒れてんの?」
手を洗いながらそう尋ねる。
「いや、ひな祭りだよ。テイクがもうやばい」
「あー、成程……」
家とバイトの往復しかしてなかったせいで、日付の感覚が完全に抜けてた。
「マジかよ、休みにしとけばよかった」
「そんなこと言うなって。夜飯にちらし寿司食おうぜ」
作業台の方をチラッと見ると、山のように積まれたちらし寿司。ほぼ確実にロスだな。
「よし、じゃあさっさと終わらそ」
涼太はそれを聞いて満足気に頷く。
「じゃあ俺テイク捌いてくるから、悠馬は注文見てて」
「は? あんだけあって足んないの?」
「じゃあそっちは任せたよ」
涼太はそう言ってさっさと作業に戻って行った。仕方ない。やるか。溜め息を吐き、キッチンという戦場に乗り出した。
『ひなまつり』
2024年のひな祭りに頭に浮かんだのは。
花より団子というけれど真っ先にイメージしたのは三色団子と桜餅だった。
子供の頃に実家に八段飾りが飾られたのは、ほんの数回だったのだろうけれど、祖母が買ってくれた雛人形の姿は三十年経った今も鮮明に覚えているのだが。
ここ数年は激務に追われ、仕事のことばかり考えているせいか。春の風物詩や行事の大切さなど、二の次だった。ストレスの溜まっているのせいか、食べ物馬鹿になっている。
今日はたまたま休日であり、久しぶりに庭先に出た。疲れて家事をするのも怠すぎるのに、今日は何故か外に出たくなった。こんな天気のいい日に、外に出ないのはもったいない気がして。
裏庭にある遅咲きの梅が咲いているのは知っていたが、花を見る余裕も無くなっていたことに気がつく。
花満開である。時々風に吹かれ、花弁を散らしながらも一生懸命に春を告げる姿は久しぶりに心が癒やされた。何処かの誰かが「花を見て何も思わなくなったら、疲れている」と言っていたけれど。その言葉どおりならば、私はまだ自分の思うほど心は荒んでいなかったし、疲れていなかったようだ。
疲れているのは身体の方で、PMSと仕事での疲労から体力を消耗していたんだろう。
それに、先週急逝してしまった友人の葬儀に出たことで心に余裕がなかったのもあった。
人生何が起きるかわからない。
長寿大国と云えどちゃんと80、90まで生き抜くことが出来ることの有難み。
当たり前が当たり前ではなくなる事もある。
毎日仕事行くのが嫌だと思う日常も突然無くなることもある。
寒さに耐え力強くかつ、控えめに咲く梅の花に勇気をもらい。私も生きることをもっと頑張って大切にしようと思う日になった。
おひなさま、ここ20年は出してない。
それもそれだけど、桃の節句っておひなさまを出した後は何をするのかわからない。
何をすればいいの?
ひなまつり
それは、女の子の固定概念で決めつけた幸せを願う
面倒なまつり
#『ひなまつり』
No.58
「ひなあられを買って」
「そっか。今日ひなまつりか〜。ねぇ、ひなあられ食べたい?」
スーパーの店頭。
桃色を基調とした可愛らしいパッケージを指し、ふたりの子供に問いかける女性がいた。
「女の子のお祭りだから、うちには関係ないでしょー!」
小学校低学年くらいの男の子は、そう言うと「こっちの方がいい」と、たけのこのモチーフのチョコレート菓子を手に取っている。
「ひなまつりって〜ひなまつりってぇ〜女の子のおまつり?」
隣にいる男の子が大きな声を出した。顔立ちが似ているので兄弟だろう。
「そうだよ」
得意気に答えるお兄ちゃん。
「ふーん。じゃあ、ママのおまつりだね!」
そう言って「ひなあられ買って〜」と、手を伸ばす弟くん。
思わずふたりのママを見てしまった。
品出し中、こんな光景を見るなんて思わなかったな。
今日は早番。
ひなあられを買って、隣町で暮らす母に会いに行こう。
────ひなまつり
今日はたのしい、か。
世間ではひなあられ、ちらし寿司、白酒…今はケーキかな。別に私にとっては何も特別なことはない。
何せ 女の子 のお祭りだ。
そうだ肝心のおひなさまを忘れていた。
うちにおひなさまはいなかった。
それとなく親に聞いてみたら
もうお姉さんだからいらないでしょ、だと。
じゃあお姉さんになる前に買ってほしかった。
ただいま。
おかえり。
いつもと変わらない笑顔が迎えてくれた。
ねえ、冷蔵庫見てみてよ。
そう促され冷蔵庫を開けるとど真ん中に小さなチョコレートケーキが入っていた。
え…なんで。
今日はひなまつりだよ。女の子の日だ。
2つあるけど。
それは、別に、男の子だってケーキ食べても良いじゃないか!
ふふ、そりゃそうだ。ありがとう。
今日はたのしい
ひなまつり
思い出と昔話と。ほぼ実話。
ばぁちゃん、やたら詳しかったな(笑)。
古典の授業、むっちゃ助かったやで!←おい
『ひなまつり』
幼い頃、祖母から聞かされた遠い昔のおとぎ話。
「このお雛様は、お前の写し身。良く触れて遊びなさい。お前の厄、悪いものを引き受けてくれるのだから。だから、お前が嫁に行って母親になったら、このお雛様とはお別れするんだよ。間違っても、自分の娘にやってはいけない。新しいものを買ってやるんだ。その子のお雛様をね。」
それが、お雛様の本当の意味だとは知らずに、良く遊んだ。
「お内裏様は、お雛様の夫。三人官女は、この夫婦に仕える女房たち。身の回りの世話から、お仕事のお手伝いまで、何でも出来る才女だよ。五人囃子は、雅楽の奏者。今風に言ったら、オーケストラかねぇ。お抱えの音楽家たちだ。右大臣と左大臣は、文武の長。貴族と武士ってとこかね。一番下の三人は、丁仕。庭師と言ってね、外回りの仕事をする人たちだよ。昔は、下男と呼ばれていたかね。」
役割と地位がそれぞれに与えられていた事も、昔話の中の物語には職業選択の自由は無かった事も、いつの間にか教えられていた。
「選びたい人には辛かったろうけど、これからは自由に選べと言われて辛いだろうね。自由とは難しいものさ。でも良いものだ。」
手垢のたくさんついた、幼い頃の遊び相手と私は、さよならをした。
「たくさん、たくさん、遊んでくれてありがとう。」
色んな事を教えてくれた祖母も去り、私自身はまだ嫁にも母親にも成っていないけれど。
「色んな事を、あなた達を通して学びました。私を護ってくれて、ありがとう。」
華やかな宮廷生活は望まないけれど、お仕事を手にして何とか生きている。
「本当に、ありがとう。お疲れ様でした。」
新しいお雛様は、いつか自分の元に来てくれたら。きっと祖母の話もしようと思う。
「子供は、最初神様や仏様のもので、時々幼い頃に空へ還ってしまう子がある。その子たちは、ただ呼び戻されただけだから、悔やむ必要はない。誰の所為でもないのだ。」
時代錯誤と呼ばれようとも、何処か意固地になっていただけかもしれないけれども、何かを伝え残そうとしていた様に見えた祖母の姿。
今はない、お雛様と祖母を思い出す。
そんな、ひなまつりの日を過ごした。
題 ひなまつり
私は小さい頃からひな祭りが怖かった。
どうしてかって?
だって、お内裏様の視線が怖かったから。
まるでこちらを見ているようで、テレビを見ていても、テレビの横に出された雛人形に視線を移さないように必死だった。
トイレに行くときもお内裏様の前を通るのが怖くて仕方なかった。
毎年毎年お母さんに、今年は雛人形は出さなくていいよ、というものの、何言ってるの!と一蹴されるだけだった。
でも・・・理屈じゃなくて、なんか・・・なんか視線が合うような気がして。
どんな角度に変えても、見ると視線が合っているような、こちらを見ているようなゾッとするような気持ちになる。
その理由を私は分からないまま、ただ、お内裏様にいわれのない恐怖を抱きながら成長していた。
やがて私も成長し、結婚して娘を授かった。
私は雛人形を買うのが怖かった。
娘のためにも雛人形は買ってあげようと夫に促されて、雛人形の売っているコーナーに行ったとき、不思議と人形が全然怖くなかった。
私の持っていたのは、三段の大きなお雛様、お内裏様、三人官女が飾ってあったけど、お店には小さな両手で持てるケースに収められたお内裏様とお雛様だけで、顔も可愛らしいと感じた。
私の小さい頃の記憶は何だったんだろうか。子供だから、記憶に補正が入っていたんだろうか?
それとも、人形が小さいからこそ表情があまり気にならないのだろうか。
どちらにしろ、その時、私の恐怖心は綺麗に消えてしまったんだ。
それでも、娘が3歳になった時、娘が私の腕にしがみついてこう言った。
「ママ、お内裏様が私のことにらんでる」、と。
その図体のデカさと仏頂面で誕生日が3月3日ってなんだ。意外すぎるだろ。もうチャームポイントの一つだろそれ。
ひなまつり
小さいながらこの日が嫌だった
常識は身体に寄せてこうあるべきとされ
どちらでもないと言えない
時代が過ぎ去った今
自分が何者なのか
自分で決めて良いのだと
誰かが叫んでくれたから
ノンバイナリーでアセクシャルなのだと
言葉にできる時代にしてくれたから
大人になり今年も春の訪れに感謝をして
タラの芽とフキノトウの天ぷらを食べるのだ
「ひなまつり」