『この道の先に』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
この先の道に
道に迷ったら人に聞けばいい。
自分で考えて行き詰まったら助けを求めればいい。
人は一人では生きていけない。
外国で道に迷った時、たくさんの人たちに助けてもらった。
次は自分が親切にする番だ。
ずんずん歩いて 僕は旅に出る
これは、ずんずん歩いて の一節。
新しい僕を見つける旅、そこで見つける
ささやかな出来事も
宝物、宝石になる
そう歌っている。
石ころさえ、宝石だと思える
まだその境地には達していないが
自分を見つめて、何を楽しいと思い
何を嫌だと思って誰と生きていたいのか
そこは明確にクリアになりつつある
道の先に待っている
新しい自分を笑顔で迎えに行けるよう
毎日を、進もう
長き夜の心拍音が疎ましくいずれ安らぐかこの道の先に
この道の先にある未来が
私にとっていい道でありますように
この道の先に待ち構えている未来は、
私にとって喜ばしいものだろうか。
選択一つ、違う未来。
迷う私は、心と何かがすれ違っているようだ。
心のまま、すすめ。
この道の先には神社がある。
おじいちゃんと毎日通っていた。
することは特にないが自然を感じ、参拝をするのが日課だった。
だが、先週おじいちゃんは亡くなってしまった。
老死だそうだ。
今日、僕はいつものように神社へ行く。
神社へ行くと僕を待ってるおじいちゃんが
いる気がする。
そして、
風とともにおじいちゃんの声が聞こえる。
「この神社のように明るい道を選びなさい。」
僕は自然と涙が出る。
そんな僕を花や木が慰める。
お題「この道の先に」
……全然思い浮かばない。夜も遅いし明日考える!
この道の先に何が待っているかなんて、わからない。
歩いた先には、あたたかい光と歓声の待つステージがあるのかもしれない。
もしそうならば、内に秘めた輝きを照らし出し、笑顔で溢れる夢のような時間を過ごすことができるだろう。
この道の先に何が待っているかなんて、わからない。
踏み出した先には、冷たい光と静寂の待つ法廷があるのかもしれない。
もしそうならば、隠したい真実は白日の下に晒され、恨みと悔やみに堪えきれぬ被害者の顔が夢の中でまで現れるかもしれない。
この道の先に何が待っているかなんて、わからない。
知りたいのなら、進むしかない。
3、『この道の先に』
この道の先には、なにがあるのだろうか。夢や希望など輝いている未来だろうか。それとも絶望や苦しみなど暗闇に包まれた未来だろうか。
きっとそんなのは、実際にその道を歩いた人にしか分からない。きっとこの人生も同じなのだろう。気になるのなら自分の目で見て体験をしないといけないのだ。
それがたとえ自分にとって辛いことだとしても、私たちは、進み続けなくてはいけないのだ。
そしてその先にたどり着くことが出来た者にのみ、夢や希望を見つけることができるのだろう。険しい道を進み根拠のない少しの希望を信じ、その希望や夢のために私たちは、進み続ける。きっとそれが私たちが生まれてきた理由なのではと私は考える。
だから私は進み続ける。
たとえどんなに辛いことがあろうと、私はその先にある絶景を自分の力で見てみたい。それは私の目にはどんな景色より綺麗にうつるだろう。
だから、みんな強く生きて欲しい。
ゆっくりでいい、一緒に進もう
この道の先に
私は遅刻して食パンを加えて道角でぶつかるようなことはおきない、そもそもパンを咥えて練り歩かないし、
白馬の王子様もこない、そもそも馬はあまりみたことがないし
でも雨の日にこの道の先に貴方がいるってわざと、傘一本で迎えに行くような
天邪鬼でおだやかな恋愛はしてみたいかも知れない
「この道の先に」
嫌で嫌でたまらなくて、
やっと自由になろうとしているんだ。
走って、走って、歩いて、また走って。
様々な路地を抜けて抜けて、
"この道の先に"
ずっとずっと窓から見ていた
空想とも言えるような緑の山。
それがあるのだ。
自然で空気が美味しい。
生命の音がして、
鳥のさえずり、川のせせらぎ、
幸せの音色が耳いっぱいに広がっている。
風光明媚と断言出来るような景色が____。
今目の前に広がっているのだ。
きっと"この道の先に"行くと、もっともっと
深く自然の匂いや生命の音が聞こえるのだろう。
なら、もう帰られなくてもいい。
この自然に囲まれて独り静かに死のう。
どんな死に方でも良い。
ただ、死ぬ時はこの自然に囲まれて死にたい。
どんどん進んでいこう。
色々な道を進もう。
人生と言う長い道も、もう必要はない。
今"この道の先に"行こう。
恐くはないから____。
お腹がゆるくなったからビオフェルミンを飲んだら
今度は便秘になるのどうにかしてほしいね。
ビオフェルミンの威力がすごすぎる。
朝、夜、朝、の3回でこの威力。
おなかゆるゆる通り越してかちかちだよ。かっちかちやぞ。
便秘になるくらいならお腹ゆるゆるの方が100倍まし。
100倍はさすがに言い過ぎ、リアルに1〜2倍。
夏になると便秘にならずに毎日健康的なお便り(腸活YouTubeの人がこう言ってた)が来るのに、今年はなんか全然だな〜。
自然に毎日すっきり出したいよ〜!心からの願い。
ほんとに理想なんだけど、うんこ毎日3回出したい。そんなの夢みたい。最悪2回でもいい。でも最低限1はきてくれ、頼むから。
この道の先に、
まだ会ったことの無い人達が沢山いて
その殆どが 面識すらなくて
知らない間に過ぎ去る
人との出会いは奇跡
『この道の先に』
風が囁く、この道の先に
何が待っているのか、誰も知らない
木々の影が揺れ、光が踊る
一歩ずつ進むたびに、心が高鳴る
遠くに見える山々は、手招きするように
「おいで」と、静かに語りかける
足元の小さな石ころ、柔らかな土の感触
自然の息吹を感じながら、道を進む
この道の先に、希望がある
夢が、未来が、私を待っている
躓いても、立ち上がる勇気が
私を強くしてくれる
この道の先に、未知なる世界
その扉を開けるのは、私の心
風が囁く、この道の先に
新しい自分が、待っているのだ
いつも歩いている
商店街
この道の先に
またいつもの日常があると
思ってしまう
この道の先に
ぼくらには まだ 長い道が ある
先の見えない
将来という 道が
その道には まだ なにも 描かれていない
この道に 描けるのは
その時の 自分だけ
この道の先に あるのは
ぼくという 芸術家だ
この道の先に君がいてほしい。じゃなきゃ生きる理由も希望もない。あなたと一緒にいたい
【この道の先に】
歩いても、歩いても、道が続く。曲がり角はない。ただひたすらに真っ直ぐな道が続いている。道の先が見えない。ゴールが見えない。"この道の先に"は何があるのだろうか。まるで人生みたいだ。頑張って歩いても先が見えない。未来が見えないのだ。
この道の先に
目標達成のためにかける時間は人それぞれで
例えば小さい頃の夢に向かって
その当時からずっとその道だけを進んだ場合
何かしらの理由で道が閉ざされてしまった時
本人の痛手は相当なのは当然だけど
それ以外に他の事を知らない
という状態になる事もよくあるのも事実
何のトラブルも起きず真っ直ぐな道など
人生にあるはずも無く
あらゆる「頂点」に立つ人というのは
努力 才能 環境 運 素直
この五つが揃ってしまったごくごくひと握りの人
そう思う
みんながみんなこの五つを揃えているはずもなく
世の中の不平等さに必ず気づく事になる
そう
世の中は不平等でないといけない
まずそこに気づく事が大切
世界中の人がみんな平等になってしまったら
その時は
人類滅亡の時
これに疑問を抱くようなら
その道の先には
何もないよ?
「この道の先に」
即物的だけど、このテーマから思い出すのは、今は膝を痛めてできなくなった登山。と言っても、家から見える低い山に一人、弁当を持って登り、頂上の岩棚でお昼ご飯を食べて、少しごろ寝をして降りてくるという他愛もないものだけれど。
それでも、先の見えない一本の登山道を行き、ふと、高みに出たときに、これまでの藪から、視界が急に開けて、はるか眼下に自分の住むまちとその向こうに広がる瀬戸内海の島々を見るのは、何度来ても、心が清らかになれる瞬間。
懐かしい思い出。