Ryu

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「この道の先に、ホントに旅館なんてあるの?」
そんな山道だった。
舗装もされておらず、しばらく人の通った形跡もない。
迷い込んでいく感覚しか持てなかった。

果たして、旅館はあった。
歩き疲れて、案内された部屋で大の字に寝転がる。
すぐに夜が来て、夕飯は広い食堂に一人きり。
確かにオフシーズンだけど…秘湯で人気のある宿って…。
その秘湯は最高だった。満足して布団に入る。

深夜、目が覚めて、部屋の天井に張り付いている女を目撃。
蜘蛛のように天井から降りてきて、私に言った。
「イマスグニカエレ」
…いやいや、もう一度くらい秘湯を楽しまないと。
どれだけの思いでここまで来たと思ってんの。

夜は明けない。
朝風呂を期待していたが、昨夜のお風呂が最後の贅沢だったようだ。
そういえば、ここに来る途中で事故にあった。
家族で、車で出掛けたはずの温泉旅行。
助手席の妻と、些細なことで口論になって、イライラしながら運転が雑になって、高速で中央分離帯に突っ込んで。

天井の女は、ずっと部屋の隅でぶら下がっている。
あれは妻の変わり果てた姿だ。
子供達はどこだろう。
部屋の窓に、巨大なナメクジのような生き物が張り付いている。
まさかあれが…いや、考えるのはよそう。

暗闇の中で、妻のような存在に話しかける。
「悪かったな…俺の運転のせいで」
黒い影がモゾモゾと動き、天井からすぅーっと降りてきて、言った。
「ザンネンダケド…シカタナイ」
「つまんないことでムキになって、せっかくの旅行を台無しにして」
「ザンネンダケド…シカタナイ」
「ここの温泉、良かったよ。お前達も…」
「イマスグニカエレ」
「えっ…?」
「イマスグニカエッテ…アナタダケデモ」

目を覚ました。
高速のサービスエリア。
子供達のトイレを待っている間に、車の中で眠ってしまったらしい。
助手席の妻が、
「疲れてるんだね。運転代わろうか?それとも…今回は近場にする?」
と聞いてきた。

帰ろう。
この道の先には、きっと何か、良からぬものが待っている。
そう思いながらも、抗えない何かに操られて、私は言った。
「いやいや、せめて一度は秘湯を楽しまないと。
 どれだけの思いでここまで来たと思ってんの。
 簡単にやめようとか言ってんじゃねえよ、バカ」

7/3/2024, 12:22:10 PM