『あじさい』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
花言葉というものは時々ひどく理不尽に感ぜられる。移り気と辛抱強さ、無常と元気、浮気と寛容をグラデーションだと意味づけられたとして、わたしが紫陽花ならひどい濡れ衣を着せられたものだと怒ってしまうだろう。
移り気なものに辛抱を求めてはいけないし、元気なときは永遠ではない、だから浮気には寛容であるべきなのだ、言葉の流れとしてはそういうことになってしまう。変えたくて色を変えているわけではないのに、そこに悪い意味を見いだされたらたまったものではない。
だいたい人によって言っていることがまるで違うのである。わたしたちは花が喋る言語を幻視している。
花を見るときはきれいだと思うだけでいいし、ただきれいなものを見てほしいから、という気持ちで送ればよい。
花束に地雷を仕込んではいけない。
探そうとしてもいけない。
そこに愛以外のなにかは無い。
(あじさい)
「あじさい」の花言葉知ってる?
〔移り気〕や〔浮気〕だけじゃないんだよ。〔辛抱強さ〕ってのもあるんだよ。
#32 あじさい
“ 紫陽花 ”
「ねぇ 、 紫陽花って綺麗だよね 。
全部微妙に違う個性持ってて 、 あとほら .. 夏の象徴っていうか
紫陽花の浴衣着てる女子とか見て 、 可愛いな 〜 とか
好きな子と一緒に紫陽花みて帰ったこととか
甘酸っぱい思い出ばっかりなんだよね」
「急にどうしたのさ 、 紫陽花なんて 。」
「紫陽花祭り 、 一緒に行こうよ 。男同士で」
「絶対やだ」
ケチ と 言わんばかりに頬を膨らまして彼は
“ 他の奴誘うからいい ” と俺の前を後にした
紫陽花は愛情運を持って行ってしまう花 、 だと聞いたことがある
そんな恐ろしい花一緒になんて見に行きたくない
ただでさえ 、 君と僕を繋ぐ愛は少なく理解されがたいものなのに 。
けれど 、 君とはずっとこのままで居たいから
他の奴誘ってほぼ全部の愛情運を吸い取られて
俺の元に戻ってきてくれればそれでいいと
紫陽花の力を頼ってみたいとも思った 。
紫陽花の花弁が滴を垂れている。
雨の匂いと香り立つ夏の気配。
その色は、心に涼を届ける花の便り。
あじさい
花屋で紫陽花を買う
君の好きな花
カフェに行って、珈琲を買う
君の家に行く
合鍵を使って、中に入る
相変わらず君の部屋はものが少ない
俺は買ってきた珈琲を飲む
もう君のもとへいってもいいかな?
6.あじさい
それはもう梅雨にふさわしい花の一種とも言えるものだろう。私の家の近くにも毎年綺麗なあじさいを遊歩道を彩ってくれている。それがしかし、今年はニュースでも言っているとおり、梅雨入りがなかなかしなくてまだ家の近くの遊歩道はあじさいで彩っていない。むしろ、何故か今年の夏は暑い。いや、毎年言っている気がするな。今年もの方が正しかったろう。にしても、日本いや、世界の気候はどうなっちまったんだ。私が子供の頃なんて30℃を越えただけでテレビ番組や世間では大騒ぎだった。今で言う35℃の猛暑日なんて熊谷や鳩山の方の話だと思っていた。それがどうだ。今は関東で35℃の猛暑日なんて当たり前になりつつある。自分の世代からすると信じられない異常気象だ。やっぱ原因は地球温暖化などがあげられるのだろう。でも、だからって電気や石油を使うなって言われても我々はそれがないと冷房もつけられないし、車にも乗ることができない。生きるためにはやっぱり使うしかないのだ。でも、そんなことをしていると地球温暖化はいつまで経っても解決しない。難しい問題だ。どんなことでもそうだが、一度起きたことを悪化させるのは簡単だ。でも、それを立て直して良くするのは非常に大変なことだ。そういうことは1人では解決しない。だから人はよく言う。
"事態が悪化したら1人ではなくみんなの協力が必要だ!"
2024.6.14 Fri.
【あじさい】
小学校の先生が
その色は土の成分で変わると教えてくれた
中学校の先生が
置かれた場所で咲きなさいと教えてくれた
当時
どちらも調べてみたりはしてないけれど
印象に残ってる
果たして今
此処に居る自分は何色に咲いただろう
ん?
蕾?
『あじさい』
庭先に咲き始めたあじさいの花をひとしきり眺めた後にその葉をひとつふたつと摘んで台所へと持ち帰る。ボウルに入ったおひたしのごま和えを菜箸で小鉢へ移し替え、刻んだあじさいの葉を入れた。その間に姑が台所にやってきて早く飯を用意しろとだけ言って夫や舅の待つ部屋へと向かっていく。私がここに嫁いでから義母は炊事場に一切立っていない。味付けを教えてくれたこともないのに味の文句を言い、ご飯の用意が遅いと文句を言い、食べた後にもあれが嫌いだのこれは不味かっただのと文句を言った。ある日の食事の後片付けの最中にいつまでもうるさくするなと文句を言われてからはみなが食べている時に洗い物に取り掛かるしかなく、結果、私一人だけが同じ食卓にいないような事態になっていった。
用意した晩ごはんを3人分食卓に並べる。夫や義父が気にかけてくれていたのも最初だけだったから、あじさいの葉は3つすべてに入れた。義母が私に言わなくてもいいような文句をつけ、私が部屋を出ていってからいつものように食事が始まる。あじさいの毒性は未だ解明されていないらしいけれど、吐き気や失神、昏睡が起こるとされている。あとにした部屋から食器の落ちる音、割れる音、人のうめき声が聞こえてくる。けれど後片付けに忙しい私には相手をしている時間はなかった。
雨けぶるなか おおぶりな
玉の花束かかえつつ
征くに征かれず散りもせず
あじさいは 還りたい
わずかな晴れ間 おおつぶな
紫の露たたえつつ
泣くに泣かれず枯れもせず
あじさいは 待ち謡
雲の下にて 濡れてゐる
佇む姿そのままで
あづさえ、あづさえ雨の花
いろいろの 滲む日に
「あじさい」
「アジサイって細かく分けると二〇〇〇種あんねん」
「マジで? 白超えたじゃん」
『あじさい』
あじさい(恋人から家族へ)
………花束に紫陽花入れるってのはやっぱり邪道かな。
花屋で男が一人うんうん唸っているのは異様だったのだろう、バイトらしき若い女の子に声をかけられた。
「ご相談に乗りましょうか?」
「あー助かります、お願いします」
彼女へのプレゼントだと伝え、好みの傾向と好きな色、予算を伝える。
「今の時期、紫陽花綺麗ですね。でも花束としてはどうかなと思って」
「そうですね、個人への贈り物としては難があるかもしれませんね。女性の方だと花言葉に詳しかったりもしますし」
花言葉………
「なるほど、それは盲点でした。花を贈る時にあんまり気にしてなかったな」
「男性だとそこまで関心のある方は少ないですね。紫陽花は色々あるんですが、主な花言葉だと移り気、浮気になっちゃいますね」
………。さすがにそれは贈れない。
「それは紫陽花自体の花言葉で、色別や家族宛てだとまた違ってポジティブな感じにはなるんですが」
「え、個人と家族で意味が違うんですか」
「そうですね。家族団欒、和気あいあい―――仲を取り持つ象徴みたいな感じですかね」
家族―――。
花屋を後にし、俺は待ち合わせのレストランへと向かう。
―――気に入ってくれるだろうか。
彼女をイメージして仕上げてもらった、緑と白のコントラストが映えるアナベルの花束。
そして今日この日の為に送る、リボンのかかった小さな箱―――。
一年前から君の誕生日に伝えると決めていた。
俺はひとつ深呼吸をして、先に彼女が待つレストランの扉に手をかける。
緑と白の花言葉。“ひたむきで一途な愛”
―――その愛を今、君に真っ直ぐに伝えに行く。
END.
お題 あじさい
[別れてくれない?]
一通のメールで終わらされた私の恋。
本気で愛していたのは私だけ。
彼のくれた好きは全て偽り。
私の初恋はちゃんとあったようですべて偽りだったらしい。
いや、私からの愛だけは嘘偽りないものだった。更新された彼のSNSにはあじさいを背景に知らない女とのツーショッの写真。そこには1ヶ月と書かれていた。
あじさいの花言葉は〝浮気〟
「アジサイには毒があって、料理の飾りに使われていたとしても食うな、ってのはネットで見た」
花言葉は「辛抱強い」に「冷酷」等々。ふーん。
物書きはスマホ画面を見て、長考に頭をガリガリ。
花以外の抜け道が無いか、探している。
4月の「桜散る」に2月の「花束」と「勿忘草(わすれなぐさ)」、去年に戻って9月の「花畑」に6月25日頃の「繊細な花」等々、等々。
このアプリは花のお題が数回登場するようだ――そのわりにヒマワリやスズランを書いた記憶がない。
恋愛系にエモネタがよく選ばれ、出題されている気がするのに、なかなか不思議なことだ。
春の「スプリングエフェメラル」など、「春の儚い命」みたいなエモエモ単語なので、それこそお題として出てきそうなのに。
「まぁ、いいや。エモ書きたくてこのアプリに投稿してるワケじゃねぇし」
ガリガリガリ。物書きは呟く。 で、何を書こう。
――――――
昨日は「はやぶさの日」だったそうですね。
どうしても花以外を書いてみたかった物書きが、こんなおはなしをご用意しました。
昔々の6月13日、1機のはやぶさが多くの人に見守られながら、空気の摩擦に火をまとい、流れ星と同じ要領と美しさで、大気圏に突入して消えました。
「第20号科学衛星MUSES-C」とも言うそうです。「アトム」という名前だったかもしれないそうです。
なんやかんやあって「はやぶさ」と名付けられたはやぶさは、2003年に打ち上げられ、2010年の6月13日に、運用が終了しました。
はやぶさの、複数ある「おつかい」のひとつは、遠くの小惑星から小石や砂を持ってくることでしたが、その道のりは初っ端から、困難苦難の連続でした。
打ち上げ半年で太陽フレアに焼かれるわ、2年後11月には実家の地球と通信途絶するわ。道中故障とアクシデントで、もう踏んだり蹴ったりです。
それでもはやぶさは、辛抱強く目的地に辿り着いて、必要なものをガバチョと手に入れました。
かえろう、さあ、かえろう。
はやぶさを送り出してくれた皆がはやぶさの帰りを、梅雨空に上向いて咲くあじさいのように、空を見上げて待っています。
なんやかんや、ここで語っては文字数の酷くなるようなことがあって、なんとか帰路についた後も、はやぶさに向けられた人の目は一部冷酷でした。
「1位じゃなきゃ駄目なんですか」でお馴染みの、当時の某事業仕分けでは、後継機開発など宇宙開発関連の予算がごっそり削減。
「お前のどこに税金つぎ込む価値があるの」と、
「お前より大事な事業はいくらでもある」と、
当時の政権から無情に無駄宣言されたようなもの、だったかもしれません(断言は避けるスタイル)
それでもはやぶさは辛抱強く、当初4年だった道のりを倍近くかけ、実家の地球に向け飛び続けました。
アクシデントと故障に見舞われながら、一部の人間に価値と意義と重要性を否定されながら、それでも辛抱強く地球の近くまで来たはやぶさ。
その頃には報道や動画投稿サイト等々で、多くの人がはやぶさを知り、応援し、到着を待っていました。
体がボロボロ満身創痍で、それでも辛抱強く役目を果たし続けたはやぶさが、最期の最後に目を開き、実家にしてゴールでもある地球を見て、何を思ったか。そもそも機械なので、何も思わなかったか。
まぁ、後者であることは事実なのでしょう。
小惑星探査機のはやぶさには、思考のための前頭連合野も、褒めてほしいと望む側坐核も無いのですから。
ただ6月13日、「はやぶさの日」が流れ星程度の短い間トレンドを横切って、
はやぶさの育ての親、プロジェクトマネージャーの故郷では、「辛抱強さ」を花言葉に持つ青や紫のあじさいが、その八割九割はツボミでしょうけれど、
一部だけ、ほんの一部だけ、空を見上げて花を開き始めて……いるかもしれません(断言は以下略)
多分二割、下手すれば八割九割、事実無根、実話に基づいたフィクションで成り立っているかもしれない、「あじさい」とはやぶさのおはなしでした。
おしまい、おしまい。
紫陽花それは6月を代表する花である。
青紫色の花が咲く花である
この花を見ると梅雨を連想する人のいるだろう。
梅雨の季節はジメジメして嫌いな人もいるだろう。
洗濯物は乾かないし、濡れるしジメジメして不快な思いをする人がいる。
私もそのうちの一人だ。
傘をさして歩くのも面倒だし、雨で靴は濡れるので良いことがないのが梅雨の季節である。
できれば早々に夏に変わって欲しいと思う今日此の頃である。
似合うね、と君から言われた紫陽花は紫なのかな青でもいいな
変わりゆく空を映して咲く花を、あじさいと言う。そう信じてる。
題目「あじさい」
あじさい
6月に咲く梅雨の花
土の酸性度によって色を変える🩵🩷
青みと赤みのグラデーションが
目を喜ばせる
こんもりと背ほどにのびる枝葉には露が滴る
その木々たちの間をぬって、
巡る季節の移ろいに
時間が経つのも仕方ないと思える
その瞬間が私は好き
歯をたてるとパリッとほどける薄いクッキー、
アーモンドの香りがふわりと香る
口の中に🤤つゆ
小さい花が寄り集まって、てまり状になっているものってかわいい
あじさい、沈丁花、コデマリ、八重桜の紅手毬…
ところで紫陽花の葉っぱって、網状脈のお手本みたいだなあと子供の頃に思ってた
うちの団地群は、どの棟の入り口付近にも
ほぼアジサイが植わっている。
紫、青、ピンク、白、黄緑?色も各種揃って賑やかだ。
なんとも力強く伸びきったそれは私の身長を超す輩までいる。
おかげでアジサイをわざわざ他所に見に出掛ける発想はない。
しかしそれでもうちの母はベランダで
アジサイの鉢植えを育てている。
外に出ればいくらでもあるのに、分からんな
と思っていた。
ただよく見ると変わったアジサイだったので母に聞いたら
隅田の花火とのお名前だそうだ。
薄い水色で八重の額アジサイで、こうなんというか
お上品な感じ?
うちの近所の色が濃くて、ぼってりと丸く咲いてるアジサイが
野生児に見えてくるな。
まあ、どちらさんもキレイに咲いてくれれば結構なことだ。
うちの方はもうじき梅雨入りかな?
梅雨は嫌いだが、アジサイの為には
雨も降ってやってほしいとは思う。
(あじさい)
【あじさい】
キミの感情
うつろい映す
雨に揺らめく
リトマス紙
あじさいが枯れる時、日本語では
「しがみつく」
こんな表現をするらしい。
枯れたままそこに居座ろうとする様子からこんな表現になったみたい。
あじさいってパッと見大きいお花だけど、一つ一つのお花はすごく小さいよねー。
私でもあれくらい仲間がいればどんなことにも最後までしがみつくことが出来るのかな。