淡雪

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6/16/2024, 12:50:32 PM

「傲慢で強欲、おまけに怠惰で嫉妬深い、貴方のその性格は最悪だけれど、絶対的な王者の素質、そのカリスマ性、『生徒会』の役員としての才能は天才と呼ぶしかない」

丁度1年前、私は共に生徒会として活動してきたA先輩にそう云われた。
その言葉は決して私を褒めたものでは無い。
自分の力を過信して、傲慢に振舞ってきた私の性格を非難する言葉だった。似たような言葉を私は先生にも云われたことがある。才能があると云うことは、良い事だ。私は先輩や先生から云われたその私の所謂『才能』を誇りに思っている。ただ、私の場合、その才能に性格が追いつかなかった。
私は生徒会活動に於いて、何時もその輪の中心に立ってきた。生徒会として何をすべきか、生徒会としてどう振る舞うべきか、私は分かっていたのだ。
みんなが私を賞賛してくれた。
だからこそ、自分の力を過信してしまった。
私はA先輩にそう云われた時、泣きそうな気分になった。
自分の性格が良いなぞおもったことない。だけれど、人にいわれるのは、しかも、ずっと憧れていた先輩にいわれるのは、また、訳が違ったのだった。
私は傲慢です。
私は強欲です。
そして、私は怠惰で、成功する友達に嫉妬ばかりしています。
才能を持ち出したとしても、私は周りの他のみんなの人望には勝てません。
私は変わりたかった。
絶対的な王者の背中を見せて後輩を導いてきたそのやり方ではなく、優しく寄り添い、仲間として、同志として接せる人になりたかった。
だから1年間、努力し続けた。
少しは変われたかしら。
良い先輩に、なれたのかしら。
私に才能を教え、そして私の性格を非難したA先輩は私のことを胸を張って『あの子は僕の後輩だ』と云ってくれるだろうか。
私は先生が誇れるような模範的な生徒になれたのだろうか。
1年前、私は変わろうと決めた。
まだ変われていないかもしれない。それでも、ああ、後輩たちよ。
先輩と呼ばれるに値しない私だからこそ、いえる。
私を反面教師としなさい。
私のように自分の力を過信して1人で突き進まないようにしなさい。
私は変わる、今から変わる、変わりたい。1年前の私と違う素晴らしい人間に。
その時までさようなら、また1年後までさようなら。
またお会いしましょう。
さて、グッドバイ。

6/15/2024, 3:02:27 PM

私は文学が好きだ。
特に好きなのは芥川 龍之介先生の作品、初めて先生の『地獄変』の小説を読んだ時は心を強く打たれた。繊細な文章は迚も巧みで美しく、私は正に先生は天才だ、と、一つの話を読んだだけで直ぐに痛感した。
何となくで読んでみたその作品をきっかけに、私は文学の素晴らしさを知った。
芥川先生の作品は勿論、江戸川先生の人間椅子や鏡地獄、川端先生の雪国や伊豆の踊子、菊池先生の恩讐の彼方に、太宰先生の人間失格や女生徒、志賀先生の暗夜行路…新思潮派の作品から無頼派、白樺派やプロレタリア文学…様々な先生の本を読み漁ったものだ。
辛くなったら私は本を読む。
楽しいとき、私は本を読む。
本は泣きたい時も、怒りたい時も、常に私の傍にいてくれた。
私はどんな本も愛している。理解できない作品も共感できない作品も、等しく私は好きだ。
それでも、沢山の本を、沢山の先生の本を、何度何度読んでも私の中の一番の作品は何時でも芥川先生の作品だった。

「嗚呼、芥川先生だ…私が愛した、天才作家…」

心底心酔していたのかもしれない。
私は作品を愛した、芥川 龍之介先生と云うその名前を愛した。そして何よりも、作品を通して、芥川先生に恋をした。
蜘蛛の糸、地獄変、河童、或る阿呆の一生、歯車、羅生門、鼻、芋粥…
私は永遠に彼の文学を愛すだろう。
私の好きな本はこの世の全ての文学。
そして、最も愛しているのは、丁度こんな夏の日に旅立たれた素晴らしい作家先生の作品。
お慕いしていると伝えたかったのだけれど、其れは違う時代に生まれた私には不可能なことなのです。

6/15/2024, 7:41:27 AM

「曇り…」

空を見て私は静かに溜息をついた。
今日は晴れると天気予報で出ていたのに、生憎の曇天だ。
曇りが嫌いなわけではない、雨の方が嫌だと云う人の方が多いだろう。然し、あいまいなこの感じが私はどうも気に入らない。
蒸し暑さに流れ滴る汗を拭って、私は曇り空の下を歩いた。
何だか気持ちは少しブルーだ。
今日はどんな一日になるかしら。
あいまいな空のようにあいまいに終わるかしら。
それもまた一興ね。

6/13/2024, 10:17:06 PM

朝、雨が降るとなんだか憂鬱な気分になる。
雨が滴るあじさいは迚も綺麗なものだけれど、浮気、と云う花言葉と相まってなんだか泣いているようでどうも良い気分にはなれなかった。
あじさいが泣いているように見えて、悲しくなってしまう。
青、紫、ピンクえとせとらと沢山の色で彩られた近所に植えられたあじさいは見事なものだ。ほぅっとため息をついてしまいそうなほど美しい。
雨が嫌いな訳では無い、梅雨は好きな季節だ。
あじさいが嫌いな訳でもない、花の中では好きだ。
それでも何となく憂鬱な気分になる。
可笑しいでしょうね。何の矛盾かしら。
梅雨もあじさいも大好きなのに、憂鬱になるのは、この上なく悲しい。
私は今日も矛盾を抱えて生きていきます。
美しいあじさいのように、然し、何処か悲しく、悲恋に満ちたあじさいのように、私は生きていきます。
私が何処にいるかご存知かしら。
もう二度とお目にはかかりません。

6/12/2024, 2:42:37 PM

私には好きなものがございません。
いえ、そう云うと語弊があるのですけれど、然し、確かに、好きなものはないのです。
『良い』と思うだけであって、『好き』にはならないのです。美しい街の景色も、艶やかな紫陽花も、街の騒々しい音も、全て『よい』とは思うのです。ただ、好きになれないだけなのです。
いえ、嫌いと云うわけではないのですが…
ある種の矛盾、でしょうか。
ええ、そうです、矛盾です。
良いと思うのに好きではなく、然し、好きでは無いのに嫌いでもないのです。
無関心、と云うことでもないのです。
そんな私ですけれども、最近、ふと、こんなことを考えます。
好きにならなくてもいいのではないか、と。考えるのです。
嫌いにならなくてもいいのではないか、と。考えるのです。
つまり、此方である!と決めなければ良いのではないかと云うことです。
私はこの世の全てが好きです、愛しています。
でも、私はこの世の全てが嫌いです。
それで良いでは無いかしら。
私は好きにも嫌いにも固執しません。
ただ、物事を静かに愛しています。
そう、それが、私の『好き』と『嫌い』なのです。

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