「好き」も「嫌い」も
あなたに会うまで、決める側だったのに。
お題『好き嫌い』
「外、行こうかな」
ボソッと呟いた独り言は、私に着替える気力を与えた。人前に出られるような格好ではないと思いつつ、替えたのはジーンズだけだった。
スマホも財布も何も持たずに外へ出る。これは、散歩と言うのだろうか。
出勤や買い物以外で外に出たのは、もう何ヶ月振りだろう。背中に当たる太陽の熱に、自分の貧弱さを思い知らされた。
目的もなく、ただただ歩いている。歩くことさえ意識せずに、前に足が出ていく。
こんな家もあったのかと横目で見て、人様の家をジロジロ覗くのは良くないと戒める。前にスーパーがあった場所は取り壊されて、空き地になっていた。何屋さんだろうかと思って見た店は美容室だった。
前から来る人は、私と違ってお洒落な服を着こなしている。途端に、自分の格好が恥ずかしくなった。
何とも思われていないだろうか。今、目が合ったのは気のせいじゃない。どこかおかしいのか。いや、私が見ているから見ただけなのか。
ぐるぐる考えていると、もうその人はいなかった。
人がいなくなると、途端に寂しくなる。お腹のあたりが、少し冷たくなる気がした。別に胃腸が弱いわけじゃない。今までも、度々こんなことはあった。なくなりかけていた記憶と共に、トラウマも引き出されそうになる。
もう、帰ろう。
久しぶりの外出は、別に気分転換にもならなかった。けれど、私が少し人間に近くなった気がした。
お題『街』
あの事故でアイツを失って以来、何の意欲も湧かない。
行きたい場所なんて、前はいくらでも思いついた。アイツがいたから、どこへだって行く気になれたのに。
二人ともめちゃくちゃに怒って殴りあったケンカが変な理由で終わった時、
洗剤でシャボン玉を飛ばした空、
抱きあって喜んだあの瞬間を。
温かい家庭を築きたいと笑っていた笑顔、
イタズラに乗って一緒に叱られた時、
顔を見合わせて笑ったあの頃を。
忘れてしまえたらどれほど楽だろうか
けれど、では忘れるかと問われれば首を縦に振ることはない。
忘れてはならない。例え他の何もかもを忘れてしまおうと、これだけは。
誰にも話してはならない。自分だけの宝物だから。
それでも時たま、この感情を抱えたまま生きていくことを恐ろしく思えてしまう。
こちらに気付いて駆け寄るアイツはいつまでも綺麗なまま。それを悪夢で汚しているのは他でもない自分なのだ。
ただの人間に神性なんか見出さないでまるまる見通せたら良かった
見たままの、何でもない人物として接したら良かった
アイツを好きになる度に、アイツの本当の姿から離れていく
理想の色に塗り潰されて、元々描いてあった線がどこか分からなくなってしまった
いっそ綺麗に忘れられたなら
もう一度まっさらな状態で出会えたなら
ああ、そうだ。
やりたい事の欄に、「アイツに会う」が刻まれた。
お題『やりたいこと』
(白い服、黒い服、そして紡がれる右手)
(宙ぶらりんの鶏、警笛を鳴らす左の脳)
(耳元で囁く小さな子供、それから、それから…)
気付くと、子供は道に立っておりました。
何処とも知らない、闇に包まれた場所。そこでは、道だけが白く輝いていました。その道をひたすらに歩んでいると、前に人影が見えました。
「ねえ…何してるの?」
そこに居たのは、一人の男でした。ただ呆然と道を眺めて、棒立ちしています。
話しかけられたと気付くと、男はくるりと振り向き首を傾げました。
「それが、分からないんだ。いつの間にかここへ来ていた。進む先に何かあっては恐ろしいから、進むに進めなくってね。」
「大人なのに、怖いの?」
「ああ、とてもね」
「じゃあ、僕と一緒に行こうよ。それなら、心配ないでしょ」
男が頷くと、二人は横に並んで歩き始めました。一人で歩いていた時は、あまりに広く心細い道でしたけれど、二人で歩くと少し狭い程なのでした。
「僕、知らないうちにここにいたんだ。何でだろ?」
「神様がお決めになったからじゃないかい」
「じゃあ、あなたは、何でこんな所に?」
「そうするべしと命令されたからだよ」
男は何を聞いても要領を得ない事ばかり返すので、少し苛立ちました。その視線に気が付いたのか、困ったように笑います。
「ごめんね。分かりにくいだろうけど、我慢してくれ。全てを知ってしまえば、君は進まなくちゃいけなくなる。」
そのせいで、余計に訳が分からなくなってしまいました。
道中、男は何も話さなかったので、子供は短い人生の思い出を話しました。
「僕ね、お姉ちゃんがいたんだよ。イジワルだけど、たまに優しいんだ。それでね、パラソルをね、僕の前で回すんだ。それが眩しくって、僕なんにも言えなかった。」
子供が俯いた事もあり、より高いところから男の声が降り掛かってきました。
「君は下を向いているね。」
「?」
「己よりも可哀想な者はいないと、自分が途轍もないような不幸者と考えて、さも殊勝らしく下を向いている。そしてそれが良い事であるかのように振舞っている。いや、無意識下に行っている。」
「何、言ってるの?」
「いや済まない。別に怒っている訳ではないのだ。怒っているのでは、ないんだよ。」
男は神父のように落ち着いた声でした。その後は何も言わず、ただ二人は歩んでいきました。
「少し、お腹が空かないかい。ここらに店はあるだろうか」
二人は足を止め、辺りを一瞥しましたが、見えるのは前後に伸びる道だけ。真っ暗闇の中、白砂でできた道が一本伸びているだけでした。
子供が申し訳なさそうに男を見ると、困った顔で頭を振って微笑んでいました。
「いや、君が空いてないなら良いんだ。よく考えてみれば、さして減ってもいないから」
そう言えば、先程から長い間歩いているにも関わらず、空腹どころか疲れる事すらありません。子供は、これは夢であるかもしれないと、そこで初めて思いました。それに、この男の人はとっくに死んでいる──……
何粁歩いても、道の先はまだ見えることがありません。
「ねえ、この道はいつか終わる?」
子供が問いかけても、男は生返事しかしません。しかし、やがて顔を上げました。
「嗚呼、そうだな。
彼処に行くのは、私だけでいい」
男はそう言うと、子供の体を道から押し出してしまいました。
子供はひたすらに暗闇を落ちて行きました。最後に見た男は、安らかな笑みを浮かべていました。唇を動かしているようでしたが、子供には何も聞こえませんでした。
「……」
子供が次に目を開けると、先程とは一変して白い部屋にいました。やっぱりあれは夢だったのかと嘆息します。右腕は管に繋がれて細り、病人ででもあるかのようでした。
「あら、起きたの。アンタ、車に撥ねられたこと覚えてる?鈍臭いんだから。何も問題ないでしょうね。これで前よりも頭悪くなったら笑えないわよ。…返事は?」
何時も以上に不機嫌そうな姉の顔を見て、子供は何も言えなくなりました。常ならばここで反論するのですが、今回ばかりはそんな気も起きず、姉も病人相手ですからそこで終わらせてしまいました。
「そういや、そこに落ちてたやつだけど、アンタの?」
長い沈黙の後、ふと姉が紙切れを差し出しました。心当たりはありませんでしたから、訝しげに顔を寄せてそれを見ました。
『まだ、こっちへ来ちゃ駄目だよ。それを望んではいけないよ。』
あの一時の中で分かるはずも無いのですが、子供には、それが男の字であることが一目で分かりました。
「あの人は僕だ。もっと、ずっと先の僕だ…」
紙切れの字が滲んで、子供は涙を流していることに気が付きました。
(湖を揺らす静寂、火山の底に潜る龍)
(敬虔な祈りを捧げる信徒、髪を梳く女)
(母の腕で眠る嬰児、それがおまえ)
お題『岐路』
あと3時間で世界が滅亡するらしいから
2人でどこかへ出かけよう
あんまり遠くへは行けないけど
海くらいなら行けるからさ
電車に揺られて1時間半
ほんとはもっと早く着いたけど
僕が電車を乗り違えて
こんな時間になっちゃった
君はあと少ししかないって焦ってて
それがとってもおかしかった
涙が出たのはおかしかったせいだよ
白い砂浜なんて事なくて
汚く冷たい場所だった
それでも普段の人混みよりも
何千倍も素敵だった
君と海を眺めたりして
残りの時間はあと1分
君は最後は笑ってたけど
僕はちょっぴり泣いちゃった
近所にできたケーキ屋も
約束してた映画だって
まだまだできてないことだらけで
嫌だねやっぱり生きたいね、なんて言って
2人の世界で笑ってた
あと1分で世界は滅亡するらしいけど
皆と心中なんて嫌だから
一足先に僕らだけで逝こう
お題『世界の終わりに君と』