ななせ

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(白い服、黒い服、そして紡がれる右手)
(宙ぶらりんの鶏、警笛を鳴らす左の脳)
(耳元で囁く小さな子供、それから、それから…)
気付くと、子供は道に立っておりました。
何処とも知らない、闇に包まれた場所。そこでは、道だけが白く輝いていました。その道をひたすらに歩んでいると、前に人影が見えました。
「ねえ…何してるの?」
そこに居たのは、一人の男でした。ただ呆然と道を眺めて、棒立ちしています。
話しかけられたと気付くと、男はくるりと振り向き首を傾げました。
「それが、分からないんだ。いつの間にかここへ来ていた。進む先に何かあっては恐ろしいから、進むに進めなくってね。」
「大人なのに、怖いの?」
「ああ、とてもね」
「じゃあ、僕と一緒に行こうよ。それなら、心配ないでしょ」
男が頷くと、二人は横に並んで歩き始めました。一人で歩いていた時は、あまりに広く心細い道でしたけれど、二人で歩くと少し狭い程なのでした。
「僕、知らないうちにここにいたんだ。何でだろ?」
「神様がお決めになったからじゃないかい」
「じゃあ、あなたは、何でこんな所に?」
「そうするべしと命令されたからだよ」
男は何を聞いても要領を得ない事ばかり返すので、少し苛立ちました。その視線に気が付いたのか、困ったように笑います。
「ごめんね。分かりにくいだろうけど、我慢してくれ。全てを知ってしまえば、君は進まなくちゃいけなくなる。」
そのせいで、余計に訳が分からなくなってしまいました。

道中、男は何も話さなかったので、子供は短い人生の思い出を話しました。
「僕ね、お姉ちゃんがいたんだよ。イジワルだけど、たまに優しいんだ。それでね、パラソルをね、僕の前で回すんだ。それが眩しくって、僕なんにも言えなかった。」
子供が俯いた事もあり、より高いところから男の声が降り掛かってきました。
「君は下を向いているね。」
「?」
「己よりも可哀想な者はいないと、自分が途轍もないような不幸者と考えて、さも殊勝らしく下を向いている。そしてそれが良い事であるかのように振舞っている。いや、無意識下に行っている。」
「何、言ってるの?」
「いや済まない。別に怒っている訳ではないのだ。怒っているのでは、ないんだよ。」
男は神父のように落ち着いた声でした。その後は何も言わず、ただ二人は歩んでいきました。

「少し、お腹が空かないかい。ここらに店はあるだろうか」
二人は足を止め、辺りを一瞥しましたが、見えるのは前後に伸びる道だけ。真っ暗闇の中、白砂でできた道が一本伸びているだけでした。
子供が申し訳なさそうに男を見ると、困った顔で頭を振って微笑んでいました。
「いや、君が空いてないなら良いんだ。よく考えてみれば、さして減ってもいないから」
そう言えば、先程から長い間歩いているにも関わらず、空腹どころか疲れる事すらありません。子供は、これは夢であるかもしれないと、そこで初めて思いました。それに、この男の人はとっくに死んでいる──……
何粁歩いても、道の先はまだ見えることがありません。
「ねえ、この道はいつか終わる?」
子供が問いかけても、男は生返事しかしません。しかし、やがて顔を上げました。
「嗚呼、そうだな。
彼処に行くのは、私だけでいい」
男はそう言うと、子供の体を道から押し出してしまいました。
子供はひたすらに暗闇を落ちて行きました。最後に見た男は、安らかな笑みを浮かべていました。唇を動かしているようでしたが、子供には何も聞こえませんでした。

「……」
子供が次に目を開けると、先程とは一変して白い部屋にいました。やっぱりあれは夢だったのかと嘆息します。右腕は管に繋がれて細り、病人ででもあるかのようでした。
「あら、起きたの。アンタ、車に撥ねられたこと覚えてる?鈍臭いんだから。何も問題ないでしょうね。これで前よりも頭悪くなったら笑えないわよ。…返事は?」
何時も以上に不機嫌そうな姉の顔を見て、子供は何も言えなくなりました。常ならばここで反論するのですが、今回ばかりはそんな気も起きず、姉も病人相手ですからそこで終わらせてしまいました。

「そういや、そこに落ちてたやつだけど、アンタの?」
長い沈黙の後、ふと姉が紙切れを差し出しました。心当たりはありませんでしたから、訝しげに顔を寄せてそれを見ました。
『まだ、こっちへ来ちゃ駄目だよ。それを望んではいけないよ。』
あの一時の中で分かるはずも無いのですが、子供には、それが男の字であることが一目で分かりました。
「あの人は僕だ。もっと、ずっと先の僕だ…」
紙切れの字が滲んで、子供は涙を流していることに気が付きました。
(湖を揺らす静寂、火山の底に潜る龍)
(敬虔な祈りを捧げる信徒、髪を梳く女)
(母の腕で眠る嬰児、それがおまえ)


お題『岐路』

6/9/2024, 1:24:39 AM