今日は雨。
水滴まみれの窓を見上げると、遠くに大きな灰色の雲が滲んでいた。雲から稲妻が閃く。この調子では今日一日中雨確定だ。
雨でいつもより通りは閑散としている。といっても、傘をさして歩いている人がぽつぽつと、本当にぽつぽつとだが見える。みんなこんな雨の中、どこに行っているのだろう。
私はといえば、窓や地面を打ち付ける雨音や、雨樋をすごい勢いで通り抜ける水音、水溜まりができた道路を車が駆け抜けていく音に、まるで貴族のような気分でひたすら耳を傾けている。
足の踏み場もないほどの文庫本が床に散乱している。
読みかけでしおりが挟んであったり、購入したはいいものの結局読まれなかった可哀想な積読本たち。
持ち主をたらい回しにされ、挙げ句の果てには土のついたスニーカーで踏みつけにされる最期なんてあまりにも残酷だ。本は持ち主を選べないが、今度の購入者が私でなければ、もっとましな最期もあっただろうに。踏んだのは私ではないが、一端の責任を感じて気が重くなる。
額から垂れる血でぬるつく床にはいつくばり、適当に目についた本の見開きのページの文章を目で追う。「坊主憎けりゃ」……ああ、まさに今の彼の心境じゃないか。
夕飯は彼の好物のエビグラタンにした。
当初は入浴を面倒くさがっていたのだが、子供というのはなかなかどうして現金なもので、好物でつったらさっそく衣服を脱ぎ散らかして風呂場に向かった。男の息子もそのような嫌いがあったが、ここまでではなかった。
寝仕度を全部済ませたあとで、DVDプレイヤーが映し出す特撮ヒーロー物の大げさな爆発やCGの光を浴びながら、うつらうつらと眠りこける彼にタオルケットをかける。室内の空調は常に完璧の状態を保っているが、クーラーの冷気で万が一風邪を引かないとも限らない。
六歳児行方不明のニュースが、男が持つスマートフォン上に映し出されている。男はそれを対岸の火事のように流し読んだ。友達と別れて以降、全く足どりが掴めていないのだとか。
それはそうだ。男は人気がないところで細心の注意を払い、薬で眠らせてから車で拉致してきたのだから。友達と別れて気もそぞろの彼に背後から近づき連れ去るのは簡単だった。
画面上のニュース映像には、さめざめとなく母親と、その妻を支える夫の理想的な夫婦像がある。罪悪感をきちんと持ち合わせている男は何となくはなじろんだ。
だが、今彼が頼れる大人は俺だけなんだ、という実感も同時に湧いてきた男は喜びを噛み締めた。
父親以前に一人の男だった。
改めてそう思い知らされたのは、刑務所内から送られてきた言い訳じみた謝罪の手紙のせいだった。
恐らく何かの点数稼ぎに必死なのだろう男が机に向かい合う姿が思い浮かぶ。だだそれだけだ。
私は便箋を飾り気がない封筒に戻し、それを昔に男が贈ってくれたシュレッダーにかける。
男からの手紙はその日を境に頻繁に来るようになった。もちろんその時からシュレッダーはフル稼働だったし、返事を書くこともない。
手紙が来てはいちいち中身を確認して、そしてシュレッダーにかける、という一連の流れがそろそろ身に沁みた頃。
直接の暴力ではなくても、相手に覆しようのないダメージを負わせることはできる。
言葉もなく涙が流れてきたそのときも、私は手紙を確認して、それからシュレッダーにかけていた。
友達を殺してしまった。
奪われる痛みを誰よりも知っているはずの僕が。
僕は友達の物言わぬ死体を前に、一歩、二歩、ゆっくりと後ずさった。
よりにもよって開眼したまま絶命してくれた友の目が、「どうして俺を殺したんだ」とえんえんと僕を責め立てている。
「違う。違うんだ。でも、うう……」
細い嘆願の声は、血の匂いが充満する部屋に吸い込まれた。
僕はただ、お前と落ち着いて話をしたかっただけなのに……。
心の中でぽつりと呟くと、まるで僕の心を読んだように、友の目がぐるりと回った。
当然そんなことはなく、恐慌状態だった僕の精神状態が見せた幻に過ぎないのだが、そのときの僕に分かるはずもない。
「何はともあれ、これで晴れて殺人鬼の仲間入りだな」
彼の瞳が訴えかけている。僕はそれを当然の糾弾として受け入れた。
ついさっきまで息をしていた彼を、その人間性でさえ、僕はピンナップにして終わらせたのだ。