しぎい

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4/12/2025, 12:26:05 AM

「――子宮がないくらいなにさ。つくればいい話だけのだろ」

「無理だ」

「無理じゃない。たかが身体の中に袋一つ増やすだけだ。女にできて僕にできないことはない」

「できない。少なくとも可能と不可能の区別もつかないような馬鹿には無理だ」

「僕には不可能なことなんてない。だから期待して待っててね。君と僕の赤ちゃん」

4/11/2025, 2:09:27 AM

電子化された小説を読み漁って、ただひたすら辛い現実から逃げている。

好きな作家でも、ノンフィクションやエッセイは嫌い。現実逃避するために読んでいるのに、なぜ現実を見せつけられなければならないのか。

年齢=現実から目を背けてきた年数。
生まれてきたときはみんな平等に祝福されるはずなのに、おかしいね。

けれど今日は、一週間ぶりに外出することになっている。高校のときの友達に会うために。

BGMがおしゃれなカフェで、マグカップからたつ湯気と手触りを頼りに柄を探りながら、友達に近況を話した。

「――でも仕方ないんだ。私は生まれつき目が見えないから」

私が話し終わると、しばらく彼女は黙り込んでいた。曲名は知らないが、有名な洋楽のピアノジャズアレンジが店内に流れ出す。
わずかに色めきたった私の心に、彼女の静かな怒りをたたえた声が水を浴びせかけた。

「私、障害を理由に何もしない人が一番嫌い」

彼女が発する冷たい声音は、間違いなく私を軽蔑していた。
私にはそれにショックを受ける心も、もはやなかった。かわりに喉から出てきたのは卑屈なほど乾燥した声色。

「……現役のパラリンピック選手に、私の気持ちなんて」

左利きでもなかった彼女が左手で器用にミニトングを使いカフェラテに砂糖をぼちゃんとつまんで入れ、ティースプーンでかちゃかちゃかき混ぜる。難なく溶けたのだろう砂糖が丁度良く調和したカフェラテをすすり、彼女はほっと息を吐いた。
嫌でも鋭敏に研ぎ澄まされた私の耳は、聞きたくない彼女の吐息まで拾ってしまう。

彼女は今も昔も、突然の事故で右手と右足をなくしたハンデを何でもないことかのように振る舞っていた。

「分からないよ。分かりたくもない。でも、あんたが今みたいに塞ぎ込んでるのは嫌なの」

私と同じところまで落ちてきた彼女のことが、私は大好きだった。それは彼女も同じだったと思う。私たちは仲間だったから。

でも今は、彼女が考えていることが分からない。見えなくてもわずかな空気の振動で人の気持ちはある程度伝わるものだけど、唐突に泣き出す彼女の気持ちだけは理解できなかった。

「そっちのほうが意味が分からない。なんで泣いてるの? 映り悪いからやめてよ」
「あんたのせいでしょ」

涙が垂れて服にしみる音は判別できる。でも彼女の微細な動きから彼女自身の気持ちまでは、「こうなんだろうな、ああなんだろうな」というあくまでも私の想像の範囲を出ない。
目線すら合わない、合わせられない愛は歪んでいる。私は彼女が泣いている理由すらわからないのだから。

――あの子の顔も分からないのに好きとか愛してるとか、正気なの?

周囲に言われるたびに、確かに、とよく自問自答したものだ。
すっきりと辺りに通る声からして美人だと思うけど、それも定かではない。そもそも私は自分の顔すら分からないのに、彼女のことをとやかく言える立場ではない。

でも今、私のためにぽとぽと涙を流してくれている彼女は、間違いなく私を再び現実の世界へ引き戻してくれる大切な存在だと思った。

4/10/2025, 9:53:59 AM

「元気?」

そう言って入院先の病院に数年ぶりに顔を出したのは、高校時代の私の数少ない女友達だった。

入院してるんだよ元気なわけねーだろ、と言えたらどんなによかったか。
私はこみ上げてくる汚い言葉を必死に抑え込んで、笑顔で「元気だよ」と返した。来てくれて嬉しい、と心にもないことまで。

(かわいい顔、昔から変わらないんだ。見るだけで引っかき回したくなる)

でも私にさらに本格的なダメージを食らわしたのは、その後ろからついてきた男の存在だった。
初恋だったのだ。叶いっこないってわかっていたけど。

笑う男は、やがて女と共に病室に入ってきた。

「大丈夫? 入院したって聞いて。でもってなんの病気なん?」
「え、多分貧血」

とっさにごまかした私に、「うっそー、貧血でこんなチューブとかつける?」と周囲の医療器具を無造作に触るお人形女。ばれないように睨みつける。

(こいつらが出てってくれるまで耐えてくれるかな、私の心臓)

4/9/2025, 9:57:51 AM

「僕もこれからそっちに行くよ、うん」

がらんとした部屋で、スマホの中で微笑む彼女に向かって話しかける。照れながらウェディングドレスを試着する彼女は、贔屓目抜きに見ても美しい。

「だけど僕、まだやることがあるから」

ネットに流れていた、通り魔の男の護送時間が迫る。僕は立ち上がった。手には自作の拳銃。

「だからごめんね。向こうで盛大な結婚式を挙げよう」

4/8/2025, 12:33:17 AM

悪夢に悩まされ続け、ここ一週間くらいろくに眠れていない。
そんな私に、彼が一輪挿しの菊のプレゼントをくれた。

「なに? 遠回しに死ねってこと?」

据わった目で彼を見やると、彼は手をぶんぶんと振り慌てた感じで否定した。

「違うよ。かけ算でもマイナスにマイナスをかけるとプラスになる。これ小学生でも知ってる常識でしょ」
「それでいじめの代表格みたいな縁起が悪い菊の……しかも一輪挿し?」
「気分が落ち込んでるときって、さらに拍車をかけるみたいに暗い曲が聞きたくなるだろ。それと似た感じ」

ていうかそのいじめのイメージ古くない? そうのたまう彼を私は無視した。
ラベルが剥がされただけの瓶から突き出る菊を、端から端までじっくり眺める。適当に家にある瓶で間に合わせたのだろう。ほのかにごま油の香ばしい匂いが残っている。

水底に沈む茎の切り口がやけに巧妙だった。
そういえば、彼の実家は花道の家元だったと思い出す。現在の放蕩っぷりからは想像もつかないが、かつては窮屈な上級世界で和の心をびしばしと叩き込まれたのだろうか。

「それとこれとは別。でもまあ……ありがと」

どういたしまして、と彼が屈託のない明るさで笑う。
その眩しさで私を殺せそうなくらいだ。くらと身体が傾く。でも油臭い瓶だけは落とさないように、ぎゅっと握りしめていた。

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