『吹き抜ける風』
11月も後半に差しかかり、秋という季節とともに終わりを告げようとしていた。
少し仄暗くなった空の下、俺の最寄駅で彼女と落ち合う。
「これ、愛知に行ったときのお土産です」
「いつの間に、そんなところまで遠征してきたの?」
紙袋を手渡すと、興味津々で彼女が中身を覗き込んだ。
好奇心で輝いていた瑠璃色の瞳が、一変して重々しい影を差す。
「なあ……?」
彼女の口から悩まし気な息が溢れ、弱々しい風を生み出した。
「本当に、なんてもん買ってきてくれやがったんだよ」
わざわざ愛知まで行ってきたのに、彼女のために用意する土産なんてひとつしかない。
しおしおと脱力していく彼女に対して、俺は嬉々として答えた。
「メイド服ですが、なにか問題でも?」
*
先日の文化祭で俺のメイド姿を見たのだから、今度は俺が彼女のメイド姿を見る番である。
わざわざ駅前で泣き縋って主張した甲斐もあって、俺は彼女を家に連れ込むことに成功した。
そして「絶対に覗くな」という条件のもと、彼女はメイド服を着用する。
彼女はコスプレ感の強いフレンチメイドよりも、丈の長いスカートを着たクラシカルメイドがよく似合っいた。
俺の見立て通りのかわいいメイドさん天使が、俺のリビングに降臨する。
あまりのビジュの強さに、携帯電話のカメラのシャッター音が止まらなかった。
「知ってました? メイド喫茶での『おかえりなさいませ、ご主人様』っていうお決まりのフレーズ、発祥は愛知らしいんです」
「……知らねえよ」
携帯電話をローテーブルの上に置いて、彼女に近づく。
「満足した?」
「まさか」
「えぇ……」
げんなりと肩を落とした彼女の隙をついた。
「ふんっ!!」
「!?」
ブワァサァァァァァッ!!!!
鼻息を荒くして、全力で腕力を使って下から風を巻き起こす。
吹き抜ける風によって、メイド服のロングスカートが無防備に捲れ上がった。
黒いスカートの下からすらりと伸びた白磁のようなおみ足が晒される。
思いのほか勢いよく波打つスカートは、彼女の魅惑的なおヘソまで露わにした。
否が応でも脚と腹部の間。
俺にしか許されない、彼女の不可侵領域に目が奪われた。
!?
ちょっ!?
まっ!?
「はあぁああっ!?」
「み゛ゃぁあっ!?」
顔を真っ赤にしてメイド服のスカートを押さえ込む。
そんな彼女から顔を逸らしながら、俺は彼女に手を伸ばして訴えた。
「タ、タンマッ!!」
「なにがタンマだっ!! クソッたれ!!」
スカートで押さえられたその足で、彼女は俺の脛を目がけて容赦のない蹴りを入れる。
「自分でやっておいて照れるなっ!!」
「そっちがとんでもないもん仕込んでるからでしょうがっ!!」
キャンキャン声を荒げる彼女に対して、俺も応戦する。
フリル仕様になっている紐パンが、ダイレクトに視界に入ってきたのだ。
動揺するなというのが無理である。
「なんて下着(もん)、装備してるんですかっ!」
「そっちがメイド服と一緒に袋に入れてたんだろうがっ!」
「そうですけどっっ!!!!」
普通、着るとは思わないだろうっ!?
よしんば着たとしても恥ずかしがるだろうから、手持ちのふわふわしたインナーウェアで隠すと思っていたのだ。
「人から貰ったもんを無警戒にホイホイ身につけないでくださいっ!」
「着なきゃ着ないでうるさくなるクセにっ!!」
「ノーブラノーパンも大歓迎です!!」
「やっっっ、かましいなっ!? すけべも大概にしろっ!!」
ノーブラノーパンと裸エプロンは男のロマンだろう!?
元気に吠え続ける彼女を、どうやって言い負かしてやろうかと考えたとき、ひとつの可能性が頭をよぎった。
え、待てよ。
下も履いてくれている、ということは?
「あの。もしかして、上、も?」
「…………」
期待で胸を高鳴らせて、その可能性に迫る。
彼女は身体を硬直させたあと、目を逸らした。
羞恥心で真っ赤に頬を染めて俯く彼女は、ぎゅうっと胸元を隠す。
「知らない……」
ヘタくそでありながらも煽惑的なごまかし方に、プッツンと頭の中の切れてはいけないなにかの糸が切れた。
「ひん剥きますね?」
「やっ!? ちょっと、ね、待って!?」
「脱がすの時間かかるので待ちません」
押し返す彼女の腕に力は入っていなかった。
力技でソファに座らせて、彼女を見下ろす。
いやいやと首を横に振る彼女の反応を照れているだけど都合よく捉えた。
「その間に、心積りでもしてください」
「う、ぁ……っ」
あわあわと忙しなく開閉させる彼女の唇を塞ぎながら、ゆっくりとソファに押し倒していった。
『記憶のランタン』
来年、俺たちは同棲する。
まだ互いの両親に挨拶をすませただけだが、俺は今のうちに、不要な荷物の整理を進めていた。
俺の部屋の片づけを手伝っていたはずの彼女が、箱をひとつ抱えて俺の隣に座る。
「ねえ。これなに?」
「なにって、ただのランタンですよ?」
電池を3つ入れてから、スイッチを押すと、仄かなオレンジ色がじんわりと灯る。
つまみで明るさを調整してローテーブルの上に置いた。
「ほら」
「おぉ。ついた」
なんの変哲もないただのキャンプ用のランタンに、彼女は興味津々と食いついた。
燃料ではなくLEDだから、テントの中でも使えるという利便性だけで選んだものである。
デザインだけはブリキでアンティーク調にして少しこだわってみた。
電池で動くし、ソーラーパネルで蓄電もできるから、防災用に残していたことを思い出す。
玄関が推しのテリトリーになったから行き場がなくなり、適当な収納棚に押し込めたのだ。
「キャンプ道具はあらかた手放したと思っていたんですが、まだ残ってましたか」
「あれ? キャンプとかする人だっけ?」
彼女の視線がLEDランタンから俺に移る。
目を丸くする彼女に、俺はなんの気なしにうなずいた。
「声をかけてもらって数回程度ですが」
「ふーん」
日常的に体育館を駆け回っているせいか、彼女は読書や美術展など、意外とインドアな趣味を好む。
いわゆるソロキャンプに挑戦するほどハマれなかった俺は彼女と交際を始めて以降、出番がなさそうなキャンプ用品は処分していった。
「れーじくんって文芸部のクセにフットワーク軽いよね」
「文芸部、関係あります? それ」
「私と出かけるときはそういう感じじゃないじゃん」
唇を尖らせていじけ始める彼女の頬を突いた。
「それはそうでしょう」
彼女の体力は申し分ない。
キャンプはさておき、きっとアクティブなデートも楽しめるはずだ。
むしろ彼女よりも先にバテる自信がある。
暗がりさえ気をつければ山でも川でも海でも空でも、どこに誘っても好奇心の強い彼女は快諾するに違いなかった。
そういうデートをしないのは、単に好みの問題である。
「俺、あなたとはまったり過ごしたいですもん」
「まったり?」
体を動かすことは好きなほうだ。
アクティブなデートスポットに行けば、俺だって楽しんでしまう。
しかしそれでは、彼女に割けるリソースが減ってしまうのだ。
「ほかごとに気を取られてあなたとの時間が終わるのは、もったいないじゃないですか」
どうせ時間を忘れるのなら、流動的な彼女の魅力を目に焼きつけながら忘れたい。
だから、できるだけ緩やかなデートを選んできた。
「私ってめちゃくちゃ愛されてるんだね?」
はにかんだ彼女が、茶化すように俺の顔を覗き込む。
挑発的な笑みに煽られて、つられて俺の顔も緩んだ。
「まだまだ、こんなもんじゃありませんけど?」
ランタンの電源を落として箱にしまう。
少量の光を失ったリビングで、ほんのりと赤く色づく彼女の頬に触れた。
「ちゃんと、覚悟してくださいね?」
素直に両目を閉じる彼女の唇に、自分の唇を重ねた。
『冬へ』
早朝の空気が肌に触れると、ツンと刺す痛みを感じるようになった。
日中はまだ暖かくて心地いい。
イヤーマフ、手袋、マフラーと防寒具を出してみたが、いざ身につけるとなると少し躊躇した。
いざというときにすぐ使えるようにと、ニット帽とカイロケースも取り出す。
一度クリーニングにでも出してから数日、様子を見てみるか。
冬の小物類を全て紙袋に突っ込み、玄関前に置いた。
ちょうどそのタイミングで最愛の妻が帰宅する。
「ただいまーっ」
「おかえりなさい」
ぴょこぴょこと黄色のハンカチで飾った小さなポニーテールを上機嫌に揺らした彼女は、紙袋に目を向ける。
「なにか買ってきたの?」
「ご期待に添えずすみません。俺の私物をクリーニングに出そうかと」
「もうそんな時期か」
「ついでに出したい服があれば出してきますよ?」
「え? 私の夏物とコート類はそっちが勝手に全部出してたじゃん」
大きな瞳が、紙袋から俺に移った。
不思議そうに瞬きを繰り返す彼女に対して、俺は眼鏡のブリッジを持ち上げる。
「靴下やハンカチといった小物類はまだ出せていません」
「そこまではしなくていい」
「そうですか」
顔を渋くする彼女に、俺は聞き分けよく引き下がる。
俺としても彼女の匂いがかき消されるのは冗談ではないので、願ったり叶ったりだ。
「あっ! でも、あれ! ハム!」
「ハム?」
なにかを思い出したのか、彼女が顔を上げて距離を詰めた。
仕事後の興奮を引きずっているのか、いつもより距離が近いし、圧も強い。
きらめきの残り火を間近で目の当たりにして目がくらんだ。
黄色のハンカチと一緒に跳ねる小さなポニーテールを崩そうとしたとき、彼女は無邪気に白い歯を見せて破顔させる。
ドォォォッ!
心臓を銅羅のごとく強く叩かれるのは今に始まったことではないが、こればかりはいつまで経っても慣れるものではなかった。
胸を押さえてうずくまる俺とは打って変わり、彼女は小慣れた様子で話を進める。
「ハムの着ぐるみっ」
あぁ、アレか。
声を弾ませてテンションを上げる彼女はかわいい。
ハムの着ぐるみというのは、ハムスターの着ぐるみパジャマのことだ。
去年、ディスカウントショップに行ったとき、彼女に似合いそうだと思って、つい衝動買いをしてしまったのである。
「あれ、そろそろ着たい」
えぇぇ……。
あれを着た彼女はかわいいけど、完全に夜がそういう雰囲気ではなくなるんだよな。
着せたら光属性の聖獣ができあがるから、かわいいんだけど。
とはいえ、好きなものに包まれている彼女はかわいいから、あっさりと絆されてうなずいた。
「わかりました。ついでにハムのぬいぐるみスリッパも出しておきます」
「やった!」
先ほど触れ損ねた小さなポニーテールに触れる。
細くて柔らかな青銀の髪に絡まないように気をつけながら、黄色のハンカチを解いた。
そのハンカチを彼女の小さな手に握らせる。
「それよりも、先に風呂に行ってください。飯、やっときますんで」
「ありがと。今日のご飯なに?」
「寒くなってきたので、汁物をおでんにしました。具材は卵と大根と豆腐のみですけど⭐︎」
「ブーッ」
わかりやすくむくれた彼女に、声をあげて笑ってしまう。
「あなたの好きなコンニャクと根菜類は明日の朝に回しますよ。メインは白身魚のバジル調理されたものが安く売っていたので、そちらを。デザートはキウイです」
おでんをお預けしてしまった代わりに、メインとデザートは彼女の好きな食材で揃えたつもりだ。
俺の思惑通り、彼女目がうれしそうに輝く。
「今日もおいしい!」
「その言葉は、食べてから聞きたいですね?」
髪ゴムもほどき、はらはらとポニーテールが崩れた。
軽く髪をすけば、くすぐったさそうに肩を捩る。
緩やかになっていく彼女の動作に見惚れながらも、彼女の荷物を受け取った。
「お風呂してくるね」
黄色のハンカチを行儀悪くブンブンと振り回して、俺の横を通り過ぎる。
その幼い仕草にフッと息をこぼして見送った。
「ええ。いってらっしゃい」
またひとつ、季節が進んでいく。
冬、特に年末は彼女の牙と爪が剥き出しになる時期だ。
移ろう季節を大切にする彼女が、この時期だけは闘争心を隠さずに濃い赤色を差し込む。
クリーニング行きの紙袋には、濃く、鮮やかな赤色のハンカチが数枚、覗いていた。
彼女の匂いが消えるなんて、冗談ではない。
その気持ちに偽りはなかった。
しかし。
彼女にとって、今年を締めくくる集大成。
そこに、去年の闘争心は必要ないはずだ。
『君を照らす月』
====================
いつもありがとうございます。
露出が多いです。
苦手な方は「次の作品」をポチッとして自衛をお願いします。
====================
月明かりをカーテンで遮光して、彼女という存在を独占する。
陽だまりを集めたシーツの上で横たわる彼女の姿は、天使と見紛うほどに神秘的だ。
「愛しています」
生理的に溢れていく涙の筋を拭って囁く。
熱で揺蕩う瑠璃色の瞳は純度の高い透明の膜が張り、常夜灯の仄暗い光を反射させた。
「す、き……っ」
意地っ張りな彼女が素直になる瞬間は、いつだって幸福感に満たされる。
必然的に顔を寄せ、唇を重ねた。
互いの熱が伝播し合い、息ができなくなるまで深く潜っていく。
色数の少なくなった寝室で、蠱惑的な美しさを醸し出す彼女に俺は翻弄されるばかりだった。
*
小さなベッドで彼女への愛を捧げたあと、ミネラルウォーターを取りに一度、寝室を出た。
壁側に向かって毛布にくるまっている彼女にそっと声をかける。
「水、持ってきましたよ」
「……んー」
体を動かすが起き上がる気力はないのか、彼女は微睡んだ調子で曖昧な返事をするのみだった。
「ひと口でいいですから、ね?」
だから、起きてください。
そう声をかけるつもりで、毛布をそっと取り除いて彼女の肩に手を添えたときだ。
「ひぁんっ」
「えぉっ!?」
艶のある声が寝室に響き、つられて俺も間の抜けた声をあげる。
は?
なんだ今のかわいい声は?
ついでに今、彼女はどんな表情をしているのか。
落ち着かない雰囲気のなか、顔を覗き込もうと体重をかけるとベッドのスプリングが軋んだ。
「ごめん」
俺の気配を悟った彼女が小さく言葉を溢す。
「でも。今、は、ちょっと……。触らないで……」
余熱を逃がそうと小さくくるまっている彼女の耳は赤い。
いたたまれなさからか、毛布を引っ張り上げて顔まで埋めてしまった。
「わかりましたから。とりあえず声枯れちゃうんで、水分は取ってください」
小さくうなずいたあと、気怠そうに体を起こした彼女に、水の入ったペットボトルを手渡す。
素肌を毛布で隠すが、浅く上下する背中は無防備にさらされていた。
肩甲骨の影が織りなす陰影に目を奪われたが、ペットボトルのキャップが小気味のいい音を立てて我にかえる。
ミネラルウォーターが傾いたペットボトルの重力に従い、緩慢な流れで彼女の口腔に移ろいでいった。
たぽたぽと小さな水音が心地よく耳に響く。
2、3口、水を含ませたあと彼女はペットボトルのキャップを閉めた。
「ありがと」
「どういたしまして」
彼女の手先に触れないようにしながら、ペットボトルを受け取り、ベッドボードに置く。
潤いを帯びた唇が、常夜灯で艶美に照らされた。
シャツを羽織ったあと、再び背を向けて横たわる彼女の隣に俺も潜り込む。
刺激を与えないように静かに腕を回したが、彼女の体は小さく震えて強張りを見せた。
「体、つらくないですか?」
「へ、……き」
腹に回した俺の手を取って、指を絡めて遊ばせる。
まだ熱を残す彼女の指先に、ゾワッと背筋が落ちつかなくなった。
「こっち、向いてくれませんか?」
「え、なんで……」
「最後に、キスだけさせてください」
彼女の絡めている指に緊張感が纏い、躊躇いがちに震えた。
その指を捉えて、今度は俺が撫でる。
「1回だけ。お願いします」
「……う」
おずおずと振り返った彼女の唇を、ゆっくりとさらった。
『木漏れ日の跡』
柔らかい光すら受け止めきれない、乾いた黄金色の葉が項垂れた。
新緑の隙間からきらめいた夏の木漏れ日とは一変する。
夏の熱を受け止めた葉が、澄んだ空気を揺蕩いながら地に落ちた。
西日を受ける木漏れ日が冷えた風に乗せられ影を揺らす。
長い影と葉の暖色は曖昧に混ざり合い、輪郭をぼかした。
その影の中を彼女が歩く。
青銀の髪が金色の光を浴びてキラキラと毛先を弾ませた。
「きれいだったね」
流動的な光と影のトンネルを抜けながら、彼女はまろやかに微笑む。
「ええ。とても」
黄金に染まったイチョウ並木の世界よりも、彼女の笑顔が眩しくて目を細めた。
*
「今日もありがとうございました」
彼女を玄関先まで送り届ける。
遠くの空は薄暗な紫を乗せ始め、小さな星を散らし始めていた。
日に日に日没が早くなり、彼女との時間が短くなる。
別れが惜しくて、きれいにメイクされた頬を指先で撫でた。
「チェーン、ちゃんとかけてくださいね」
「えっ」
頬から手を離したとき、彼女の瑠璃色の瞳が動揺を見せる。
「帰っ……ちゃう、の?」
寂しげに引き止めた彼女は色めいた雰囲気を醸して俺を魅了した。
「え?」
イチョウ並木を歩いていたときの神秘的な姿とは、また違う意味で俺を誘惑する蠱惑的な眼差しに生唾を飲む。
俺のコートを袖口を掴む、彼女の細い指が震えた。
赤くリップを引いた唇が控えめに動いたため、その口元を指で押さえる。
「その、俺、……我慢、きかなくなるんで」
後ろ髪引かれる思いで離れようとしているのだ。
そんな扇状的な顔で引き止めないでほしい。
「我慢、……なんで?」
んんんっ!?
ポツリと溢した彼女の言葉に耳を疑う。
自分の大胆な発言に気付いたのか、彼女も顔を赤く染めながらワタワタと慌てはじめた。
「あ、や……。ご、ごめん。困らせたいわけじゃ、なくて」
「いえ。うれしいですよ」
「あう……」
プスプスとオーバーフローしていく彼女に、顔が緩んでいく。
「俺、朝弱いんです」
明日の午前中はアルバイトが入っているため、早めに彼女の家を出なければならない。
彼女も仕事があるから、慌ただしくさせてしまうと思って帰宅しようとしたのだ。
しかし、ほかでもない彼女が引き止めてくれるのなら、その厚意を無碍にする理由はない。
「明日、ちゃんと俺を起こしてくれますか?」
「わかっ、た」
キラキラと西日を受け止める長い睫毛が恥じらいながら揺れた。
ドアノブに手をかけ、彼女を玄関へ促したあと鍵とチェーンをかける。
人目がなくなった瞬間、お日様の香りを纏った彼女を抱きしめた。