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いつもありがとうございます。
できるだけわからないようにきれいに取り繕いはしましたが、ドシモです。下品です。
本当に……昼時からお目汚しを申しわけございませんでした。
苦手な方は「次の作品」をポチッとして自衛をお願いします。
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帰宅してカバンを床に放り落とし、制服のままベッドにダイブする。
手持ち無沙汰になった右手が、スラックスのポケットから携帯電話を取り出した。
1枚だけこっそり撮った彼女の写真。
後ろめたさや彼女の周りのガードの固さもあり、この写真しか撮ることができなかった。
彼女の姿をレンズに収められたこと自体が奇跡だといっても過言ではない。
かわいい。
実物はもっと煌めいていて、温かくて、柔らかくて、小さかった。
少し緊張した様子の彼女だったが、優しくて穏やかな雰囲気をまとっている。
しかし一変、コートに君臨すれば淑やかな空気は威圧感と緊張にすり替えられ、息をのんだ。
ショートカットの毛先から迸る汗。
闘争心を爛々と輝かせた瞳と、傲慢に歪められた桜色をした薄い唇。
尊大な態度とは裏腹な、羽ばたくことに対する執着と泥臭さ。
大きく見える動きは最小かつ最短、思考は常に冷静に見えた。
体育館で彼女と出会って2週間。
夏休みも終わったし、これから全国に向けて予選会の試合だって控えていた。
俺なんかが想い慕っていい相手ではない。
早く忘れなければと自責の念に駆られながら、彼女に触れた温もりを、眼差しを、少し戸惑った笑顔を全て記憶から消そうとした。
忘れようとすればするほど、鮮明に浮かぶ彼女の姿。
涼やかな声をもっと甘く乱したい。
迸る汗にもっと艶と粘着性を与えたい。
不遜な笑みをもっと羞恥心で染めあげたい。
この写真も消さなければいけないことくらい、わかっていた。
かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。
かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。
写真アプリを開くたびに、彼女の写真を消そうと葛藤していた時間が無駄になる。
あっけなく瓦解していく自分の意志の弱さに情けなくなった。
白い素肌に真っ黒に塗りつぶされた独占欲を刻みたい。
そしてあわよくば、俺の名前を呼んでほしい……。
俺なんかには決して見せるはずのない彼女のあられのない寝姿を想像しては、気持ちを昂らせる。
これ以上、彼女を想ってはダメだ。
何度も何度も何度も何度も、頭の中でうるさいくらいに警鐘を鳴らしている。
息のあがる彼女の姿を想像しては、背徳感と罪悪感が混濁した白濁で汚した。
何度も何度も何度も何度も、自分の醜さに嫌悪する。
「…………最っ悪だ……」
俺は、背徳感に抗えない最低な男である。
行き場のない欲を強引に吐き出し、俺の荒い息だけが揺蕩っている寝室は、ひどく冷めきっていた。
*
彼女との生活に満足していない、ということでは決してない。
ただ、拗れに拗れた彼女への想いは同棲した今も、現在進行形で昂っていくわけで……。
彼女を欲しいままに求めてしまっては、体の小さな彼女の負担になってしまうという、俺なりの気遣いのつもりだった。
仮眠できるよう作業部屋に置いた小さなベッドで、行き場のない想いを処理をする。
「——……っ」
決して意図していたわけではない。
うわごとのように彼女の名前が口から溢れたときだった。
「ねえ。お風呂終わったんだけど、ごはんまだー?」
無遠慮に作業部屋のドアを開けられた俺は、即座に対応ができなくて固まる。
ドアノブを回した彼女自身もまた、そんな俺を見て固まった。
「……」
「……」
元々、作業部屋に鍵はついていない。
彼女に見られて困るものは置いていなかったし、後ろめたいこともないと思っていたからだ。
今日、この瞬間までは。
「……ごめん。ごはんは自分でやる」
パタン。
静かにドアを閉められた。
み、見ら、見られ……?
………………は?
閉められたドアと、熱を受け止め損なった自分の手を交互に見やった。
そして。
「きゃああああああああああぁぁぁぁ!! もうお婿に行けないぃぃぃいいいい!!」
「うるっさい! それ私のセリフだからなっ!?」
思いっきり叫んだら彼女がドア越しに反論してきた。
「はあ!? あなたは俺のお嫁さんになるんでしょうがっ! どこの女にたぶらかされてきたんですか!? 認めませんからね!?」
「賢者タイムの割りには絶好調だなっ!? 終わったんならさっさと風呂行けよ!!」
「あなたが目の前にいるってわかってるのに、気恥ずかしくて出ていけるわけないでしょうが!」
あああああぁぁぁぁっ!
バカッ、アホッ、マヌケッ!
彼女になんてもん見せてるんだっ!
過去最大の自己嫌悪に、ベッドでのたうち回った。
しばらくして、遅れてきた賢者タイムによって平然と取り繕い作業部屋から出る。
彼女は寝室にでも逃げ込んだのか、既にリビングはもぬけの殻だった。
余談。
諸々すませた俺が寝室に入るなり、ちょっと拗ねた彼女が容赦なく煽り散らかしてくる。
おかげで、その日の夜はめちゃくちゃ盛りあがった。
『センチメンタル・ジャーニー』
小学校に入る前だったと思う。
月にウサギがいると聞いて、父に肩車をされながら見上げた夜空。
真っ暗な夜空に輝く黄色い満月は、ウサギなんて見えなかった。
月の影は地域によっては、カニに見えたり女性の横顔に見えたりするらしいと、隣を歩く母が教えてくれる。
それでもなにも見つけられなくて、俺は反論した。
月に模様なんてどこにもない、と。
ツヤツヤとした黄色一色のきれいな満月は、むしろミルク饅頭ようだった。
両親も俺自身も知らない間に落ちていた視力。
眼鏡をかけた生活は煩わしく思う反面、世界をキラキラにしてくれた魔法のアイテムだった。
*
彼女と夕飯を外ですませた帰り道。
のんびりと街路樹を歩きながら、ふと空を見上げた。
くっきりと輪郭を描いた大きな満月が空に浮かんでいる。
「今日はひときわ月がきれいですね」
視線を月から彼女へとずらす。
俺の言葉を聞いた彼女は、本当に面倒くさそうにして顔をしかめた。
「……」
え、どういう感情?
世間話にもならない会話をする気分ではなかったのだろうか。
丸々とした大きな月をもう一度見上げた。
まぁ、デカく見えるのもしょせんは目の錯覚でしかないし、月は月だもんな。
鈍ちんな相手に情緒を求めても仕方がない。
いくばくか失礼なことを思い抱いていると、彼女がわざとらしくため息をついて月を仰いだ。
「あー、はいはい。このまま時が止まればいいですねー」
「はい?」
脈絡のない返事に首を傾げていると、痺れを切らした彼女が声を荒げる。
「あのさ、本っっ当に! そういうの、もういいから」
そういえばつい先日、彼女にかまってもらうために「そういう」言葉遊びで彼女への思いの丈をぶつけたばかりだった。
「あぁ……」
かの有名な文豪が「I love you.」を「月がきれいですね」と奥ゆかしく和訳した。
俺の言葉を彼女はそう捉えたのだろう。
プリプリと警戒心を上げて防御壁を立てる彼女がかわいくて、つい口元を緩めた。
「すみません、今のは本当に他意はなかったです。あんまりにも月が立派だったんで、世間話のつもりでした」
「ウソぉっ!?」
「本当ですって」
疑いの眼差しを向ける彼女に、両手を上げて抵抗の意思がないことを告げる。
互いに数秒、無言で見つめ合ったあと、彼女が頭を抱えて地団駄を踏んだ。
「最っっっ悪!!」
「そもそも。そういう駆け引きは嫌いでしょう」
「うん。好きじゃない」
こんなくだらないやり取りでさえ、ストレートに「嫌い」と言えない彼女がいじらしい。
乱れた髪の毛を整えるように、彼女の頭を撫でた。
しかし彼女の気はすまないのか、唇を尖らせて拗ね散らかす。
「……でも、この間はしてきたっ」
「あれはあなたが暇そうにしてたので、つい。出来心でした」
「なん、だそれ……っ」
覚えはあるのだろう。
彼女は悔しそうにギリギリと歯を食いしばった。
「でも、面倒がる割りにはきちんと応えてくれるんですね?」
俺の記憶が正しければ「時が止まればいいのに」は「今、この幸せの瞬間が永遠に続けばいいのに」という意味があったはずだ。
こんな些末なやり取りをする時間でさえ、彼女は大切に思ってくれている。
「え? だって好きなことには変わりない……もん」
「……」
耳に触れたり毛先をいじったり落ち着きなさそうにしているが、平静を取り繕う余裕はあるらしい。
照れくさそうにしながらも、俺への好意をためらいなく言葉にできるようになったあたり、彼女との時間の流れを感じた。
……俺は全然、言われなれないんだけどな。
彼女の告白を受けるたびに、彼女への想いを拗らせている気がする。
月明かりや街灯の光を受けて、彼女の瑠璃色の瞳は星よりも神秘的にきらめいていた。
幻想的に光を揺蕩わせる瞳に魅せられながら、俺は彼女の想いに応えていく。
「ありがとうございます。俺も好きだし、あなたと重ねていく時間は幸せですよ」
彼女の腰を引き寄せて距離をつめた。
シトラスの香りが近くなり幸福感が胸を満たす。
「ねえ、……腰は、やめて」
「俺のこと好きならがんばってください♡」
「さすがに調子乗りすぎ」
服の上から骨盤に這わせた指は、容赦なく彼女に叩かれた。
代わりに互いの指先を絡めて街路樹を歩く。
月の光を浴びた彼女の白い腕は、少し熱を帯びていた。
『君と見上げる月…🌙』
帰宅ラッシュ前、まだ明るい午後4時。
空いている電車の椅子に俺たちは横並びに座っていた。
つき合う前は隣り合わせに座ることすら許されなかったというのに……。
近い近い近い近い近いっ。
ヤバッ、普通に緊張する。
俺はピッタリと隣にくっついてくる、彼女の近すぎる距離感に翻弄されていた。
隙間、全然なくね? 普通に密着してるよな、これ。
つき合ったら距離感バグるタイプだったっけ!?
今、彼女がどんな表情をしているのか気になって、横目で盗み見た。
ああ゛ン?
俺の心の治安が一気に無法地帯となる。
船を漕いでいるオッサンが、彼女の肩に脂の乗った汚い額を乗せているのだ。
彼女は肩口で払いのけて抵抗しているが、今にも暴れ出しそうな顔つきで俺との距離を詰めている。
俺は彼女に気づかれないように深く呼吸をして決意を固めた。
「すみません。コレつけて俺と座る場所、ずれてもらってもいいですか?」
「え?」
顔を上げた彼女に、俺はポケットからイヤホンを取り出した。
「あ、ありがとう……。でも、なんでイヤホン……?」
「この間、聞いていた音楽、気に入っていたでしょう? アルバムをダウンロードしたんです」
「え、ウソ? 聞きたい」
陰りを帯びていた彼女の表情に少し光がさした。
これで多少は気を紛らわしてくれればいい。
「ええ。なので、どうぞ」
「ありがと……」
彼女の小さな耳にイヤホンを当てがい、音量を確認して音楽を流し始めた。
「少しだけ音量上げておきますから、お耳が痛くなったら下げてくださいね」
「ん。わかった」
ホッと表情を和らげて肩の力を抜く彼女に、俺も安堵する。
俺は携帯電話を彼女に預けて椅子から立ち上がった。
彼女が場所を移動すると、オッサンも顔を上げる。
やっぱり起きてるじゃねえか。
クソ野郎。
俺はすぐ、横にスライドして彼女が作ってくれたスペースにドカッと勢いをつけて座った。
いつもより足を開いて少しでも彼女とオッサンの距離が開くように幅を取る。
「お気持ちはわかりますよ。あんなにかわいくて魅力的な女の子の肩を借りて微睡むのは至福の極みですから」
眼鏡を外して、レンズについた細かい埃を丁寧に拭った。
「ですが今しがた、その隣が図体も態度もデカい俺にすり替わったわけなんですけど……」
頭の位置が低いことをいいことに、俺は無遠慮にオッサンを見下ろす。
「まだ寝たフリを続けますか?」
「……っ!?」
しっかりと汚れを拭き取った眼鏡をかけ直し、オッサンの面を記憶と眼鏡に焼きつけた。
「……その面、覚えたからな? 次、彼女に寄りかかってみろ。駅員の前まで突き出してやる」
「チッ」
次の駅までまだしばらくあるが、オッサンは舌打ちをしたあと、椅子から立ち上がって車両を移動していった。
「……ふう」
あっさり引いてくれて助かった。
足を閉じて背もたれに体を預ける。
足を閉じれば握りこぶしひとつ分とちょっとの距離が開いた。
俺の解釈通りの距離感に肩の力が抜ける。
緊張から解放されて、今さらバクバクと脈が暴れ始めた。
いや、違うがっ!?
俺の前に彼女だ。
怖くて不快な思いをさせてしまったのだから、きちんと心のケアをしようと慌てて彼女に目を向ける。
「……」
「……」
彼女はイヤホンを外して俺を真っすぐ見つめていた。
……は?
い、いつから? いつから聞かれていたのだろうか。
「あ、あの……」
恐る恐る声をかけると、彼女は気まずそうに顔を背ける。
その反応で、ほとんど最初から聞かれていたことを察して両手で顔面を覆った。
「なに、イヤホン外してくれちゃってるんですか……」
「いやぁ、……これ好きって……思って……」
握りこぶしひとつ分とちょっとの隙間を、彼女が詰める。
「ごめん。怒ってくれるなんて、意外で……」
「俺だって、いつもあんな危ない橋渡ってるわけじゃないです」
逆上されたら面倒だし、殴られたらどうしようとか、内心はかなりビビっていた。
当たりさわりなく過ごしてきたから、トラブルに慣れているわけでもない。
ほかでもない彼女が困っていたから、物申さずにはいられなかっただけだ。
「ありがと……」
「いえ。すみません、怖い思いをさせてしまいましたね」
「大丈夫。本当に平気だから。ね? それより、これ」
人前で弱さを見せない人ではあるが、本当に気にしている様子はない。
俺は彼女の言葉に素直に甘えた。
ころん、と彼女の手に乗っているイヤホンをつまみ取って耳にはめる。
「……ああ。この曲、きれいですよね」
俺たちは耳元で流れてくる音楽について会話を弾ませた。
そうしているうちに、アナウンスが彼女の自宅の最寄駅を知らせる。
「そろそろですね」
「うん」
彼女の手を取ろうとしたとき、先ほど位置を入れ替えたことに気がついた。
左手……。
「……行きましょうか」
すぐ隣にある世界で戦う左手を掴むことができず、空白を握りつぶした。
電車が止まり、力の入っていた手のひらが弛緩する。
ヘタレな右手は、彼女の背中に頼りなく触れた。
『空白』
彼女とリビングではしゃいでいる途中、どうにもごまかしきれなくなった頭痛に苛まれる。
泣く泣く彼女と離れて、俺はベッドインしてタオルケットにこもっていた。
台風が過ぎ去って数時間。
俺はようやく低気圧による頭痛から復活を遂げる。
そして、彼女がいないことをいいことに、俺はまな板の上のキャベツに八つ当たりをしていた。
あの忌々しいくるくるマークめ……!
絶対に許さない……!
台風が温帯低気圧に変わり、警報も注意報も解除され、晴れ渡る青い空には虹もかかったらしい。
しかし俺はなかなか頭痛が引かず、ベッドから起き上がれずにいた。
ベッドで唸っている間に起こってしまった事件。
俺が一番危惧していたことが現実になってしまった。
暇を持て余しすぎた彼女が俺の回復を待ちきれず、ひとりで買い物に出ていってしまったのである。
時間を無駄にする天才のクセにッ!!
放っておいたら一日中、ベランダから見えるお空をぽやぽやして眺めてるクセにッ!
包丁をガンガン振り下ろして、キャベツを豪快に切り刻んでいく。
今日の味噌汁はいつもよりしょっぱくなりそうだ。
大量に涙が溢れてしまって隠し味にしては主張が強い。
まな板にグチャグチャとキャベツを広げ終えたとき、玄関のドアが開いた。
!!
「ただいま〜」
彼女の帰還に、俺は包丁をシンクに投げ捨てて玄関までダッシュした。
「あ。頭痛もう平……ぐぅええっ!?」
「おがえりなざいっっ!!」
汗だくになって帰ってきた彼女をぎゅうぎゅうと抱きしめる。
あぁああああぁぁぁ。
こんなに汗だくになって、急いで帰ってきてくれたのだろうか。
かわいい。
体が冷えたらいけないからお風呂に入れて体の隅々まできれいきれいしてあげようそうしよう。
かわいい。
「ちょ、ねえ、今ヤダ。……離して。汗いっぱいかいた……」
「ええ。一緒に風呂入りましょうね?」
「む、むちゃ言わないでっ」
「は? 黙って勝手に出ていったのそっちですよね? 責任取って甘やかされてください。ひとり取り残されてメンブレした俺をちゃんと癒してくれないと困ります」
「どんな理屈だよ!?」
「いいから、ほら。行きますよ」
恥ずかしがって抵抗する彼女を抱えて浴室に移動する。
「んっ、あっ、ちょ、どこ触って……!?」
抱えているのだから控えめな膨らみに指が触れてしまうのは不可抗力だ。
かまわず彼女の服のファスナーに手をかける。
「コラッ、服を引っぺがそうとしないでっ!」
彼女のとんでもない言葉に、至福に挟まれていた指が止まった。
「服を着たままシャワーする気ですか? それはそれで悪くない……というかむしろ興奮しますね?」
服も下着も濃い色でまとめているから透け感は楽しめないのは残念ではある。
しかしピッタリと皮膚に張りつく生地に手を忍び込ませて、濡れた肌を暴いていくもの悪くなかった。
頬を赤て「ダメ♡」と誘い込むような目で睨みつける彼女の妖艶な姿まで想像して、興奮で鼻血が出そうになる。
「なに言ってるの、このおたんちん! 違うからっ!」
「ふふ。だったらコレ、きちんと脱ぎましょうね?」
「〜〜〜〜〜〜ッッ!?」
服を脱がし、抵抗をやめない彼女にチュッチュとキスをしておとなしくさせる。
なにか忘れているような気がしたが、目の前の彼女を優先した。
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彼女がゲッソリするまでかまい倒して、俺のメンタルがようやく落ち着きを取り戻した。
ふたり仲良く水分補給しようとしたとき、俺は味噌汁を作っていた最中だったことを思い出す。
あ、ヤベ。
まな板に散乱したキャベツ、シンクに投げ入れた包丁、出しっぱなしの鍋と味噌。
キッチン周りの惨状に、彼女の肩がワナワナと怒りで震え始めた。
「れーじくんっ!!!!」
「すみませんっ!!!!」
怒りまかせに声を轟かせる彼女に被せる勢いで謝罪する。
「料理するときはちゃんとエプロンしてっ!!!!」
えっ、そこっ!?
彼女いわく、エプロンをしてくれれば料理中だと判断して逃げられ……もとい、せめて優先順位を諭してあげられた、とのこと。
今回は火を使っていなかったから、なんとか許してもらえた。
買い物に行けなかった代わりに、彼女と一緒に夕飯を作る。
台風一過により、俺の幸福度もめちゃくちゃ上がったのだった。
『台風が過ぎ去って』
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いつもありがとうございます。
いたしてはいませんが事後です。
気がついたら露出が多くなりました。すみません……。
「ひとりきり」のお題なのに事後とかふざけてますね。このふたりは一度くらい爆発すればいいと思います。
苦手な方は「次の作品」をポチッとして自衛をお願いいたします。
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ベッドの上で俺は自分のシャツを彼女に着せた。
クッタリと意識を飛ばした彼女の額に浮かび上がる汗を拭い、俺は水を取りにリビングに移動する。
冷蔵庫からペットボトルを取り出したとき、リビングのカーテンが開いたままだった。
カーテンを閉めるついでになんの気なしにベランダの窓から外を覗き込む。
窓からはリビングの常夜灯の明かりが反射して自分の姿しか見えなかった。
火照る体を冷やそうと、サンダルを履いてベランダに出る。
真夜中の風は冷たくて心地がよかった。
俺が物語の主人公なら、ここで煙草でも燻らせたりするのだろうか。
近隣トラブルになりかねないから、ベランダでの喫煙は控えるように注意喚起されていた。
このご時世、煙草は嫌厭されがちだから編集者やクライアントからチェックが入るかもしれない。
控えめに主張する星々を見上げた。
あいにく、俺は彼女とともに生涯寄り添ってみせると誓ったから、酒はあおれど煙草を嗜む機会はなかった。
銘柄によって変わる香りや、性別や持ち方による人の印象、喫煙ルームに漂う独特の雰囲気は嫌いではない。
ただ、いざ現実に落とし込むとなった場合、むせ返る煙やいつまでも服に残る臭いは好きにはなれなかった。
ロマンチストに失恋に浸る余裕もなく、星座の探し方だってヘタなままである。
ギリギリ、北斗七星とオリオン座を見つけることができるくらいだ。
カシオペヤ座はオッパイ座と覚えたからテストの暗記には苦労しなかったが、いざ探すとなると難しい。
喧騒が消え、粛々たる夜空に散りばめられた星をひとりきりで見上げるのは嫌いではなかった。
ぼんやりと空を眺めていると、遠慮がちにベランダの冊子が乾いた音を立てる。
振り返ると、いつの間にか目を覚ました彼女がいた。
目を合わせる間もなく、彼女が先ほど俺が着せたシャツを脱ぎ始める。
深夜にもかかわらず、思わず大声で悲鳴をあげるところだった。
「なっ!? …………んで脱いじゃうんですかっ」
彼シャツとかかわいいからと、欲を出したバチでも当たったのだろうか。
素直に彼女の服を着せればよかったと後悔したが、そもそも着ていた服を脱いで渡されるなんて想定できるはずがなかった。
「だって、服着てない」
俺の余熱を残したまま、光がない夜の世界でもわかる白い肌を彼女は惜しげもなく晒す。
「ねえ。服着て……」
「こっちのセリフなんですよ……」
今度はあなたの服がなくなっちゃったじゃないですか……。
嫁入り前の女性がベランダでパンイチ姿を晒すとかいかがなものだろうか。
いつもはスポーツ用の股上の深いシンプルな下着なのに、今日に限ってどエロいヤツ……。
彼女も乗っていたから盛り上がりそうだったという理由だけで、その派手な下着を着せたのは俺だ。
しかし、購入したのは彼女自身である。
顔に似合わず、彼女は意外と派手好きだ。
清楚系から華美なものまで彼女は完ぺきに着こなしてしまうのだから、素晴らしいことこのうえない。
「大丈夫。ブランケットある」
「なんにも大丈夫じゃねえんですよ」
ブランケットを持ってくるくらいなら服を着てほしい。
「でも、ちょっと肌寒いね?」
俺の静止を無視して、彼女はサンダルを履いて隣に寄り添う。
雑に羽織ったブランケットの中で縮こまる彼女につい息をこぼした。
「……居座ろうとしないでください」
「だって……」
ベランダで男女ふたりの上裸を目撃されたら通報されてしまう。
しかし、彼女は全く引き下がる様子がなかった。
俺はしかたなく彼女から渡されたTシャツを着る。
微かなシトラスの香りが鼻腔をくすぐって熱が昂りそうになった。
「……ちょっとウトウトしてただけなのに、いなかったんだもん」
額を押しつけて拗ねる彼女に、俺の瞼が大きく持ち上げられる。
「すみません。寂しくさせてしまいましたね……?」
ひとりきりの時間を必要とするときは俺にだってある。
しかし、ひとりきりで生きていこうと決めた彼女が、ふたりでいたいと俺を求めてきたのだ。
彼女を求め続けた俺が、その思いに応えないわけにはいかない。
「戻りますよ」
「ん……」
ふたりきりの夜風は、少しの温もりを運ぶ。
熱が引いた寝室で、俺たちは再びお互いの吐息を甘く煮つめていくのだった。
『ひとりきり』