「未来への船」が来た。
ある日突然、駅前のロータリーに。
特に告知もなく、アナウンスもなく、
気づいたら、ちょっと古びた感じの船が、パン屋の隣に停まってた。
錨もちゃんとあったけど、地面に直置きだった。
係員とかもいなくて、ただ入り口に貼り紙が一枚。
「未来へ行く方はご自由にお乗りください」
……自由すぎる。
で、その船がなんなのか、どこに行くのか、
どんな未来なのか、誰も説明してくれない。
ただ、“未来に行く”ということだけは間違いないらしい。
そんな状況で、当然いろんな人が集まってくる。
スマホ片手に写真だけ撮って帰る人。
「こういうのって、結局オチないやつでしょ」とか言う人。
「船っていうより、バス停の延長って感じだよね」と冷静に分析する人。
そして、実際に乗る人。
スーツケースを引きながら、無言で乗る人が何人かいた。
理由は誰も聞けない。だって、帰ってこないから。
で、自分はどうしたかっていうと……
近くのファミマで肉まん買って、ちょっとだけ眺めて、帰った。
なんか、まだいいかなって思った。
今乗っても、たぶん未来についていけない気がして。
あと、寝癖がすごかったし、その日。
「未来への船」
手紙を開くと、自分の字だった。
しかも、ちょっと恥ずかしいタイプの自分の字。
やたら丸くて、やたら丁寧で、やたらバランス悪いやつ。
たぶん中学2年のときに書いた「未来の自分へ」。
タイムカプセルとかじゃなくて、
ただ、たまたま机の奥から出てきたやつ。
「ちゃんと夢叶えてますか?」って書いてあった。
……うん、まあ、答えにくいよね。
まず、どの夢のこと?ってなるし、
あの時って「漫画家か美容師かアナウンサーか迷ってる」とか言ってた時期だし。
ひとつもその道にいってないって、言うべきか?
「親にはちゃんと感謝してますか?」とも書いてあった。
……それはちょっとギクッとした。
たぶん今のほうが、反抗期入ってる。逆に。
あと、「大人になったら、きっと毎日楽しいよね!」って書いてある。
いや…いやいやいや。
未来に幻想持ちすぎ。
毎日じゃない。月に2回くらいです。
あと、仕事終わりの冷凍うどんに感動してる時点で、
あんまり“キラキラ”してない未来かもよ?
でも最後に、
「未来の自分、大好きです」って書いてあった。
……なんか、それだけで許したくなるからずるい。
バカだなあ、って笑えるくらいの素直さって、
もう今の自分には残ってないんだよなあ。
ていうか、なんでこれ、残してたんだろう。
自分で書いたくせに、
自分に一番効いてくるの、ほんとやめてほしい。
手紙を開くと
「目が合うって、どういうことなんだろうね」
って、ふと口にしたら、
あなたは笑って、
「今、目、合ってるよ」って言った。
でもさ、私が言いたかったのは、そういうことじゃなくて。
ただ視線がぶつかるだけじゃ、
心までは届かないでしょ?
あなたが見てるのは、
“私のいる方向”であって、
“私そのもの”じゃなかった気がする。
なんでわかるの、って言われたら、
わかんないよ。
でも、そういうのって、
わからないからわかること、
あるじゃん。
たとえば、隣に座ってるのに、
どこかすごく遠い人みたいな。
笑ってるのに、ひとりで泣いてるみたいな。
…そんなふうに、
あなたの瞳と、私の瞳が、
すれ違っていたことに、
気づいたのは、
あなたがもう、目をそらしたあとだった。
すれ違う瞳
ふとした瞬間に、自分が思ってたよりも小さい人間だって気づく。
たとえば、
お店で隣のテーブルの料理が先に来たときに、ちょっとイラッとした瞬間。
たとえば、
エレベーターの「開く」ボタン押してたのに、誰も「ありがとうございます」って言わなかった瞬間。
たとえば、
LINEの既読スルーに3分も耐えられなかった瞬間。
たとえば、
「好きなタイプは?」って聞かれて、「優しい人」って無難な答えを出してしまった瞬間。
こういう小さな瞬間に、
「俺って意外と器ちっちゃいな」ってなるんだけど、
でもよく考えたら、
器が大きい人間なんて、そもそも器の大きさとか気にしてないんだよね。
だから、
「俺って器小さいな〜」って思ってる時点で、
まだちょっとマシなんじゃないかって思ってる自分がいて、
さらにそのことに気づいて、
「うわ、めちゃくちゃ小さいな俺」って落ち込む。
この、ふとした瞬間の無限ループ。
もういっそ、
「俺は器小さいんで!」って開き直ったほうが楽なのかもしれない。
でも、開き直ったら開き直ったで、
たぶん次は、周りの人に
「あいつ、開き直ってるけど、それを許されるほど魅力ないな」って思われるんだろうな。
……って考えてると、
ラーメン、もう伸びてる。
「ふとした瞬間」
これ、なんかすごく切ないんですよね。だって、最初に「こっちに恋」って言ってる時点で、恋っていう感情を相手に押し付けるようなものなんですよ。恋って、やっぱり自然に育っていくものじゃないですか? それを「こっちに恋」って言ってしまうと、何か焦ってる感じがするし、相手がどう感じてるのか無視してるように思えてくる。自分の気持ちだけが先走ってる感じ。だけど、それを言ってしまうのが、人間の弱さなんだろうなって、思っちゃうんです。
そして、「愛にきて」。これ、急すぎるんですよね。「こっちに恋」って言ったその次に「愛にきて」って、もう一歩踏み込んでる。でも、愛って、どう考えてもそんな簡単に言えるもんじゃないんですよ。恋って、まだ曖昧なところがあって、どうにでも解釈できる。でも愛って、それを超えて、もう自分をさらけ出すことになる。だから、愛にきてって、言うにはちょっと覚悟が必要なはずなんです。だけど、そこを一気に飛ばしてしまう。
これって、結局のところ、誰もが持っている「伝えたいけど、伝わるか不安」っていう、心のどこかにある葛藤の表れなんじゃないかな。恋も愛も、結局は言葉じゃなくて、行動とか時間とか、積み重ねたものが大事なんだけど、それでも、言葉で伝えなきゃ始まらないって思ってしまう。だから、この「こっちに恋、愛にきて」っていう言葉、すごく切なくて、同時にすごく人間的なんだと思うんです。
「こっちに恋」 「 愛にきて」