恋はいつも突然やってきて、息苦しいくらい甘くて、それが何なのか考える間もなく心が追いかけてる。
でも、その「追いかける」ってこと自体が、きっともう恋なんだよね。愛は、追いかけない。ただ、そこにいる。
愛ってのはさ、たとえば、夜中に相手が寝言で泣いてても起こさないで背中さするような、そういう静かなやつで。
ちょっと気が利くとか、ちょっと我慢するとか、そういう「ちょっと」の積み重ねでできてる。
でもその「ちょっと」は、ぜんぶ自分の時間を削ってるわけで。
本当はさ、やりたくないときもある。でも、やる。
それがたぶん、恋とは違う。
だけど、どっちでもない気持ちも、確かにあるんだよね。
名前がつかない、カテゴリーにも入らない、
でも心の奥で確かに自分を動かしてるもの。
それとも。
たぶん、それがいちばんリアルだと思う。
恋ほど綺麗じゃなくて、愛ほど崇高でもなくて、
だけど、ちゃんとそばにいる理由になるもの。
人が人を選ぶ理由って、案外その「それとも」だったりする。
恋か、愛か、それとも
人は、時折、誰にも気づかれず崩れていく。
静かに、丁寧に、誰にも見えぬ場所で壊れていく。
僕はその背中を見ていた。
見て、何も言わず、ただ小さな缶コーヒーを手渡した。
その人は少し驚いた顔をして、そして、うっすらと笑った。
僕はそれを「救い」とは呼ばない。
たぶん、それはもっと些細で、
声もなく、ただそこに在るだけのもの。
そっと包み込むように、
孤独と孤独が、隣り合っていただけだ。
そっと包み込んで
どうしても、自分だけ置いてかれてる気がする。
みんなはどんどん彼氏できたり、志望校決まったり、なんか”ちゃんとして”て、私だけが、まだ地面を探してる感じ。グループLINEも、最近はほぼ読むだけで、既読つけるのも遅れてるし、なんかもう、どこにいればいいかわかんなくなってる。
駅前のカフェにいるとき、ふと思った。「ここから全部逃げたら、ちょっと楽になれるのかな」って。でも、逃げた先って、どこ? 家? ネット? 別の自分?
どうしても、あの子みたいに器用になれない。
でも、そんな自分を捨てるのも、なんか違う気がする。
だから今日も、朝起きて、なんとなく生きてる。ちゃんとしてなくても、なんとなく。
どうしても…
まって、などと、私は口にした。
自分でもおかしいと思った。
何を、誰を、どうして、まつ必要があるのだろう。
そもそも私は、まってほしい人間などではない。
いや、そう思っている時点で、やはりまってほしいのだ。
この滑稽で愚劣な心が、やはりそれを望んでいる。
彼女は、すこしも振り返らなかった。
ああ、あれほど完璧に美しい無視というものを、私は見たことがなかった。
まって、まってくれ。
できるなら、まっていないふりをして、まっていてほしい。
できるなら、私を否定するふりをして、愛していてほしい。
人間というものは、どうしてこうも厄介なのだろう。
私は一人、暗い廊下に立ち尽くし、
まって、という言葉の、あまりにもみじめな響きに酔っていた。
まって
ねえ、ほんとはもう終わってたって、ずっと前から気づいてたよ。
でも、あの頃のあなたと私が好きだった私を、手放すのが、こわかった。
だってさ、バカみたいに笑ってたじゃん、私たち。
幸せだったよね。…たぶん。
でも、同じ場所で立ち止まってることが、「優しさ」ってわけじゃないんだよね。
あなたのために、とか言いながら、
私、自分がひとりになるのが、ただ、怖かっただけだったんだ。
手放す勇気