朝の光がカーテンのすき間から差し込んで、
湯気の向こうでカップがきらっと光った。
昨日までのもやもやが、
紅茶の香りに溶けていく。
たぶん、誰かの言葉で曇った心も、
こうして少しずつ晴れていくんだと思う。
飲み終えたカップの底には、
もう何も残っていない。
でも、それでいい。
ちゃんと味わって、ちゃんと手放せたから。
新しい一日を、またこの香りから始めよう。
ティーカップ
人と関わるたび、私はどこまでが“自分”で、どこからが“相手”なのかを考える。
優しくしたいと思うし、相手の気持ちも分かりたい。けれど、気づけば人の感情を自分の中に入れすぎて、勝手に疲れてしまうことがある。
「大丈夫?」って聞かれても、本当は大丈夫じゃないのに笑って返す。
「平気」って言った瞬間に、心の中で少しだけ自分を裏切った気がして苦しくなる。
誰かに踏み込まれるのが怖いくせに、孤独も怖い。
その真ん中で揺れているのが、私の“境界線”だ。
本当は、はっきり線を引けたら楽なのかもしれない。
でも、その線を少しにじませてしまうのが、人間らしさでもあると思う。
心の境界線は、守るためだけじゃなく、つながるためにもある。
そのことを、最近ようやく少しだけ分かってきた気がする。
心の境界線
たぶん、あの人のことを忘れる日は来る。
でも、今日じゃない。
まだ、机の隅に置いたランプみたいに、
弱く、でも確かに光ってる。
あの人の声を思い出すと、
胸の奥の空気が、少しだけ温かくなる。
それを“未練”って呼ぶのか、“記憶”って呼ぶのか、
まだよくわからない。
思い出は、誰かと囲んでた灯火みたいだ。
最初は明るくて、笑っていられた。
でも、時間が経つと、火がゆっくり小さくなっていく。
その小ささに、やっと気づいた夜。
――あ、もう終わってたんだ。
そう思ったとき、
寂しさよりも、少しだけ、安心した。
ちゃんと好きだったし、ちゃんと傷ついた。
だからきっと、次はもう少し、
優しくなれる気がする。
灯火は、もうすぐ消える。
でもその光があった時間だけは、
ちゃんと、私を照らしてくれた。
「灯火を囲んで」
風が冷たい。
ひとりで歩く帰り道、
ポケットの中で手を握る。
あの人のぬくもりを、まだ覚えてる。
好きだった。
ただ、それだけで十分だった。
でも季節は進む。
置いていかれるのは、いつもやさしい方だ。
街の灯りがにじむ夜、
マフラーを巻きなおして、
小さく息を吐いた。
白い息が消えるころ、
少しだけ心が軽くなった気がした。
冬支度って、
たぶん、こういうことなんだろう。
誰かを忘れる準備をしながら、
それでも、明日を迎える支度をすること。
冬支度
「またね」って、なんか都合いい。
別に“また”が確約されてるわけじゃないのに、言われたらちょっと安心するし、言っとけばちゃんと締まる感じがする。
別れ際に「またね」って言うけど、本当は“また”が来なかったこと、何回もある。
それなのに、毎回使っちゃう。もはや口癖。
たぶん、人生で一番嘘ついてる言葉が「またね」かもしれない。
でも、「さようなら」って言うほど終わらせる勇気もないし、
「じゃあね」だと軽すぎる気がするし、
「またね」って便利だな、って思いながら今日もまた言う。
またね。