かっぱえびせん

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4/28/2025, 6:54:15 AM


ふとした瞬間に、自分が思ってたよりも小さい人間だって気づく。

たとえば、
お店で隣のテーブルの料理が先に来たときに、ちょっとイラッとした瞬間。

たとえば、
エレベーターの「開く」ボタン押してたのに、誰も「ありがとうございます」って言わなかった瞬間。

たとえば、
LINEの既読スルーに3分も耐えられなかった瞬間。

たとえば、
「好きなタイプは?」って聞かれて、「優しい人」って無難な答えを出してしまった瞬間。

こういう小さな瞬間に、
「俺って意外と器ちっちゃいな」ってなるんだけど、
でもよく考えたら、
器が大きい人間なんて、そもそも器の大きさとか気にしてないんだよね。

だから、
「俺って器小さいな〜」って思ってる時点で、
まだちょっとマシなんじゃないかって思ってる自分がいて、
さらにそのことに気づいて、
「うわ、めちゃくちゃ小さいな俺」って落ち込む。

この、ふとした瞬間の無限ループ。

もういっそ、
「俺は器小さいんで!」って開き直ったほうが楽なのかもしれない。

でも、開き直ったら開き直ったで、
たぶん次は、周りの人に
「あいつ、開き直ってるけど、それを許されるほど魅力ないな」って思われるんだろうな。

……って考えてると、
ラーメン、もう伸びてる。

「ふとした瞬間」

4/25/2025, 4:41:42 PM

これ、なんかすごく切ないんですよね。だって、最初に「こっちに恋」って言ってる時点で、恋っていう感情を相手に押し付けるようなものなんですよ。恋って、やっぱり自然に育っていくものじゃないですか? それを「こっちに恋」って言ってしまうと、何か焦ってる感じがするし、相手がどう感じてるのか無視してるように思えてくる。自分の気持ちだけが先走ってる感じ。だけど、それを言ってしまうのが、人間の弱さなんだろうなって、思っちゃうんです。

そして、「愛にきて」。これ、急すぎるんですよね。「こっちに恋」って言ったその次に「愛にきて」って、もう一歩踏み込んでる。でも、愛って、どう考えてもそんな簡単に言えるもんじゃないんですよ。恋って、まだ曖昧なところがあって、どうにでも解釈できる。でも愛って、それを超えて、もう自分をさらけ出すことになる。だから、愛にきてって、言うにはちょっと覚悟が必要なはずなんです。だけど、そこを一気に飛ばしてしまう。

これって、結局のところ、誰もが持っている「伝えたいけど、伝わるか不安」っていう、心のどこかにある葛藤の表れなんじゃないかな。恋も愛も、結局は言葉じゃなくて、行動とか時間とか、積み重ねたものが大事なんだけど、それでも、言葉で伝えなきゃ始まらないって思ってしまう。だから、この「こっちに恋、愛にきて」っていう言葉、すごく切なくて、同時にすごく人間的なんだと思うんです。

「こっちに恋」 「 愛にきて」

4/24/2025, 1:51:28 PM

巡り逢いって言葉、なんかロマンチックだけど、実際そんな大層なもんじゃないと思うんですよ。
だってたとえば、あの日コンビニでおでん買ってなかったら、レジに並ぶタイミングずれて、あなたとは出会ってないんですよ。
つまり、あなたと私を繋いだのは、あのときの「大根」なんですよ。
巡り逢いって、意外と汁っぽいんです。

「巡り逢い」

4/23/2025, 6:22:01 PM

彼女「ねえ、今日どこ行く?」

彼氏「うーん…どこ行きたい?」

彼女「どこでもいいよ。」

彼氏「じゃあ、水族館とか?」

彼女「え〜、混んでそうじゃない?」

彼氏「じゃあ…映画?」

彼女「2時間も座ってるのちょっとなあ〜。」

彼氏「……じゃあ、カフェ?」

彼女「この前も行ったじゃん。」

彼氏「あの……じゃあ、どこ行きたい?」

彼女「え?だから、どこでもいいよ?」

(無音5秒)

ナレーション:
「“どこでもいい”と言う人は、“どこでもよくない”人である」
「“どこへ行こうか”の裏にあるのは、“試されている”という事実である」

彼氏(心の声):「これ、デートじゃなくて、面接じゃね?」

彼女(心の声):「ここで“私の気分を的確に察するセンス”が試されてることに気づいてない男って、無理。」

ナレーション:
「どこへ行こう――。それは、カーナビには決して表示されない“恋愛偏差値”の分かれ道である」

どこへ行こう

4/22/2025, 10:15:38 AM

元カノが結婚するらしい。

正直、「へぇ~」としか思わなかった自分に少しガッカリしている。

もっとこう、胃がギュッとなるとか、思い出が走馬灯のように…とか、あるのかと思ってたのに、
実際はスーパーの特売チラシを眺めてるときと同じテンションだった。

でもその夜、無意識に彼女のインスタを2時間くらいスクロールしてた。

それが、僕にとっての「big love」だったんだと思う。

いや、そもそも「big love」ってなんなんだろう。
「big」って言ってる時点で、「small」や「medium」と比べてるわけで。
つまり、量とか、規模の話になるわけで。
でも愛に量って、あるのか?

じゃあ俺が今感じてる「もしかしたらあれが一番ちゃんと好きだったんじゃないか?」みたいなこの後悔って、big loveなの?
でも当時はそんな大事にしてなかったよ?
コンビニの新作アイスの方が気になってた日だってあったし。

ってなると、big loveって、あとから気づく系の愛なのかもしれない。

リアルタイムでは評価されないけど、時間差で心にジワジワ再生されてくるやつ。

もしくは、
「あの人が隣にいたら今もっと人生ラクだったかも」って思わせる、謎の幻覚。

つまり、「big love」って、いなくなってから勝手に美化される愛なのでは?

……あーあ。
なんか、もう一回付き合いたいわけじゃないんだけど、
「実はあんたのこと、すっごい愛してたよね?」って、一回でいいから彼女に言われてみたかった。

あれって、たぶん、誰かに「big loveだったのはあなたです」って、
スタンプラリーの最後でもらう記念バッジみたいなものなんだろうな。


big love

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