お題:1000年先も「太陽」
子供の頃、宇宙図鑑が怖かった。
ブラックホールのページは、うっかり開いてしまわないよう気を付ける位に恐れていた。
けれども、ブラックホールより僕を絶望させたのは太陽だ。
太陽はいつの日か膨張を始め、太陽系の星々を飲み込んでしまうのだという。
僕は消し炭の様に燃え尽きる地球を想像し、その日1日中布団の中で震えていた。
母は大丈夫、大丈夫と僕を慰めた。
「100年先も大丈夫?」
「大丈夫よ」
「1000年先も?」
「大丈夫」
そうか、1000年先も大丈夫なら、きっと大丈夫なのだろう。
母はもしかしたら嘘をついたのかもしれないと思ったりもしたが、それ以降太陽が地球を飲み込むことについて考えないようになった。
大人になった僕は、幼き日々と真逆なことを考えている。
50億年後か60億年後、太陽は超新星となり地球を飲み込むだろう。
僕は、ガラス細工の様に熱せられ、光を放ちながら消滅する地球を想像する。
個人の幸福も不幸も生も死も、世界歴史と同次元に核と融合し、構成元素をより重い貴金属へと昇華させる。
そんな身の丈遥か上の事象に想いを馳せると、僕の心は水の様に冷たく穏やかになるのだ。
勿忘草
「嫌い」
いつしかそれが彼女の口癖になった。
頼まれていたCDの新譜を聴いて、不意に顔をしかめる。
「このフレーズ嫌い」
イヤホンを外し、口を真一文字にしている。
なんだったのか気になって、歌詞カードを3度読み返す。
僕には何がなんやら分からない。
ただ曖昧に頷き、黙って林檎を剥く。
病室に夕陽が差し込む。
窓から影が伸び、僕の足元へと忍び寄る。
消毒液の匂いは、記憶が引きずり出される様で胸が苦しくなる。
この匂い、私嫌いだわ。
彼女が言ったのはもう半年前。
1つずつ1つずつ、彼女はこの世界に別れを告げるかの様に嫌いなものを増やしていく。
病室に寄る前、医師に言われた言葉を思い出す。
ナイフを持った手元が震える。心臓が激しく脈打つ。
僕の手の甲に、彼女は自分の掌を重ねてきた。
「私、泣いてるあなたを見るの嫌いよ」
分かってる、忘れないからさ。
声に出さず、心の中で呟く。
君のこと、君の中の君が嫌うあらゆることを。
君がいずれ別れを告げる、この愛おしき日々を。
【ブランコ】
日暮れ時、公園で遊んでいるといつも胸が苦しくなった。
もう帰ろうね、と母が言う。
幼稚園児の僕はそっぽを向いてブランコを漕ぐ。
あと15回漕いだら帰ろうと思っている。
口には出さない。
あと15回、あと10回。
まだ帰らない。あと5回。
何も言わないで見ていて、あと少しだけ。
伸びる影に視線を落とし、僕は祈った。
街へ『木枯らし』
朝起きて、コップ一杯の水を飲んだ僕は街へ出る。
午前8時には起き上がり、9時前には外出する。
あらかじめ決めていたことだ。
2年間勤めた職場を退職して、飽きるまで自由に暮らしてみようと思った。幸い、半年程度なら遊んで暮らせる程の貯金はあった。
退職してから今日で3週間になる。
時間が経つにつれ、漠然とした不安が足元に忍び寄ってきた。
激務をこなしていた頃、あれだけ焦がれていた自由をうまく乗りこなせない。
行きたかった映画も釣りも、それぞれ1度行ったきり行っていない。
ただベッドの中でスマホをいじる日々が続き、これではいけないと最低限の外出を自分に課すことにした。
行き付けの喫茶店で小一時間を過ごし、図書館で昼過ぎまで本を漁る。本に飽きるとバッティングセンターに行く。
昨日も同じ1日だったのではないか。
一昨日は、明日はどうか。
今日は何月何日だったか、分からない。
夕暮れが近くなり帰路につく。
ビルの谷間が茜色に染まっていく。
木枯らしがビューっと吹く。
カラスの群れが飛び立ち、はっとして足元から視線を上げた。
見渡せど見渡せど、街には見えない道が張りめぐらされていた。
自由を求めていたはずの自分は、ただ習慣のレールの上を移動していた。
仕事を辞めても、街に出ても、つまるところ僕は僕の枠組みから逃れられないのだと唐突に悟った。
お題:こんな夢を見た『ヤクルトスワローズ』
こんな夢を見た。
家でダラダラとスマホをいじりながらテレビを観ていた。
プロ野球のドラフト会議がやっていた。
そうしたら唐突に自分の名前が呼ばれたのだ。
東京ヤクルトスワローズから7巡目の指名だった。
会社から電話がかかってきて上司から「おめでとう」と言われた。
まだ入団するかどうか分からない、なんてとても言えなかった。
だって僕は中学高校、テニス部だったのだ。
次の日のスポーツ新聞の2面の右隅に、小さく僕の写真と名前が載っていた。
「未完の大器」
「知られざるダークホース」
格好良いキャッチフレーズを考えるものだな、と感心する。
言われてみれば僕だって未完の大器かもしれないし、ダークホースになれるかもしれないのだ。
結局僕は、契約金の500万円に釣られて契約を決めた。
しかし、それはあまりに認識が甘かったと言わざるをえない。
いざ神宮球場のグラウンドに出ると、ミサイルの様に硬球が飛び交い、ゴリラの様な男達がぶんぶんとバットを振り回していた。
僕は猟師に狙われた野ウサギの様に、芝生の上で逃げ惑った。
ボールから逃げ回ってへとへとになり座り込んでいると、内野席の前方に記者達が集まっているのが見えた。
その中心にいる人物を僕は知っていた。
あれは、村上春樹だ。
村上春樹は名誉スワローズファンとして知られていた。
さり気なく近くをうろついていると、ちょっと君と村上春樹から声をかけられた。
「例えばだけれど、君の場合は球拾いから始めてみるのも良いんじゃないだろうか」
まさに天啓だと感じた。
僕は、必死に球拾いに勤しんだ。
村上春樹が僕を見ている。
ビールとツマミを片手に、僕の球拾いを見つめている。
そうだ、いつかこの体験を本にして売り出そう。
僕は多分、半年かもっと早い時期にクビになってしまうだろう。でもそれで良いのだ。
史上初、元プロ野球選手で作家デビュー。
悪くないなと思った。