勿忘草
「嫌い」
いつしかそれが彼女の口癖になった。
頼まれていたCDの新譜を聴いて、不意に顔をしかめる。
「このフレーズ嫌い」
イヤホンを外し、口を真一文字にしている。
なんだったのか気になって、歌詞カードを3度読み返す。
僕には何がなんやら分からない。
ただ曖昧に頷き、黙って林檎を剥く。
病室に夕陽が差し込む。
窓から影が伸び、僕の足元へと忍び寄る。
消毒液の匂いは、記憶が引きずり出される様で胸が苦しくなる。
この匂い、私嫌いだわ。
彼女が言ったのはもう半年前。
1つずつ1つずつ、彼女はこの世界に別れを告げるかの様に嫌いなものを増やしていく。
病室に寄る前、医師に言われた言葉を思い出す。
ナイフを持った手元が震える。心臓が激しく脈打つ。
僕の手の甲に、彼女は自分の掌を重ねてきた。
「私、泣いてるあなたを見るの嫌いよ」
分かってる、忘れないからさ。
声に出さず、心の中で呟く。
君のこと、君の中の君が嫌うあらゆることを。
君がいずれ別れを告げる、この愛おしき日々を。
2/2/2024, 2:05:49 PM