記録に遺す為、またこの地に降り立った。野次馬根性と言われようが、これが俺の使命だ。
数週前までここは焼け野原で、存在するのは、倒壊した家の前で膝を下り咽び泣く者と、大切な何かを捜してゆらゆらと徘徊する者だけだった。
今は、地元の男衆が鼻息荒く復興に勤しんでいる。その中にはやくざ者も混じっているようだ。俺は、近くに座る女子供に、彼奴等の炊き出しを喰らわないよう耳打ちして回った。代価は子孫代々の借銭か身体だ。お上がわずかばかりに配給を行なっているから、その情報を伝えた。
煤けた地面に転がってる家屋と人々ばかりで見通しが良い中、唯一目立つ背高のっぽの木があった。
十人ほどが立って、それを見上げていた。念仏を唱えて手を擦り合わせる老婆、真っ黒な土踏まずを見せて背伸びする少女、役立たずの無念に項垂れる片手のない青年、彼らひとりひとりが生きている。俺は一枚、記録に収めた。
「此奴はよぅ、うらの生まれる前からおるんだよぅ。死んぢまったおどのこともおがのことも、ミチコのことも、救かっちまったうら達のことも、全部ぜんぶ、覚えてくれてるんだよぅ。」
初老の男がそう言って、木肌に両手をついて、肩を震わせた。俺は、もう一枚、その背中を記録に遺した。
俺もこの大木と同じ、使命を帯びている。彼らの姿を未来の若者の為に遺したい。未来の若者らが、この時代を生き延びた人々に想いを馳せて、つながりを胸に覚えてくれたら、それ程喜ばしいことはない。
ハイカラな洋装で、未来式のカメラを首よりぶら下げて、老木となった此奴に会いに来る。彼らは口元を綻ばせてもいるのだ。
予感で胸は躍る。灰色ばかりのこの町に、希望の光が差した気がした。
空にノイズが走って見える。半分は赤くて何も見えない。焦燥に駆られた足音と銃声だけ、やけに鮮明に聴こえる。
ああ、良い気分だ。痛くもない。ということは、俺は死ぬのか。
結局、俺たちは何を求めて引金を引き続けたのか。トップの指揮する先に、俺たちの未来図はあったのだろうか。
美味い飯を囲んで、あいつとあの子が、将来の夢について話してる。俺が「全部叶えられる理想郷を見つける!」と高らかに宣言すると、ふたりは俺を見て笑った。
なぁんだ。理想郷なんてのは、既にあったんじゃないか。戻りたいなあ。でももう、寒いなあ。
ふたりが屈んで、俺に微笑んだ。俺の視界は晴れて、立ち上がる。手を繋いで、帰ることにした。
何にも覚えてないんです。
こどもの頃、沖縄に旅行に行ったって。京都に旅行に行ったって。親になんで忘れちゃうのって怒られたけど、わざとじゃないんです。
覚えているのは、足蹴にされる悲しみと、吐く時の脳天がじーんとする感じ。悩みを打ち明けても「私の方が疲れてる」と、拒絶されるだけの、親子の交流。
センセイ、思い出させてくれますか。私の記憶を。
きっとあるはずなんです、心が暖かくなる、良い思い出が。
それだけを大切にして、懐かしさで胸をいっぱいにしたい。そうしたら、私は初めて存在できるんです。
あたしが憂鬱にしている間に、あの子は青春を楽しんでんだ。あたしがお布団とよろしくしてる間に、あの子はカレシとよろしくしてる。
どこでこうなったの。あたしたち、生まれる時は一緒だったのに。幼稚園だって、男の子がいやで、手繋いで逃げて、一緒にロッカーに隠れたのに。小学校だって、宿題を忘れて見せてもらおうとしたら、ふたりとも忘れてて笑ったのに。中学校でも、帰る時は、一緒だったのに。
あの子が見てる世界はどんなだろ。あたしと同じ顔で、同じ体型で、同じ身長で。目の高さは同じなのに、見てる世界はどんなに違うだろ。
いっぱい考えたら、頭にもやがかかってきた。あの子が帰ってくる前に眠らなきゃ。
カレシのところから帰ってきたあの子は、あたしと違う服着て、違う匂いがして、違う表情して、あたしの知らない、モンスター。
鉢合わせする前に眠らなきゃ。あたしはあたし、これでいい。あの子を見るとぞっとする。あたしもいつかオンナになるって、ぞっとする。そんな世界、いらない。
昨日はあれだけ蒸していたというのに、今夜は冷えて仕方がない。防寒着はあるが、それでも凌げるものではないのだ。このまま援けが来ないのだと、夜寒が我々に囁き、纏わりつく。
雨がさんざに降って、視界を塞ぐ。暗がりに目を凝らすと、得体の知れない生物と目が合う気がして、末恐ろしくなり、顔を伏せた。
洞の床は冷たく、気付けば尻の感覚を失くしている。身じろぎしても、痛みを思い出すだけで、改善することはない。
「雨、止みませんね。」
彼女が、私に話しかけてきた。
「ああ。だが、いずれ止むさ。」
私は、膝を強く抱えて、熱を生み出そうとした。
「寒いですね。」
彼女は、私にぴたりと体をつけた。布越しであっても仄かに暖かく、それ以上に、人の体温は私の本能を安心させる。
「ああ。だが、こうしていれば暖かいな。」
私は、彼女の肩を抱き寄せた。
梟の声がする。彼らは、この闇夜をどう捉えるのか。我々が淋しさを埋め合うように、彼らは闇夜と溶け合っている。
その視点は、私に安眠を齎した。彼女にそれを分け与えて、一夜を越した。輝かしい朝日が、我々の味方をすることを夢見ながら。