『蝶よ花よ』2023.08.08
両親はそれはそれはわたしをたいそう可愛がってくれた。
文字通り、蝶よ花よと育てられたのだ。
わたしはそんな両親が大好きだ。きらびやかな舞台上で、生きる両親が大好きだ。親に向ける愛もあるが、なにより「ファン」としての愛もある。
そんな素晴らしい両親を見て育ったわたしが、その道を志すのも自然の流れだった。
母と同じ音楽学校に入り、その劇団に入りたい。
中学一年の終わりに、わたしはそう宣言した。バレエも歌も幼少期からやってきたから、今からやってもじゅうぶん追いつける。
幼なじみも同じ道を志している。
熱意を持って語ると、両親は「ついに来たか」とばかりに顔を見合わせて、そしてこうわたしに聞いてきた。
「どっち?」
言わんとしてる事を察し、わたしは、
「ママと違うほう」
と答えた。するとママは雄叫びをあげガッツポーズをし、パパはあぁっと悲鳴をあげた。
「そっちかぁ」
「せやから、ずっと言ってきたやろ。私の勝ちやな」
知らないうちに、両親の間でなにか取り決めがあったらしい。パパサイドには幼なじみが、とフォローを入れると、パパは納得したようなしてないような複雑な顔をした。
私がなぜ、そっちを選んだのか。それは簡単だ。
愛する側の両親に、愛されてきたから。親愛云々というよりファン心理というやつである。
チヤホヤされたいわけじゃない。ただ、純然たる愛がほしいのだ。推しから。
『最初から決まってた』2023.08.07
子どもの頃からずっと一緒にいたから、そうなる事は分かっていた。
だってそうだべ。家も隣同士。両親同士も仲良し。そりゃ好きになるって。なまらかわいいもん。
可愛くなくても、好きにはなっていたと思う。
俺が彼女に惚れるのは、最初から決まってた。
気がついたら付き合ってて、手を繋いで、チューして、抱き合ってた。たぶん、告白らしい告白はしなかったと思う。
そして、気がついたら結婚していた。プロポーズはした。さすがに。
運命なんて言葉で片付けたくないぐらい、彼女との出会いは決まっていたのだ。
彼女こと以外だってそうだ。リーダーと大学で出会ったのも、ナマイキな後輩たちに出会ったのも。
そして、そんなやつらと芝居をしていることも。
運命なんて言葉で片付けたくない、とは言ったが、ここまでくると、本当に運命なのかもしれない。
俺が、この世に生まれたときから、なにかしらのシナリオ的なものに書かれているのだ。
でなければ、こんなに楽しい日々をすごせるはずがない!
だとしたら、書いたやつは天才だと思う。
すごい! やるなぁ、お前!!
でっけぇ、花丸をやるわ!
『太陽』2023.08.06
ギラギラと照りつける太陽。という言葉がピッタリ合うほど、今日は暑い。
日用品を買いに街に出たが、電車ではなく車を使えば良かったと後悔した。
どこかで休憩でもしようかとカフェを探していると、肩を叩かれる。
またぞろキャッチか、とうんざりしながら振り返る。
果たしてそこにいたのは、帽子を被り、黒いマスクをした小柄な青年だった。
「キミか」
表情を笑顔に作り替えると、彼は嬉しそうにする。
「こんにちは。お買い物ですか?」
「ああ。キミはオフかい?」
そう問うと、彼は頷く。
「おれもお買い物なんです」
「おそろいだね。ねぇ、せっかくだしどっか店に入らない? お茶しようよ」
取り留めのない会話。彼の職業的に、あまり注目を浴びさせる訳にはいかず、そう提案した。
彼は一度うなずきかけたが、少しためらいを見せる。そして、意を決したと言わんばかりに、見つめてきた。
「おれの家じゃだめですか?」
「それは、魅力的だね。冷たい飲み物が飲みたいな」
こうした「お誘い」にわざと気付かないふりをする。そうやってヤキモキする彼をからかって楽しむのが、俺は好きなのだ。
こんな楽しいことがあるなんて、この暑い太陽には感謝をしなければならないな。
『鐘の音』2023.08.05
いくら女運が無いとはいえ、自分にだって理想の結婚式ぐらいある。
まずは、教会。これは絶対条件。
神父さまとやらに愛を誓ったり、キスをしたりはどうでもいい。
その手前の段階がキモである。
そう、賛美歌だ。
結婚式によく歌われるやつ。曲名は知らないけれど、メロディならわかる。
それをみんなで歌うのではなく、アナタに歌ってほしい。
ダメと言われても拒否権はない。だって、歌ったことぐらいあるだろう。
アナタの独唱が聞きたい。あの伸びやかな歌声で賛美歌を聴きたい。これはもう偏見の塊なのだが、アナタが歌ったらそれっぽくていい。
賛美歌がメインイベントといってもいい。それ以外はどうでもいい。
などと、熱く語っているとチリンチリンと鐘が鳴る。次のコーナーに行けと言うことらしい。
目の前に座る本日のゲストは苦笑いを浮かべている。
「どんだけオレのこと好きなん」
CM中にそんな事を言われる。心外だ。
「アナタのファンである前に親友だから、それぐらいいい思いしてもいいでしょ」
「ギャラ請求するからな」
らしいやり取りをしていると、また鐘の音がした。
『つまらないことでも』2023.08.04
どれだけつまらないことでも、笑って享受するようになりなさい。それは社長の言葉だ。
僕たちのような役者は、仕事を選り好みできる立場ではない。もちろん、事務所NGはあるが、基本的に来たオファーはなんでも受けている。
今回もそうやってオファーを受けたのだが、正直なところ、過去最高につまらない。
そもそも、今回の制作会社や作家、演出にあまりいい話を聞かないのだ。まだワンマンタイプならある程度、対応しようがある。
しかしそうではないので、稽古初日からやる気が削がれてしまう。
台本はほとんど出来ていない。演出家は寝ている。
これをどう楽しめというのだろうか。無理な話だ。
そんな話をうちの事務所の事務員に愚痴ったところ、彼女は普段ののほほんとした表情を怒りへと変えた。
「そんな制作会社、ぶっ潰れたらいいのに! 私がギタギタにしてやりますよ!」
「滅多なこと言うもんじゃないよ」
物騒な事を言う事務員に、たまたま傍にいた社長が苦笑している。
「私の推しが楽しめない仕事は嫌なんです! 次きたらブチってやるんだから!」
憤りを隠さない事務員兼僕のファンは、社長のコーヒーカップに角砂糖を五個も入れた。
「ちょっとちょっと、こんなの飲めないよ!」
甘いものが苦手な社長が悲鳴を上げる。それに対し、彼女は「我慢してください!」と言い放って、オフィスから出ていった。完全に八つ当たりである。
社長には申し訳ないが、彼女が怒ってくれたことで、溜飲が下がった。
溜飲が下がったところで、このつまらないことを受け入れる余裕ができた。
どうなるか分からないが、せめてその時まで楽しんでやろうと心に決めた。