!マークじゃ足りない感情
母が京都に出張に行ってしまった。これから五日間どう過ごそうかと考えた。
学校に行ってその帰りに何かご飯を買っていこう。朝ご飯も買っていかなきゃ。などと考えつつ電車に揺られ、五日間の一人暮らし生活が始まった。
この五日間の食事は問題なさそうであった。しかし、買い物が難敵なのだ。私は極力、人と会うのを避けたい人間であった。レジの人と話すのもあまり好きではない。なので、五日間で買い物に行った回数は二日くらいだっただろうか。昔のことでもう忘れてしまったが、ほとんど買い物に行った記憶はない。家にあるもので、必死にしのいでいた。
そして、五日目まで頑張った。のだが、その夕方に事件が起こった。ふと、気づいたのだ。母が麦茶を作っておいてくれたことに。ちょうど喉が渇いていたためコップに注いで勢いよく飲んだ。
ん?何か丸っこいゼリーのようなものが歯に触った。コップにゼリーが入っていたのか。もうよく分からないが、気持ち悪かったので吐き出した。そして、そのゼリーのようなものを直視し、素手で触った。プニプニしていた…。
変な感じがして、ヤカンの蓋を開けてみた。ゾワッとした。もう驚きを通り越して声など出るはずもなかった。そこには、プニプニのゼリーの集合体が麦茶全体に広がっていた。タピオカミルクティーか?
『ガチャ』
玄関のドアが開く音がした。もう、嬉しくて仕方がなかった。一番最初に、このプニプニのゼリーの話をしよう!そう思った。
「これ、麦茶のカビじゃない?」
母にそう言われた。また、ゾワッとした。
買い物に行かなかった罰か…?
君が見た景色
瑠璃は、どんな景色を見ているのだろうか。私たちのことなどどうでもいい、そんなふうにいつもそっぽを向くんだ。
目の色が瑠璃色だったから、そう名付けた。宝石のような美しさだった。あの子はその瑠璃色の瞳を通して私たちを見ている。まるで、人間のように人によって態度も変える。なでようとすると、ひっかかれる。
でも、なぜだろうか。それがとても、可愛く見えるのだ。ツンデレで、フサフサで、そして何より瞳の色が大好きだ。そんな私の子猫ちゃん。
私はきっと、瑠璃に大好きにさせられているのだ。そう気づいた。私が大好きになったのではない。瑠璃によって、そうさせられているのだ。
でも、それでいいじゃないか。君の可愛さは変えられないのだから。君の見ているものが見えるわけでもないのだから。
これからもずっと一緒にいようね。
言葉にならないもの
言葉にならないときはいつも決まって…
「俊介!もう、二度とうちの敷居をまたぐんじゃないぞ、分かったか!」
親と大喧嘩をした。なにが、遺産目当てだ。ジジイになってもあの怒鳴り方って、ああ本当にムカつく。
女といちゃつくのは駄目だ、ギャンブルは駄目だ。じゃあ、何で楽しめばいいんだよ。楽しみと言ったらそれしかないんだ。遺産なんて、どうでもいいんだ俺には。
あのジジイが死んでくれたら、どんなに嬉しいことか。
喧嘩別れをしてから、何日経ったんだろう。二日前まで毎日あのジジイから電話が来てたのに、突然電話が鳴らなくなった。
もう呆れたんだろう。そう思ってまた遊びに出かけた。
しばらくして電話が鳴った。母親からだった。何かとてつもなく嫌な感じがして電話にでた。その勘は当たっていた。
「俊介。お前にやる遺産はない。」
父親の病室まで行ったのに、そうはっきりと言われた。近寄りがたい威厳のある男だった父親の今の病に伏せる姿は、なんともみすぼらしかった。
「お前なんて…」
力強くそう言った、はずだった。途中から急に身体の力が抜けていった。そして、言ってはいけないことだったと、あとで悟った。
「お前、だと?父親に向って、ゲホッ、もう、二度と俺の前に顔を出すな!出ていけ!」
病院を出た。俺は今どんな表情をしているだろう。
それに、あのとき言いたかった言葉は違うんだ。
言葉にならないときは決まって、心の中の金庫にしまってある本音が出そうになったときだ。
だから、俺が言いたかったのは、
「お前なんて、俺と同じだろ。」
自分の弱さをずっとずっと隠し続けてる弱虫だってことだ。
真夏の記憶
私は初めてこんな衝撃的で恐ろしい真夏に出会った。
美しく、そしてかっこよく、一人の人間の生き様を描いた物語。
虚しくも温かい、人の心をくすぐるのが大好きな日本人はきっとさらに人々を魅了することだろう。物理的なものではない。感覚的な何かが私の心をくすぐった。
国宝、まさに名前のとおりだ。感覚的な何かが人々の心を魅了する。私にとって、この物語は恐ろしかったのだ。どうやったらこんなものが一人の頭の中から出てくるのかと。
感情以外にもきっと理由はある。モヤモヤした気持ち、やり遂げた時の達成感、全てが物語の最後にあった歌舞伎の踊りに反映されていた。大切なものを全て犠牲にして歌舞伎に投じた人生。私には理解ができなかった。いや、できるはずもない。これほどまでに嫌いで大好きなものに出会ったことがないからだ。
憎しみが物語の最後の踊りの中にあった。自分自身への憎しみ、周りの人間への憎しみ。そして、ずっと求めていた景色を見たときの憎しみへの感謝。
醜くあがき、意地悪く歌舞伎の世界で生き続けた。全てを乾いたスポンジのように吸収し、最後にようやく花開いた。
きっと、実力主義の世界はこんな感じなのだろうと思う。どんなに悪く言われようと、意地悪く生きたからこその国宝だ。それゆえのあの独特な人間とは思えない美しさなのだろう。
それが、私の見た真夏の記憶だ。
映画『国宝』 原作:吉田修一