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12/12/2024, 3:10:47 PM

心と心というのは

 「集団の中でこそ孤独になれる」とある映画の台詞であったが、人が心を意識するのは、他人の存在がある時が多い。一人の時はあまり意識しない。ただ、一人の時でも、実過去の記憶や誰かにどう思われているかとか、これは誰かにどう思われるかなど、人との関係を気にしている時間は割と多い。
 なので、数多くの心の定義の中では、個人的には「ヒトとヒトの間に立ち生まれるもの」というのが一番しっくりくる。そして、良くも悪くも、それは変わっていく。
 
 だから、関わりの中で生まれる心が変わっていくのは当然のこと。変わるのが当たり前で、変わらないことが珍しい。
 逆にいうと、心と心が通じ合わないのがデフォルトなので、通じ合うというのは、とても貴重。
 そういった多くの誤解の中で、運よく通じたものがとても心地よい。もしかすると、人はその瞬間を求めて冗長性なコミュニケーションをし続けるのかなと思う時がある。言い方を変えると、それは心を作り上げる時間ともいえるかもしれない。まあ、言えるかもしれないけど、でもそれだけでもない気はするので、それ以外の事はまた別の機会に。

12/11/2024, 1:01:55 PM

なんでもないフリはよくします

 元々形から入るタイプでした。眉間にシワがよると考えている感じがするので、良い考えを出すために、シワを寄せてみたり。また、イラっとした時にニヒルに対応したらクールかなと思い、チックのように片方の口角だけ上げてみたりとかしてました。
 でも実際は、シワがよっても良い考えは浮かばないし、片方だけ口角を上げても、イライラは変わらないので、形だけ変えても、あまり変わりませんでした。
 同様に、なにもないフリをしても、なにもない訳ではないので、フリをしてもあまりメリットないのはわかります。
 
 でも、なんでもないフリは、気を抜くとしてしまいます。動揺していない方がクールに見えるからか、感情を出すのが疲れるからか、感情よりも対応が先だからか。とにかく、気がついたらフリをしてます。
 それは、元々は意味があったのかもしれないけど、今となっては、ただのクセかもしれません。かといって、どれくらい変える必要があるのかはわからないけど。まあいいか。

12/10/2024, 1:17:36 PM

仲間が大事という価値観

 仲間がいない人からすると、仲間がいる人は楽しそうにみえる。家族がいない人からすると、家族がいる人は楽しそうに見える。
 更に、娯楽作品系の漫画やアニメや映画などでは、仲間を大切にするのが何よりも優先される気がする。仲間のために命をかけてとか、仲間至上主義みたいなのは多い。

 なんでこんなに仲間なのかなとしばらく考えた、現実はそうじゃないのに。

 その結果、「現実はそうではないのはわかっているから、娯楽の世界ぐらいは、わかりやすい価値観に浸ってリラックスしたい」のかな。
 実際の自分が体験している世界をそのまま体験しても、気分転換にもならないし、リラックスもできないし。まず見たくない。
 気まぐれな上司や先輩に振り回され、要領の良い同僚は出世し、パートナーはわかってくれないし、子供は言うことを聞かない。自分が生きている意味もあまり感じられない日々。
 そんな日々には、仲間を思うわかりやすい倫理観で貫かれた物語は、一種の癒しとなるだろう。だから色々な物語は、大体は勧善懲悪で、仲間を大切にし、パートナーを大切にし、慈愛を持つ人が勝利する。実際はそんなことはなかなかないのだが、ないからこそ、そういう世界を描く意味がある。希少だからこそ意味がある。

 私には基本仲間はいないので、ついつい仲間というのは都市伝説ではないかと疑っているが、でも仲間と楽しそうにしている人を見ると、いいなぁと、ちょっとだけ思う。

12/9/2024, 12:51:03 PM

手をつなぐのは得意ではない

 手をつなぎたい!と思う事はほとんどない。ほんとたまに、つなごうとして手を出したら、断られたりしたことがあり、思い出すだけで恥ずかしい。なので、自分から手をつなごうとすることはほとんどない。でも、つなぎたい人がきたら、相手に任せている。振り払いはしない。

 思えば、小さい頃から、人と手をつなぐのは苦手だった。手をつないで仲良く、という文化が合わないなと思っていたし、子供っぽいノリもイヤだったし。
 そういえば、小さい頃は体温が低く、手が冷たいといろんな人に言われていたので、それも嫌だったのかもしれない。

 一方、実際に手をつなぐのではなく、抽象的な意味で手をつなぐ=協力する のはどうかというと・・・これも苦手だったりする。通知表にはおそらく、協調性が〜とか書かれていたかもしれない。

 なので、そういった人たちも少しは生きやすい世界になるといいなと思う。でも、そんな人たちばかりだと、社会は成り立たない気もする。でも、理解してくれなくてもいいから、そういう人もいるんだなと軽く認めてほしいなと、昔から密かに願っている。

12/8/2024, 2:32:58 PM

ありがとう、ごめんねというか

 そういう言葉とは離れた文化圏で生きているので、違和感があるなあというのが第一印象。この言葉は言ったことはないし、言われたことはあるのかな・・・あるようなないような気もするけど、残っているのは、ごめんねの方。
 日本語は、最後まで聞かないと文の意味がわからない言葉だと言われますが、この言葉もそうですね。
 ごめんねの方が比重が高いので、それだけだと重いかなと思って、最初に聞きやすい言葉を緩衝材として使っているようです。

 昔は、こういう緩衝材的言葉は、本音をごまかしてるように感じていました。ただ、時代的には、熱く直接的に主観的に話すよりも、優しく相手を傷つけないようにスマートに話すのが好まれるようです。
 そのため、ごめんねを少しでも柔らかくするための緩衝材というのも必要なのかな、と思うようになりました。だとすると、使えるのも大人のマナーなのかもしれません。

 最近、久々にちびまる子ちゃんをみたら、ヒロシがタバコも吸わずビールも飲まず、パチンコもしてなくてびっくりしました。時代に合わせて、ヒロシもソフトになっていました。酔っ払わないし、まる子と言い合いしないし、優しくなってました。なので、今のヒロシなら、言えるかもしれません。
 私もいつの日か、ありがとう、ごめんねと言えるくらいの大人になりたいものです。まだ時間はかかりそうだけど。

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