眠れないほどの
情熱、不安、恐怖、痛み、苦しみなど、眠れないほどの後にくる言葉は、感情を揺さぶられるイメージが強い。
そういう時には頭がぐるぐる回り、そのことばかりを考える。緊張も強かったり、過覚醒もしてそう。
でも実際は寝てる時間はある。ほどの、という言葉がついてくるので。本当に全く眠れてなかったら、かなり危ない状態だ。なんでもできる気がして、睡眠も食事も取らなくても平気になり、聞こえない声も聞こえてくる。これはかなり危ない。
とはいえ、そのような、眠れないほどの〇〇があるというのは、少しうらやましい気がする。過去はあったが、今はそういうものはほとんどないし、やっぱり眠くなるし、実際寝てる。
昔のような情熱的なものは憧れる気持ちはあるが、体はすぐに眠くなる。どっちか選べと言われたら悩むな。
できれば、どっちかというよりどっちもがいい。ハマったら情熱的になり、飽きたら寝る。
今気づいたが、それは既に猫がやっていることだった。そう考えると、私が猫のレベルになるには、まだまだ時間がかかる。
夢と現実とは
というか、この現実という言葉が気になる。どんな文脈で使われるかというと
・もっと現実を見ないと
・現実的には難しいよね
・現実を受け入れないとね
など、今のままではダメだ、という言葉の枕言葉というくらい、否定的な言葉が後に続く。なんだか、現実という言葉を聞くだけでゲンナリしそう。
一方、夢の方はどうだろう。
・そんな夢みたいなこと
・夢かもしれないけど
・夢だったらよかったのに
幼いというか甘いというか、そういう感じで使われたり、実際ではないこと、という使い方が多そう。
ここまで書いてきてわかったが、なんだか、自分から出てくる例がネガティヴなものばかり。困ったものだが、これも現実だから受け入れないといけないのかな。なんか受け入れたくないな。
さよならは言わないで
直接こういった事を言われた記憶はないけど、「さよなら」ってあんまり自分で使わないなって気づきました。代わりに「じゃあね」とか「またね」とかいう感じの言葉を使ってます。
なんでだろう。文語みたいになってる気がするからかな。シティポップの歌詞とか昭和の小説とか出てきそう。日常的には使わない感じがします。
そう思うと、この言葉が日常で使われる場合は、「ちょっと強いし重いから、もう少し当たりが柔らかい言葉にしてくれませんか」という感じで言われることがあるのかも。
とはいえそんな感じで言われたら、ちょっと落ち込みます。この人ちょっとわかってないな、と扱われてるみたいで。
でも最初に書いたように、今まで言われたことはないのだから、これからも言われる可能性は低い。にも関わらず、もしも言われた時のことを考えて落ち込むなんて、なんて贅沢な時間の使い方。ちょっと贅沢過ぎるかも。
光と闇の間で
なんて言葉は、どうも大袈裟でいけない。信じるもののためには!なんて話が始まりそうで、たくさん人が亡くなったり、大きな戦争があったりという穏やかでない話が始まりそう。
ただ、夜が明ける手前の時間は、とても綺麗で素晴らしい。ブルーアワーというそうだ。全てのものが綺麗に見える貴重な時間。
なかなか睡眠が取れない時、夜中に寝ても朝早く目覚めてしまう時、ブルーアワーを見る時間ということに決めた。
そうすると、真夜中に起きていても、次にすることがあるという安心が生まれる。何もないよりは、やることがあるのは良いことだ。
距離は大事
本当に大事。距離があるから近づきたくなったり、距離があるからなんとか同じ空間にいることができる。
遠いと見えないし、近すぎても見えない。そして、適度な距離というのが難しい。こちらが思う距離と、相手が良いと思う距離が合わないから・・・
と思ったけど、私が気にするだけで、そんなに気にしなければ、どうということはないんじゃないかと思う。気にしすぎかな。