泣かないで
という言葉は、使った記憶がない。どんな時に使うのかよくわからない。
と考えていたら、一つ思い出した。自分がかわいそうと思って人前で泣く人には、泣かないで、と思う時があった。でもどちらかというと、泣いてもしょうがないのにねぇ、という気持ちに近いような。そう思うと、泣かないでとは、言わないし思いもしない。
多分それは、受け入れられないほどのショックなことがあると、人は涙も感情も全く動かなくなるので、泣けるうちはまだいいなと思っているから。
そんな偉そうな事を思ってても、最近は、映画ドラえもんを見て泣きそうな自分がいます。なんだか。
冬のはじまり
季節の冬の始まりは、なんとなく心地よい。昔の曲の歌詞に影響されているのかもしれない。
寒くなったら、このコートを着ようとか思い色々探す。それで、これがあれば今年の冬は大丈夫と思い、早く冬が始まらないかなと思う。
でも実際は、寒くて天気も悪い時は、濡れても良い素材のコートになるので、とても限られる。そして、晴れてたらそんなに寒くないので、コートはいらない。
そんな事はわかっている。わかっているのに、今年も買ってしまった。着てみたら、夜は寒かった。これは昼用のコートだな。じゃあ夜用も必要だ。
終わらないでと思うことは
最近はあんまりないかも。楽しい時が終わってしまう時は、そんなことを思いそう。
逆に、早く終わらないかなと思うことは多い。渋滞とか、嫌な人の近くにいる時とか、仕事とか。こう書いていくと、楽しくない時間の解説ばかりが出てくる。
そう考えると、楽しい時はあまり解説の言葉を必要としない。逆に、早く終わって欲しいとか楽しくない時は、たくさん言葉にして、愚痴ったりして、なんとか紛らわそうとしてる。
ということは、言葉の役割の一つとして、嫌な気持を紛らわすというのもあるんだろう。不幸な話ほど共感が高いのは、そういうこともあるのかもしれない。
愛情とか
ある時とない時があって、ない時の方が貴重がられる。なんとなく健康という言葉もそれに近い。
また、人に押し付けたり、おしつけられると、言われた側は本当に嫌な気持ちになりやすい。
そもそも主観の要素が強いので、あったとかなくなったとか、本人にしかわからない。
表情や言葉や態度から読み解くこともできなくはないが、素直に表現するのは、歳をとるほど苦手になっていく。
なので、個人的には不可解だし専門外として、関わりたくはない。ただ、ない時というのは少しわかって。それは、その人が近くにいると、表情が硬くなり疲れて、少しでも距離をとりたくなる。
逆にある時は・・・正直自分では分かりません。もしかしたら、今まである時なんてなかったかも。
愛情という言葉でなく、大切に想うとか、自分よりも相手のことを優先している、ということはなんとなくあるけど、なんだかそれは愛情なのかと言われると、少しズレてるような。
そして、愛とか勇気とか、あった方がいいだろうけど、なくてもそれなりになんとか生きていけるということに、残念なことに気づいてしまっている。
微熱は何度
小さい頃は平熱が低い子供でした。平均体温は36度以下でした。なので37度台はきついだけど、「それくらいの微熱できつそうにして」とよく言われていました。
それがコロナ禍になると、体温で行動を制限するのが当たり前になってきました。こうなると私とは逆の人、平熱が高い人にとっては、生活しづらい社会になってきました。
平熱も微熱も、状況によって変わっていくようです。記憶は変わっていませんが、意味は変わってきました。
もしかしたら、思い出す度に記憶の意味変わっていくのかもと、最近は思ったりします。