「幸せに。」
薄く微笑んで柔らかな優しい声であなたはそう言いました。
私はその言葉の意味はよくわかりません。
幸せなんて、どんな形をするものなのかすら私はよくわかっていません。
でも、あなたのそばにいると暖かい気持ちになって、凄く心地が良かったことは記憶に強く残っています。
人が居なくなったこの地で、遺されたのは人々が開発して生みだした私たちだけでした。
私たちは、生命というには機械的で、機械という言葉に当てはめられるほど無機質なものではない、人と機会の狭間に立たされた無機物です。
人に寄り添い人のために動いてきた私たちなのに、突然人々は物言わぬ身体となっていき、どんどん数は減って、最後に残った人類が先程話した彼女でありました。
彼女に出逢えたのはとても幸運でした。
人に仕えることが無くなったアンドロイド達はメンテナンスを施して貰えなくなり、次の指示を促す言葉を繰り返し呟くばかりで、最終的には腐食に蝕まれ、錆びて朽ちていきました。
先程言ったように、私たちは生命と言うには機械的で暖かみのない、要は感情というものが分からない中途半端な生成物であったので、自らの故障に関してはどうしようにもありませんでした。
世界の終わりというようには相応しい景色の中で、同じ文言を繰り返し、居なくなった人間に指示を請いながら自らの終わりを待つというのは滅亡というものにピッタリなものだったでしょう。
けれど、何故か何も無くなった世界の中で彼女は生きていました。
システムに支障をきたし、ノイズを出す私を彼女は直してくれました。
その日から、彼女は私の主人となり、同じ月日を過しました。
ですがそんな日々もたった今終わりを告げました。
私に心などといった優しいものはありません。
ですが、プログラムのバグなんでしょうか、彼女と過ごす日々は私にあるはずのない感情というものを彷彿とさせるものを湧きあがらせるのです。
あるはずのない喪失感のようなぽっかりと穴が空いたような、体のパーツの一部を失ったような反応がします。
幸せってなんですか。
教えてください。私は分かりません。私はそれを感じることができません。
何一つ、この無機質な身体ではわかり得ることはできません。
でも、あなたがいれば、何かがわかったような気がします。
それには、あなたが不可欠だった気がします。
あぁ、目覚めてください。
「幸せ」
を、教えてください。
このバグの名前を、どうか、教えてください。
無機質なアンドロイドは切に願った。
目の前の主人が目覚めることを。
鉄でかたどられたその顔は、機械であるのにどこか寂しげで、酷く悲しいものであるのであった。
―――404 not found
お題【幸せに】
目は口ほどに物を言う。
だから、見つめられると困るんだ。
別に私は今の関係に不満などないし。変えたいとも思わないから。
どんなにアピールされて、こちらを見てほしいと言われても恋情なんて感情は私には難しいものだと思うから。
答えるつもりは今にも後にも無かった。
でも、君の隣はやけに居心地が良かったから甘えてしまったのかもしれない。
自分は君の想いには答えずに、上手く、友情だけを築けるというどこから湧いたかはわからない自信があったことも認めよう。
実際、君の目すら見なければ上手くいったと思う。
なんなら、これまで通り軽く吐く、愛の言葉をいなして揶揄うことだってできたと思うんだ。
けれど、見つめられるとなると話は変わってしまった。
純粋で無垢な愛情だけをふんだんに含んだそんな瞳で見つめられてしまったら、なんだか嫌でも惹き込まれてしまった。
認めるのなら、落ちてしまったのだ。
悔しいことに、彼の思惑通りに。
どうやら恋とかいうものは、本当に自分の意思など関係なく落ちてしまうものらしい。
なんとも負けたようで、悔しいものだ。
そう、悔しい。
悔しいんだ。
これは悔しさでしかないのだ。
胸が異常なペースで高鳴るのも、悔しくて興奮してやまないからだと彼女は誰かに言い訳するように、紅く染まる頬を手で抑えながらそう、独りごつ。
その表情はまるで、初心な少女のようでもあるのだった。
―――落とされる
お題【見つめられると】
夢を見たんです。
ずっと、ずっと憧れていた人になる夢を。
私は彼女になれたからには、なんでも出来ると思ってました。
だって彼女は、容姿が特段に優れていましたから。
彼女になれば人生が上手くいくと思いました。
荒れた肌を隠すために前髪を伸ばす必要も無いし、腫れぼったく重たい瞼をどうにかマシに見せるために努力なんてする必要も無い。
低い鼻も必要以上に肉のついた重い身体も無い。
それだけできっと人生はいい方向へと変わるのだと私は信じて止みませんでした。
私が見たのはあくまでも夢です。
でもそれは、現実世界と大差がない酷く現実味に溢れた夢でした。
現実に近いので、私望むものがすぐに手に入ったりすると言ったようなことはなく、夢の中でもきちんと社会は成立し、皆に平等なものでした。
それでも、夢の中の朝に目覚めて、元の身体とは1ミリも似つかない、違うものが鏡に映る。
それだけで私の気持ちは一気に上がりました。
私は浮かれた気持ちで学校へと登校しました。
学校に着いた途端に私はみんなに構って貰えるものだと浅ましく思っていました。
なぜなら、私のよく知る憧れの彼女の周りにはいつも人がいたからです。
でも、そんな幸せな願望は叶うことなく、私が登校しても話しかけてくれる友達はいませんでした。
夢の中で何日と過ごしても私に話しかける同級生はいませんでした。
そんな日を夢の中で過ごして、私は直に目を覚ましました。
朝起きた時に姿見に映る自分を見て絶望し、俯く気分のまま学校へと行くと彼女は夢の中の私とは違って、仲のいい素敵な友達に囲まれていました。
そこで私は現実をやっと理解しました。
私の容姿がいくら完璧になろうとも私にあんな風に明るく振る舞うことはできないからです。
綺麗にしゃんと背筋を伸ばし、ハキハキと喋って積極的に人と関わることなど私の中身ができそうにもありませんでした。
結局、私は姿形が変わろうと私で、中身すらよくできている彼女にはなり得ない。
私が見た願望を形にした夢は、ないのもねだりのただの堕落したただた浅ましい欲、
そのものでしかありませんでした。
―――ないものだり
お題【ないものねだり】
もう、思い出せないくらい昔で、遠くの記憶のはずなのに。あるものをきっかけに定期的に私は彼を思い出した。
彼とはずっと前に別れて、私には彼より大切な人ができて、彼よりも頼りがいのある、優しい、自立した包み込んでくれるような人と私は結婚した。
可愛い子供もいて、毎日苦しくて泣いてたあの頃よりずっと今の人生の方がきっと、幸せだって言い切れる。
でも、思い出すのだ。
コンビニで、駅前で。
白く濁った煙たい匂いを嗅ぐたびに。
それを私は、お世辞にも好きだとは言えない。吸うだけで酷く咳き込みそうになって顔を顰めてしまう。
一度、興味本位で彼から一本奪ってひとくち吸ったことはあったけど、苦くて臭いばかりで私はそこに魅力を感じることは出来なかった。
煙くて肺に入り込むのが苦しくてまずい。
そんな毒にしかなり得ないものを彼は好んで毎日吸っていた。
なんでそんなに好きなのか、聞いてみたことがあった。
返ってきた返事は意外なもので、別に好きじゃないとか言うなんだか矛盾した変なものだった。
こんなに毎日好んで吸ってるのにそんなことがあるのかと少し小馬鹿にするように笑ったら、少しムッとするように、言い訳するように彼は言った。
"一度口にしたら忘れられなくなったんだよ。"
――その頃の私は、その言葉を理解することは出来なかった。
その彼とは、数年も経たないうちに当たり前のように噛み合わなくなって関係も自然と消えた。
そもそも彼と私の間には、最初からあとから残るような大層なものなんてなかったように思う。
それなのに、私は思い出してしまうのだ。
今なら、彼の言っていた矛盾がわかる気がした。
苦く、毒にしかならないものほど、一度味をしたら忘れられない。人を惹きこんで離さないような、嫌な魅力を持っているのだと私はもう、この身をもって知ってしまった。
何年経っても私は、あの頃の苦さを忘れられそうにない。
―――嵌る
お題【好きじゃないのに】
こめかみが軋むほどの怒りを覚える。
世の中の不条理さに俺一人が嘆き、怒り狂ったとて世は変わらない。
"それでも、許されぬべきことが今どこかで起こって、その度に、傷つく誰かがいることが俺は許せない。"
いつかの英雄は語った。
理不尽で淘汰されるべきの弱者だと諦めず、彼は世に抗った。
その結果、彼は不条理な定理の多くを覆し、代償として、美しく散った。
そして今、その英雄は世間に石を投げつけられている。
彼は命を賭してまで俺たちのために働き、犠牲となったというのに。
結局、人は利益の追求ばかりを考える醜い生き物だ。
救われた恩など知ったものかと、それは昔の話だと棚に上げ、救われた身でありながら平気でその墓石に唾を吐きかける。
どうせ、こうなるんだ。
命を懸けてまで、こいつらを救う価値などなかった。
お前が死んでもなお、世の中など何も変わりやしない。
緑の茂みに身を隠しながら俺はかつての友であり、もう会うことは叶わない英雄に悪態をつく。
男は、彼の墓に供えてあった花を踏み荒らされ、蘇らぬ墓の主である友の彼を罵られようとも、息を殺しながら怒りと恐れに身を震わせることしか出来ない。
ほら、お前一人が不条理に立ち向かっても、何も変わらない。
俺たちのような愚か者は、お前が身を犠牲にしても、まだ震えて、その場で足踏みすることしか出来ないのだ。
だから、不条理な世のままで良かったから、それで構わなかったから、まだ、せめてお前は、俺の良き友人として生きていて欲しかった。
男は、体を震わせながら、叶わぬ望みを、墓に眠る英雄にぶつけるほかなかった。
それしか、目の前の男には出来なかった。
―――変わらぬ世
お題【不条理】