もう、思い出せないくらい昔で、遠くの記憶のはずなのに。あるものをきっかけに定期的に私は彼を思い出した。
彼とはずっと前に別れて、私には彼より大切な人ができて、彼よりも頼りがいのある、優しい、自立した包み込んでくれるような人と私は結婚した。
可愛い子供もいて、毎日苦しくて泣いてたあの頃よりずっと今の人生の方がきっと、幸せだって言い切れる。
でも、思い出すのだ。
コンビニで、駅前で。
白く濁った煙たい匂いを嗅ぐたびに。
それを私は、お世辞にも好きだとは言えない。吸うだけで酷く咳き込みそうになって顔を顰めてしまう。
一度、興味本位で彼から一本奪ってひとくち吸ったことはあったけど、苦くて臭いばかりで私はそこに魅力を感じることは出来なかった。
煙くて肺に入り込むのが苦しくてまずい。
そんな毒にしかなり得ないものを彼は好んで毎日吸っていた。
なんでそんなに好きなのか、聞いてみたことがあった。
返ってきた返事は意外なもので、別に好きじゃないとか言うなんだか矛盾した変なものだった。
こんなに毎日好んで吸ってるのにそんなことがあるのかと少し小馬鹿にするように笑ったら、少しムッとするように、言い訳するように彼は言った。
"一度口にしたら忘れられなくなったんだよ。"
――その頃の私は、その言葉を理解することは出来なかった。
その彼とは、数年も経たないうちに当たり前のように噛み合わなくなって関係も自然と消えた。
そもそも彼と私の間には、最初からあとから残るような大層なものなんてなかったように思う。
それなのに、私は思い出してしまうのだ。
今なら、彼の言っていた矛盾がわかる気がした。
苦く、毒にしかならないものほど、一度味をしたら忘れられない。人を惹きこんで離さないような、嫌な魅力を持っているのだと私はもう、この身をもって知ってしまった。
何年経っても私は、あの頃の苦さを忘れられそうにない。
―――嵌る
お題【好きじゃないのに】
3/25/2024, 3:03:51 PM