こめかみが軋むほどの怒りを覚える。
世の中の不条理さに俺一人が嘆き、怒り狂ったとて世は変わらない。
"それでも、許されぬべきことが今どこかで起こって、その度に、傷つく誰かがいることが俺は許せない。"
いつかの英雄は語った。
理不尽で淘汰されるべきの弱者だと諦めず、彼は世に抗った。
その結果、彼は不条理な定理の多くを覆し、代償として、美しく散った。
そして今、その英雄は世間に石を投げつけられている。
彼は命を賭してまで俺たちのために働き、犠牲となったというのに。
結局、人は利益の追求ばかりを考える醜い生き物だ。
救われた恩など知ったものかと、それは昔の話だと棚に上げ、救われた身でありながら平気でその墓石に唾を吐きかける。
どうせ、こうなるんだ。
命を懸けてまで、こいつらを救う価値などなかった。
お前が死んでもなお、世の中など何も変わりやしない。
緑の茂みに身を隠しながら俺はかつての友であり、もう会うことは叶わない英雄に悪態をつく。
男は、彼の墓に供えてあった花を踏み荒らされ、蘇らぬ墓の主である友の彼を罵られようとも、息を殺しながら怒りと恐れに身を震わせることしか出来ない。
ほら、お前一人が不条理に立ち向かっても、何も変わらない。
俺たちのような愚か者は、お前が身を犠牲にしても、まだ震えて、その場で足踏みすることしか出来ないのだ。
だから、不条理な世のままで良かったから、それで構わなかったから、まだ、せめてお前は、俺の良き友人として生きていて欲しかった。
男は、体を震わせながら、叶わぬ望みを、墓に眠る英雄にぶつけるほかなかった。
それしか、目の前の男には出来なかった。
―――変わらぬ世
お題【不条理】
風邪をひいた。
季節の変わり目で、寒さも和らいだと思って薄着でいたのが裏目に出てしまった。
一人暮らしの部屋で気怠い熱にうなされるのはどうにも物寂しくて、なんだか精神に堪えるものがある。
ベッドに横になりながら寒気と喉の痛みに顔を顰めて、八つ当たりするように天井を睨みつけていたら段々とさっき飲んだ風邪薬が効いてきたようで、眠気に引きずられるようにして私は夢の中へと沈んでいった。
『…ぐみ、つぐみ。』
声が聞こえる。
名前を呼ばれて目を覚ます。
『辛いだろうけどお薬飲みなさい。』
目の前にいたのは母だった。
――そういえば小さい頃は看病してくれる親がいたんだったなぁ。
私はそれが瞬時に夢だとわかった。
なぜなら、話しかけられているはずの小さな私を、宙に浮かぶように第三者目線で見つめていたからだ。
幼い私は高熱で顔を真っ赤にしている。
――可哀想に。私、夢の中でも熱出してるなんて。
そんな小さな私に、母は優しく語りかけていた。
『まだ、お熱高いね。今日の夕飯は食べやすいよううどんにしようか。』
母は小さな私の飲んだ薬のゴミと水の入っていたコップを持ってきたお盆に乗せる。
『もう少し、寝てなね。』
そう言って、母は部屋から出ていこうとする。
と、小さな私はそれを引き止めるように母の袖口をキュッと引っ張った。
『行かないで。怖いの。』
訴える声は弱々しくて、母を見つめる目は少し赤く、潤んでるようにも見えた。
――怖い??幼いながらにおかしなことを言うな自分。
そう、一瞬思いかけたが私は幼き自分がどんな生き物だったのか思い出した。
重度の怖がりで一人で夜にトイレに行くこともままならないほどだったことを。
――思い出してみれば、この時は寝てしまったらなんだか一生目覚められないような怖さがあったな。まぁ、私程怖がりでなくとも風邪の時はなんだか心細く涙脆くなるものだ。しょうがないとも言える。
私は、そうやって、言い訳するように一部始終を見守った。
そんな、怖がりな風邪っぴきの小さな私に母がなんと言ったか思い出したかったからだ。
袖口を握りしめる私の手に、母はそっと手を添えた。
『怖いかぁ。じゃあ怖くなるなるまで手、繋いどいてあげる。』
小さな私の手を母は慈愛に満ちた顔で、ゆっくりと包み込んだ。
よく覚えてないが、きっとその手は暖かく、私の恐怖を和らがせてくれたのだろう。
そう感じた。
――なんだか羨ましい。
微笑ましいような小っ恥ずかしいような幼き頃の私と母を見て私は思った。
暖かく優しい母の手が、純粋に懐かしくて恋しかった。
暖かい夢の中から目覚めて、私は部屋に一人という現実を目の前にして、目を閉じる前よりも寂しい気持ちになった。
熱はまだ下がって無さそうだ。
思い立って、ベッドサイドから放置してあった携帯を取り出す。
母とのトークルームを開いて、風邪をひいたので看病に来て欲しいことを伝えた。
既読はすぐについて、来てくれるとの連絡が入った。
年甲斐もない、甘ったれた行動だと思われるかもしれない。
でも、幼い頃の寂しい私を慰めてくれたように、大きくなった私も母の優しさの温もりがどうしようもなく欲しくなってしまったのだから許して欲しい。
それに、怖がりの私にとって、風邪は寂しくて怖いものなのだから。
―――母の手
お題【怖がり】
延々と宙に点在している、瞬く星は私たちに夢を与えてくれた。
遠い宇宙でも星が今でも輝いて暗い宇宙の中で懸命に光っているのだと私たちは信じてやまなかった。
――地球が滅ぶまであと一時間を切った。
あれほど私たちに希望を与えてくれた星たちはもう宙にひとつも見当たらない。
数週間前、宙には今にも零れ落ちて来そうなほどの多くの星が溢れる程にあって、それぞれに強い光を放って燃え尽きるようにして輝いていた。
星たちは数日間、夜に煌めき続け、少しずつ数が減るようにして消えていった。
私たちの宙に永遠にあると思っていた星たちは突如としてその生命を終えた。
何億光年と光り続ける星たちにも寿命がある。
その事実があることを私たちは見ぬふりをして、自分たちの領分である星も生き続けると信じてやまなかった。
そして、今、寿命を終える星の中で、あの燃え盛るように輝いた星のように人々は自分の生きた証と人生の最後の輝きを出せるようもがき始めた。
星たちのように美しく最期を迎え、どこかの惑星にその輝きが届くようにと。
―――滅亡前の煌めき
お題【星が溢れる】
不意に見えた彼女の瞳は凪いでいた。
そこには動揺も何も無い。
揺らぐことの無い眼は、ただただ安らかにここ以外の何処かを見ている。
焦点の合わぬほどに互いの顔は近くにあった。
だと言うのに、彼女の瞳に目の前の自分がが映ることは無い。
虚しいようで、何故だか安心している自分がいた。
結局、自分は気高き彼女を自分のトクベツにすることを恐れている。
今夜も自分は、どうしようもない臆病者であるのだった。
―――独りよがりの片想い
お題【安らかな瞳】
ずっと隣でなんて、絶対に不可能なことを願いたくは無かった。
私はあなたより長生きできないし、あなたの人生の半分も一緒にいられない。
だって、人生百年時代だなんて言う人類にネコが追いつけるわけが無いでしょう。
上手くいったって一緒にいられる時間はあなた達の生涯の五分の一でしかないもの。
そこのあなた。
ネコのくせにそんなことなんで分かるんだなんて思ったでしょう。
世間はイヌの方が頭がいいだのなんだの言いますけどね、ネコだって人の言葉がわかるんですよ。
私みたいに頭のいいネコはね。
私たち兄弟は雨の降る寒い冬の日に狭いダンボールの中にギュウギュウに詰められて捨てられたの。
あの日は本当に寒かった。
寒かったしお腹がすいて、一生懸命鳴くのだけれど誰も振り向いてくれる様子はなかった。
直に兄弟たちはなんだか冷たくなってて同じように鳴いていたはずなのに、声もあげなくなって動かなくなったの。
兄弟が冷たくなって、寒さを分け合う仲間が居なくなった私自身も段々と身体が冷たくなってって、意識が薄れていくのを感じたわ。
そんな時に現れたのが今の飼い主よ。
私の小さな身体をすくい上げてくれたその暖かい手の温もりはきっと私の短い生涯で忘れることは無いでしょうね。
でもね、やっぱり私のことを捨てた人間を私は忘れることは出来なかった。
結局都合が悪くなったら捨て置かれる命なら傍において欲しくはなかったの。
元気になって、私は彼女に感謝するどころか威嚇をして近づく手には容赦なく爪を立てた。
でも彼女は私を捨ておくどころか見捨てることすらしなかった。
彼女の手が暖かいのはそういうところもあるからなのでしょうね。
きっと心が暖かいから彼女の手も優しく暖かいものなのね。
あれから14年以上の時が経って、さすがに私も昔のように元気に居られなくなってきたのよね。
潔く猫生を静かに終わらせたかったのだろうけど、優しいあなたは私がいなくなったら長い時間悲しんでくれるのでしょう?
なら、あともう少しだけ頑張って、あなたの悲しむ時間は先延ばしにしてあげようと思うのよ。
ずっと隣でいるなんて不可能なこと出来やしないけど、もう少しだけ頑張ることはできるからね。
だから、その時が来るまでうんと構ってちょうだいな。
そう言って、年老いたネコは飼い主の膝の上でぐるりと喉を鳴らすのでした。
もう少し、もう少しだけと、甘えるように。
―――喉を鳴らす訳
お題【ずっと隣で】