風邪をひいた。
季節の変わり目で、寒さも和らいだと思って薄着でいたのが裏目に出てしまった。
一人暮らしの部屋で気怠い熱にうなされるのはどうにも物寂しくて、なんだか精神に堪えるものがある。
ベッドに横になりながら寒気と喉の痛みに顔を顰めて、八つ当たりするように天井を睨みつけていたら段々とさっき飲んだ風邪薬が効いてきたようで、眠気に引きずられるようにして私は夢の中へと沈んでいった。
『…ぐみ、つぐみ。』
声が聞こえる。
名前を呼ばれて目を覚ます。
『辛いだろうけどお薬飲みなさい。』
目の前にいたのは母だった。
――そういえば小さい頃は看病してくれる親がいたんだったなぁ。
私はそれが瞬時に夢だとわかった。
なぜなら、話しかけられているはずの小さな私を、宙に浮かぶように第三者目線で見つめていたからだ。
幼い私は高熱で顔を真っ赤にしている。
――可哀想に。私、夢の中でも熱出してるなんて。
そんな小さな私に、母は優しく語りかけていた。
『まだ、お熱高いね。今日の夕飯は食べやすいよううどんにしようか。』
母は小さな私の飲んだ薬のゴミと水の入っていたコップを持ってきたお盆に乗せる。
『もう少し、寝てなね。』
そう言って、母は部屋から出ていこうとする。
と、小さな私はそれを引き止めるように母の袖口をキュッと引っ張った。
『行かないで。怖いの。』
訴える声は弱々しくて、母を見つめる目は少し赤く、潤んでるようにも見えた。
――怖い??幼いながらにおかしなことを言うな自分。
そう、一瞬思いかけたが私は幼き自分がどんな生き物だったのか思い出した。
重度の怖がりで一人で夜にトイレに行くこともままならないほどだったことを。
――思い出してみれば、この時は寝てしまったらなんだか一生目覚められないような怖さがあったな。まぁ、私程怖がりでなくとも風邪の時はなんだか心細く涙脆くなるものだ。しょうがないとも言える。
私は、そうやって、言い訳するように一部始終を見守った。
そんな、怖がりな風邪っぴきの小さな私に母がなんと言ったか思い出したかったからだ。
袖口を握りしめる私の手に、母はそっと手を添えた。
『怖いかぁ。じゃあ怖くなるなるまで手、繋いどいてあげる。』
小さな私の手を母は慈愛に満ちた顔で、ゆっくりと包み込んだ。
よく覚えてないが、きっとその手は暖かく、私の恐怖を和らがせてくれたのだろう。
そう感じた。
――なんだか羨ましい。
微笑ましいような小っ恥ずかしいような幼き頃の私と母を見て私は思った。
暖かく優しい母の手が、純粋に懐かしくて恋しかった。
暖かい夢の中から目覚めて、私は部屋に一人という現実を目の前にして、目を閉じる前よりも寂しい気持ちになった。
熱はまだ下がって無さそうだ。
思い立って、ベッドサイドから放置してあった携帯を取り出す。
母とのトークルームを開いて、風邪をひいたので看病に来て欲しいことを伝えた。
既読はすぐについて、来てくれるとの連絡が入った。
年甲斐もない、甘ったれた行動だと思われるかもしれない。
でも、幼い頃の寂しい私を慰めてくれたように、大きくなった私も母の優しさの温もりがどうしようもなく欲しくなってしまったのだから許して欲しい。
それに、怖がりの私にとって、風邪は寂しくて怖いものなのだから。
―――母の手
お題【怖がり】
3/16/2024, 3:12:15 PM