不意に見えた彼女の瞳は凪いでいた。
そこには動揺も何も無い。
揺らぐことの無い眼は、ただただ安らかにここ以外の何処かを見ている。
焦点の合わぬほどに互いの顔は近くにあった。
だと言うのに、彼女の瞳に目の前の自分がが映ることは無い。
虚しいようで、何故だか安心している自分がいた。
結局、自分は気高き彼女を自分のトクベツにすることを恐れている。
今夜も自分は、どうしようもない臆病者であるのだった。
―――独りよがりの片想い
お題【安らかな瞳】
ずっと隣でなんて、絶対に不可能なことを願いたくは無かった。
私はあなたより長生きできないし、あなたの人生の半分も一緒にいられない。
だって、人生百年時代だなんて言う人類にネコが追いつけるわけが無いでしょう。
上手くいったって一緒にいられる時間はあなた達の生涯の五分の一でしかないもの。
そこのあなた。
ネコのくせにそんなことなんで分かるんだなんて思ったでしょう。
世間はイヌの方が頭がいいだのなんだの言いますけどね、ネコだって人の言葉がわかるんですよ。
私みたいに頭のいいネコはね。
私たち兄弟は雨の降る寒い冬の日に狭いダンボールの中にギュウギュウに詰められて捨てられたの。
あの日は本当に寒かった。
寒かったしお腹がすいて、一生懸命鳴くのだけれど誰も振り向いてくれる様子はなかった。
直に兄弟たちはなんだか冷たくなってて同じように鳴いていたはずなのに、声もあげなくなって動かなくなったの。
兄弟が冷たくなって、寒さを分け合う仲間が居なくなった私自身も段々と身体が冷たくなってって、意識が薄れていくのを感じたわ。
そんな時に現れたのが今の飼い主よ。
私の小さな身体をすくい上げてくれたその暖かい手の温もりはきっと私の短い生涯で忘れることは無いでしょうね。
でもね、やっぱり私のことを捨てた人間を私は忘れることは出来なかった。
結局都合が悪くなったら捨て置かれる命なら傍において欲しくはなかったの。
元気になって、私は彼女に感謝するどころか威嚇をして近づく手には容赦なく爪を立てた。
でも彼女は私を捨ておくどころか見捨てることすらしなかった。
彼女の手が暖かいのはそういうところもあるからなのでしょうね。
きっと心が暖かいから彼女の手も優しく暖かいものなのね。
あれから14年以上の時が経って、さすがに私も昔のように元気に居られなくなってきたのよね。
潔く猫生を静かに終わらせたかったのだろうけど、優しいあなたは私がいなくなったら長い時間悲しんでくれるのでしょう?
なら、あともう少しだけ頑張って、あなたの悲しむ時間は先延ばしにしてあげようと思うのよ。
ずっと隣でいるなんて不可能なこと出来やしないけど、もう少しだけ頑張ることはできるからね。
だから、その時が来るまでうんと構ってちょうだいな。
そう言って、年老いたネコは飼い主の膝の上でぐるりと喉を鳴らすのでした。
もう少し、もう少しだけと、甘えるように。
―――喉を鳴らす訳
お題【ずっと隣で】
放課後、校舎裏。少女漫画で言えば告白シーンに出てくるような典型的なシチュエーションで、俺は今、例にも漏れず学年一の美女に告白されている。
「えっ、えっっ??北村さん。それって俺に言ってるの?」
どうやったらここまで情けなくなれるのか分からないほど俺は狼狽えていた。
なんなら、上ずって気持ち悪い声が出る始末だ。
でも、どんだけ情けなくともそこんところの事実はしっかり確かめとかなきゃ後々取り返しのできないことにでもになりそうで怖かった。
「目の前に、鈴木くんしかいないのに、他に誰に告白するっていうの?」
ふふと花が綻ぶように俺を少しからかうように笑う彼女はやっぱり美しくて綺麗で、目の前の現状を把握するのに俺は長く時間がかかった。
信じられない。信じられないが、こんな劇的なチャンスを男として逃す訳にはいかない。
ので、返事は
「み、みみ身の丈に合わないものですが、よろしくお願いします!!」
もちろんYESでしかなくて。やっぱり返事も先程と同じくきもく、格好のつかない俺らしい情けないものだった。
次の日。それはそれは浮かれた心地で学校に行くと、俺と彼女が付き合ったことは瞬く間に噂として学内に広がっていたらしく、友人から速攻で糾弾を受けた。
「お前どういうことだ鈴木!!」
「なんでお前みたいなやつが高嶺の花である北村さんと付き合えてんだよ!」
「陰キャのくせに!」
『おかしいだろ!!!!』
それはそれは酷い罵詈雑言で、しまいには最後のセリフは満場一致でみんなの声が揃っている程だった。
クラスの中に入ればヒソヒソと囁かれている始末で、自分の席にただ座っているだけでもいささか居心地が悪かった。
そんな何処かいつもの日常とは違う日を半日過ごして昼休みになった。
いつものように友人と購買に出かけようとした時
「鈴木くん!!」
後ろから声を掛けられた。
振り向くとそこには北村さんがいて、少し焦った顔でこちらへ走ってくる。
「北村さん、どうしたんですか?」
「お昼、せっかくだから一緒に食べようよ。」
昨日に続き今日まで。俺はなんて幸せものなんだろう。
と、馬鹿みたいに惚けていたところを隣の友人に強めに肩を叩かれて正気に戻った。
「も、もちろん!」
屋上に行くと、そこには誰もいなくてここに昼食を食べに来たのは俺たち2人だけのようだった。
2人きりのシチュエーションにまた浮き足立つような気持ちになって、それを悟られないように菓子パンを頬張っていたらまたも肩を叩かれた。
「鈴木くん。あーん。」
北村さんは、そう言いながら玉子焼きをお箸でつまんで俺の口元へと差し出す。
そんな状況に俺は半ばパニックなっていた。
やばいやばいやばい。
どういうことだこれ!?
俺が、北村さんにあーんしてもらうなんてどんなご褒美だよ!??
もう意味わかんねぇよ!!
なんか色々超えて嬉しすぎて今なら空飛べそうだわ
自分の中の感情を閉じ込めておくキャパが限界を迎えて、そんなバカげたことを思った瞬間。
思いに比例するように、現実的ににありえないことに俺の身体は宙に浮かんだ。
どういうこと!!?
次は俺は違う毛色のパニックに襲われた。
え???なんで俺浮いてんの。何コレ?え、ええ?
俺は北村さんを置き去りにどんどん空へと浮かんで、雲へと近づきそうになった、その瞬間、、、
――目を覚ました。
目を開けて最初に見たのはいつもの天井で、一階から母さんの早く起きろと言う声が聞こえた。
生まれてきて始めて目覚めたことを後悔した。と同時にそりゃそうだとも思った。
いつも通り学校に登校しても、俺の友人はいつも通りで、誰も俺が北村さんと付き合ったことを糾弾する声は無い。
当たり前だ。夢だったのだから。
教室の廊下側の窓際の自分の席に座って夢を振り返ってみる。
そういえば、そもそもうちの学校の屋上は解放なんてされてない。
そこから夢だと気づければもう少しダメージは少なかっただろうか。
ただの夢を見たはずなのに、なんだか目の前の幸福を取り上げられたような悲しい気持ちで俺は教室からぼんやりと廊下を見つめていた。
思えば、学校一の美女と付き合えるなんてそんなベタな展開現実でほぼあるはずなんてないのだ。
まぁ、百歩譲って、同じく顔の整った男が彼女と付き合うのならわかるが、特に目立ちもしない陰キャの俺が彼女のお眼鏡になんぞかかるわけが無い。天地がひっくりかえらない限り、俺と彼女が付き合うなんて現実あるわけないのだ。
なんか、考えれば考えるほどなんだか惨めになってきた。
結局俺にはいつもの当たり障りのない平穏な日常がお似合いってわけだなと考えがまとまったところで机に突っ伏してふて寝することに決めた。
まぁ、さっき噂の彼女が廊下を通る時に目が合ったような気もしたが、そんなことは俺の勘違いだと惨めな期待を追いやるようにして、俺はまた幸せな夢を見られるように願って机の上で眠りについた。
―――典型的な夢オチ
お題【平穏な日常】
蛇足 不思議なことに天地がひっくり返って彼らは付き合うことになります。
小さな身体で、小さな手で。しっかりと、少年は1発で人を殺せてしまう火器を握りしめていた。
その目には紛れもない恨みと憎しみと恐れが浮かんでいて、後ろで震える妹を俺から守るように少年は立ちはだかっていた。
なんのために戦ってるんだ。
この光景を見て俺は思った。
俺は母国の家族を守るために戦ってきたはずだ、そしてきっと、目の前の少年も後ろの家族を守るために今戦おうとしている。
確か、義務じみた行動の根底にあるのは家族を守りたいという愛だった。
目の前の少年も、妹を守りたいと言う、妹への愛が彼を突き動かしてるんだろう。
でも、現実はどうだろう。たとえここでどちらかが生き残ったとしても、家族を守れたとしても、人を殺したという事実は二度と消えない。きっとその事実は、罪としてどちらかの肩に一生重荷として乗り続けるのだろう。
なんともバカげた話だ。
最初は母国への愛だとか、責任感とかいうものに動かされて、母国を守るために働いて来たはずなのに、目の前の戦場が繰り広げる現実は、惨憺たるものになっている。
敵国だと言い聞かせて、何人もの軍人を殺した。
でも、後になって考えてみれば俺が殺した軍人も国にいる家族を守りたくて、愛する母国を守りたくて前線に立っていたのかもしれない。
そう思うと、人を殺した罪の意識が鮮明になって、背中に罪悪感という名の重りがずしりと乗った気がした。
そういえば、この戦争の始まりは、我が国の王女がこの国の人間に殺されたことが始まりだった。
王女を殺した人間は、確か我が国の政策によって生活に影響を与えられて、家族を失った苦しみから報復として王女を殺したんだった。
あぁ、結局始まりも、他者への愛が故の復讐が原因だった。
人の恨みは終わらない。大切なものを奪われたら、怒りを抑えることは難しい。
人の欲も終わらない。国の上に立つ人間は、富や地位に目をくらませて、戦争へと走る。
国が戦争に走るなら、国民は家族を守るために動かないといけない。
時には大切な人を守りたいと言う、純粋な愛のために人を殺さなければいけない。
酷く馬鹿げてる。あまりにも醜い。
小さな子供が銃を手に取り人を殺さなければならない。愛のために。
平和な世であればその手は違うものを手に取っていたかもしれないのに。
そう思うと、もうこれ以上、母国のために動く気にはなれなかった。
ゆっくりと俺は少年に近づく。
震える手でもしっかりと彼は銃口を俺に向け続けていた。
攻撃の意が無いことを示すために俺は持っていた銃も防弾チョッキも全て外して手を挙げながら彼の元へと歩き出した。
そうすると、彼は震える手をゆっくりと下ろし始めた。
俺の思いが伝わったようだった。
少年の目の前に着くと俺は彼の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。
震える彼の手を握って、そっと俺は小さな身体を抱きしめた。
その行動は懺悔をするようでもあった。
誰かを想う気持ち、愛のために、もう誰も傷つけたくはなかった。
そして俺はただただ、この愛が俺たちに少しでも早く安寧をもたらしてくれることを願った。
―――誰がための戦
お題【愛と平和】
気がつけばいつの日からか、なんだか毎日が曖昧になっていた。
過ごす日々と比例するように記憶はぼやけていき、思い出すことが難しくなった。
自分が何者でどんな人生を歩んできたのかもわからなくて、大事なものがずっと思い出せないままで、ハッキリとした明確な自分は小さな箱の中に閉じ込められるような感覚だった。それでも、いつも閉じ込められた私は頭の奥底で叫んでいるのに全てがぼやけて曖昧になっていくばかりで私は時期に正気までをも失くしていった。
家の中には常に知らぬ女性がいた。
何故か、私の身の回りの世話をし、何故か私によく話しかけてきた。
時折、女性の知り合いが家に訪ねてきて、何故か私を"お父さん"と呼びながら小さな子供を私に紹介しては、"お父さんの孫だよ"と言ってきた。
私に家族などいないはずなのに。
いや、でも昔は居たような気がしなくもなかった。
でも、思い出そうしてもモヤがかかった輪郭のはっきりとしないものが頭に浮かぶばかりで、最近は考えるのもめんどくさくなって思い返すことはやめた。
思い出せないから私は全てを否定することしか出来なかった。
訪ねてくる人々は私が何者かと聞くと口々に言った。
"あなたの息子だ。"
"あなたの娘だ。"
"あなたの孫だ。"
私は毎日何故か私の身の回りを世話してくれる女性にも毎日あなたは誰かと尋ねた。彼女が答える言葉も訪ねてくる人々が言う言葉と似たものだった。
"あなたの妻だ。"
でも、そんなこと言われても私は思い出せなかった。
そもそも、私は自分が何者かすらもわからなかった。
毎度名乗られても、なんだか馴染みのある名前のような気がしても、はっきりと記憶が蘇ることは無かった。
だから、
"そんな人は知りません。"
そう言うことが精一杯だった。
そんな毎日がはっきりとしないモヤにかかったような日々を過ごしていた私だったが、ある日大勢の人がうちを訪ねてきた。
知らぬ人間達は、集まると次第に何故かみんな宴会を準備するようなことを始めた。
食卓のテーブルに多くの料理が並べられ、顔も知らぬ人達は当たり前のようにそれを囲んで座った。
混乱している私を他所にいつも何故か私の世話をしてくれる女性は私に笑いかけた。
「今日は、あなたの誕生日なんです。だから、みんな集まってくれました。」
誕生日。あぁ、そうなのか今日は私の誕生日なのか。
なんとなく、腑に落ちないところもあるけれど、誕生日だと言われて悪い気はしなかったから私はそうなんですか。と返事をした。
すると、目の前の彼女は笑いながら少し悲しいような顔をした。
知らない人なのに、彼女の悲しい顔を見るとなんだか私は自分まで傷ついたような気持ちになった。
不思議だった。
食事を食べ終わると、食後のデザートとしてケーキを出された。
歌を歌われながら、蝋燭を消すよう催促されて、消すと周りは口々に私の名前を呼びながら誕生日を祝ってくれた。ネームプレートには"85歳のお誕生日おめでとう"の文字があった。
みんな知らない人だったが、不思議とやっぱり悪い気はしなかった。
ケーキを食べていると、先程誕生日だと教えてくれた女性が何かを首に巻いてくれた。
見てみると、それは手編みのマフラーだった。
渡してくれた彼女を見やると、彼女はなんだか、恥ずかしそうな顔をしていた。
「いい出来じゃなくてすみませんね。年取ると編み物も長く出来なくって。不格好だけど受け取ってくださいな。」
なんだか、心が暖かくなる心地がした。
それに、照れ臭くするその顔には見覚えがあった。
遠い昔に、同じように手編みのマフラーを貰ったことがある。
同じように彼女から。
私は久しぶりに自分の記憶に確信を持った。
気づくと口から名前を知らないはずの彼女の名前が何故か出ていた。
「ありがとうございます。洋子さん。」
そう言うと、私にマフラーをくれた彼女は大きく目を見開いて、暫くすると俯いて泣き始めてしまった。
「やっと。名前を呼んでくれた。思い出してくれた。」
彼女は泣いて震える声でそう言っていた。
その時、私はまだハッキリとはよくわからなかったが、なんだか過ぎ去った日々の記憶を取り戻し、大切なものを思い出せてくるような気がしていた。
―――忘却の病
お題【過ぎ去った日々】