――ふわりとした雲のような場所に降り立つ。
そこは、なんだか、ポカポカして暖かかった。
言い表すなら、優しい人に抱きしめられてるような心地よい、温もりだった。
雲の上には先客がいた。
彼女は、自分がどこから来たのかもよくわからなかったから、その子に聞いてみることにした。
ねぇねぇ、ここどこかわかる?
――話しかけると、その子はにっこりと笑った。彼らには、目も鼻も口もなくて、ふわふわした光の塊みたいなものだけなのに、彼女にはなぜか、その子が笑ったのがわかった。
ここね、おかあさんのとこにいくのを待つとこなの。
おかあさん?
うん。おかあさん。すっごく優しくてね、僕がいった時には、毎日話しかけてくれて、お歌を歌ってくれたよ。
そうなの?
うん。
ほら、あっち、ぴかぴか光ってるでしょ?
あっちに行ったら、おかあさんのとこに行けるんだよ。
――彼が示す場所は、確かに光が点滅している。
へぇ。そうなんだ!
ここに来るまえに、偉いおじいちゃんが言ってたでしょう?
――彼女は、目の前の彼が話すことに覚えがない。当然だ。彼女は、聞いて然るべき話を聞き逃してしまっていた。
だって、お話長かったから。わたし、聞かないできちゃった。
だめだよ!!お話聞かなきゃ!
元気におかあさんに会えなくなっちゃうんだよ!!!
――そう訴える彼は、なんだか必死だった。だから彼女も、少し焦る。
えぇ!それはやだなぁ。
でしょ?
うん。
あのね、あのぴかぴかのとこ通ったらね、あったかいお風呂みたいなところに、ちょっと浸かっとかないといけないの。
お風呂?
うん、ちょっと狭いんだけどね。苦しくは無いから大丈夫だよ。そしてしばらくしたら、一生懸命外にでるの。早くでちゃだめだよ。おかあさんがきっとでてきてーってするからね、その時にでるの。
わかった!わたしできるかな。
――なんだかよくわからなかったけど、話を聞いて小さな彼女は漠然と不安を抱いた。大丈夫な気もするけど、大丈夫じゃいかないような気もする。そんな矛盾した不思議な不安だった。
きっとだいじょうぶ!!こまったときは、ぼくがたすけてあげるからね。ここで、おかあさんときみのことみてるから。
そっか!それならなんか、だいじょぶな気がしてきた!
よかった!じゃあ、気をつけてね。
一緒にいかないの??
――彼女にこれまで説明してくれた彼は、光へと動く気配を見せない。
ぼくは、いけないんだ、。ほんとはね、きみより先におかあさんのとこにいくところだったんだ。だけどね、偉いおじいちゃんがいうにはね、ちょっと運がわるくて、あそこから戻ってきちゃったの。
えぇー!おかあさんにあえなかったの?
うん。そうなの。おかあさん、とっても悲しそうだったなぁ。
でもね、大丈夫!!今度きみがいく時はね、きみが落っこちていかないようにね、ぼくがまもるってきめたから!
だからね、もしおかあさんに会ったら、言ってくれる?ぼくは、ここでげんきだからあんまり悲しまないでね、って!
うん!ちゃんというね。でも、大丈夫??ひとりで、さびしくない??
だいじょうぶ!!ぼく、おにいちゃんだから!!
そっかぁ。おにいちゃんだからかぁ。
うん!あ!!
きみ、早くいかなきゃ!ぴかぴかがおわっちゃう!!
――彼らの言う、ぴかぴか光るところは、点滅する速さを早める。まるで彼女に早くここをくぐれと急かすように。
じゃあわたし、おかあさんにあってくるね!ちゃんと、おにいちゃんのこともはなすね!
――彼女は点滅する場所へと急ぐ。行き遅れたら、母に会えなくなるという焦りに駆られるようにして。
きをつけてね!!ころんじゃダメだからね!!
うん!おにいちゃんも、げんきでね!
うん、ばいばい!
ばいばーい!
――その言葉を最後に、彼女は点滅する光に吸い込まれた。光は、雲の上のような場所と同じく、温い。
光の塊だった身体は、段々と人間の赤子の姿に形作られる。
彼に教えられたお風呂のような、お湯のはられた場所に辿りつく。
そこも、雲の上と光と同じく、凄く暖かかった。
頭を丸めて、ひざを抱え込んで、落ち着く体勢をとる。
暫くすると、接する壁から声が聞こえてきた。
"元気に、はやく出てきてねぇ。おかあさんは待ってるよ。"
甘く、優しさに満ちた声だった。
彼女は返事とばかりに軽く、接する壁の声を聞こえた方を蹴る。
わたしも、はやくおかあさんにあいたいよ。
彼女自身も、誕生を待ち侘びる気持ちを込めて。
――――生命の宿り
お題【小さな命】
自分で言うのもなんだが、気難しい性格だと思う。
それに、もともと喋るのが好きな方じゃなく、人とのかかわり合いも、上手い方ではなかった。
その性格の難しさはというと、自分と結婚する・してくれる人間など、現れることはないとまで思うほどだった。
だから、恋愛にも消極的になって、30代になっても恋人の一人もいたことは無かった。そもそも、恋人をつくる気すらもなかった。
でも、時代の流れにはなかなか逆らえず、家庭を持ってやっと一人前だと言われたあの頃に、会社の上司の娘との見合いの場を設けられて、無下に断ることなど私には出来なかった。
――――――見合いの場に出向いて、初対面で、目が合って数秒。
直感的に思った。この人と私は釣り合わないと。
写真で顔は拝見させて貰ってはいたが、写真越しに見る顔よりも幾分か整って見えた。
それに加えて優しげな表情の柔らかさは、言葉を交わす前から彼女の人柄の良さを表しているようだった。
人としての魅力に溢れている方という風にしか、私の目には映らなかった。
そして目が合って、はにかんで笑われても、私は身を強ばらせて会釈することぐらいが精一杯だった。
案の定、話をしてみてもこちらが言葉に詰まってしまって、彼女がいくら話に花を咲かせてくれても、その花を手折るような真似しかできない。
見合いが終わると、後悔と羞恥の気持ちで胸がいっぱいだった。
私にはきっと、似合わない女性だ。
そんな思いに、打ちのめされた。
最初からこの見合いに期待などは一ミリもしていなかったが、あまりにも酷い有様で、自分が惨めに思えた。
そんな恥晒しな見合いが終わって数日後。
数日経っても、私は未だに上司に見合いの返事を出来ずにいる。
そんな私に痺れを切らしてか、出勤してすぐ、件の上司に呼び出された。
話の内容は、断りの返事を伝えるものだろうと見当はついてたのだが、その上司から告げられた言葉は私にとってとても予想外なものだった。
―――――――あれから数十年後、私は今花屋の前に立っている。
数日前から予約した数十本の花束を受け取るために。
今日は、結婚して50年の節目だった。
私には釣り合わぬと諦めようとしていた相手は、50年もの間、気難しい私の隣に立って人生を歩んでくれた。
だから、この日ぐらいはと、彼女の好きな赤い花を用意した。
そして花束には、柄にもなく、それなりの意味を持たせた。
口には決して出せぬようなキザな言葉を。
玄関の戸を開ける。
らしくもなく、緊張で花束を握る手は手汗でしっとりと濡れている。
いつものように妻は、二人の記念日を祝うためキッチンでご馳走を作ってくれているだろう。
靴を揃えて、たたきを上がると、一直線にキッチンへ向かった。
少しでも早く、喜ぶ妻の顔が見たかった。
歳をとっても変わらず花のように可愛らしげに笑ってくれる顔が、早く、見たかった。
――結婚記念日
お題【Iove you】
私にとって、彼女は自分の太陽だと言っても過言では無いほどに大切な人だった。
彼女は学生時代、孤独な私に手を伸ばして歩み寄ってくれた。
決して相容れることの無い相手だと思う程に自分にとって遠い存在だったのに、どうしたことか彼女とは不思議と気があった。
趣味も、好きな音楽も、嗜好がそっくりだったのだ。
自分とは正反対で、交友関係も彼女の方は幅広く、私はゼロに近いほどに人と関わり合いを持っていなかったけれど、放課後は一緒に過ごし、お昼は2人きりで弁当を食べた。
彼女が自分の人生に現れてからは、生きていくことが楽しいことだと感受できるようになるほど、彼女は私の中に唯一無二の光を灯してくれていた。
それでも、進学先まで同じと言う訳には行かず、高校を卒業してから私たちは別の大学へとそれぞれ通うことになった。
進学してから関係は暫く続いたが、お互い社会人になる頃には前ほど気軽には会うことが出来なくなって、登録していた連絡先も、携帯の機種を交換した時に引き継ぎに失敗してしまって学生時代の知人の連絡先は消えてしまい、例外なく彼女の連絡先も消えてしまった。
その頃からは連絡を取り合うことは自然となくってしまっていたけれど、彼女との関わりがほぼ無くなってしまったことがそれなりに悲しかった。
でも、どこかでまた逢えるだろうと漠然とそう、思っていた。
そんな彼女の訃報が入ってきたのは、ちょうど実家に帰省した時だった。
知らない番号からの電話を訝しげに取ると、電話口で元同じクラスメイトの苗字を名乗られた。
あまり関わりが無い人だったから、どうしたのだろうと尋ねようとしたちょうどその時、彼女が亡くなったことを知らされた。
「𓏸𓏸さん、あの子と仲良かったから。報せなきゃと思って」
もう途中から、元クラスメイトの声は聞こえなかった。
――――
交通事故、だったらしい。
亡くなったのは数ヶ月前で、葬式も終わってしまっていた。
電話で報せを入れてくれた元クラスメイトは、私に知らせなければと私の数少ない交友関係から私の連絡先を見つけてくれたみたいだった。
彼女の訃報を聞いて、私は当然に驚いた。
けれど、残酷な事に私の中に喪失感は少ししかなかった。
かつての自身にとっての太陽を永遠にこの世から失ってしまったのに、もう二度と彼女の隣を歩くことは出来ないというのに。
時間の流れと人の人格形成の過程を鑑みれば、学生時代の経験と、人間関係に変化が起こることにそこまで感情が揺れ動かないことがしょうがないと片付けられること
もあるのかもしれない。
それでも、学生時代の私にとって唯一の安寧にも近かった彼女を失ってもなお、正気を保てている私が酷く残酷なものに思えて、
いつの間にか太陽を失ったのに暗闇で平気に生きていけてしまっている自分に悲しくなった。
地球に生きている生物は全て、太陽を失ったら朽ち果てていくと言うのに、私は今もここに立って平気に生きている。
時間も私も全て残酷だ。
そう、思った。
二度と光の入らぬ暗闇では、そう嘆くことしかでき無かった。
――――暗闇
お題【太陽のような】
朝、目を覚ますと決まって昨日と同じ天井が見える。
そこまでは当たり前だ、別にいい。
スマホのロック画面を開く。そこに表示された日付は昨日ときっかり同じ、2月21日を指していた。
昨日と同じ。ありえない。
そこで私は溜息を着く。この日を迎えるのは何回目だろうか。と
私は毎日21日を迎えている。
いつからだったか、何回目の21日か、そんなことも忘れてしまうほどにずっと前から。
カーテンから差し込む日差しも、会社に向かう時にすれ違う人も、流れるニュースも全部おなじ。
社会は規則的に、21日を毎日こなしている。
21日を毎度迎える私が飽き飽きするほどに。
きっかけがなんだったのかはわからない。だから、繰り返す21日のトリガーが何なのか見当もつかない。
繰り返す21日をこなしていくうちに、どうやら私は頭が狂ってしまったようで、自分が会社に通う人間で、女で、どこに住んでいるのかぐらいしかわからなくなっていた。
つまり、最初の21日にどんな気持ちで目覚めて、どんな気持ちで今までの日々を過ごしていたのかすら分からなくなっていたのだ。
何となくそりゃ、そうだろうなと思った。だって、最初の21日から、自分の自我と感情だけは蓄積されるのに周りは一向に変わらず、淡々と全く同じ日をこなすのだ。同じ21日を0から。
気が狂って、記憶が飛ぶのもわかるだろう。
頑張って思い出そうとしたら、最初の21日の時に自分が凄く楽しみな気持ちを持っていたような気もするし、酷く憂鬱な気持ちだったような気もしてきた。
でも今の私からしたら、もう最初の私がこの日をどんな気持ちで迎えたかなんて正直どうでも良くなってしまっていた。
21日が繰り返された当初は、明日の自分のことも思って、規則正しく過ごしていつも通りに会社に通っていた私だった。でももう、同じような日々には嫌気がさしてしまったのだ。
こうして私は、今回の21日からは責任など全て放棄して全てやりたいようにやる事を心に決めてしまった。
手始めに、段々と嫌気がさし始めていた面倒臭い会社を辞めた。そして、部屋の掃除をすることにした。
繰り返される同じ日の中じゃあまり把握出来ていなかったが、どうやら私は自分の部屋を掃除できないほどに追い込まれていたらしい。
部屋の中は荒れ果てていて、あちらこちらに自分の生活の堕落っぷりを指し示すような惨状が広がっていた。
そんな部屋を掃除している途中、一つのアルバムを見つけた。今の私には、当然、見覚えがない。
ペラりとページをめくってみて、写真を目に入れた瞬間流れ込むようにして記憶が流れ込んできた。
家族や友人、大切な人との暖かい記憶、自分がどんな人間であるかを知れるような日々の記憶が。
そして、同時に私は思い出した。自分がどんな思いで、最初の21日を迎えたかを。
思い出した途端に、泣き出したくなった。本当の私が迎えた最初の21日に感じていた絶望を思い出して、気づけなかった、自分が自ら手放してしまった日常と自分自身の大切さにようやく気づいて。
あぁ、どうしても明日が迎えたい。
自らの手から手放してしまった、絶望のあまりに投げ出してしまった命をもう一度迎えたいと強く願った。
とたん、眩い閃光に私は身を包まれた。
身を包んだ光は私の身体をふわりふわりと浮かせていって、いつの間にか現れたトンネルの出口のような場所へと私を導いた。段々と出口は近づいて、そこをくぐり抜けたと同時に、、、
パチリと音がするように私は目をあけた。
今度は、見覚えのない部屋の天井だった。
胸にはぺたぺたと線の繋がったシールが貼られていて、線を辿ると電子機器が私の鼓動に合わせてピッピっと規則正しく脈を打っている。
ジャっと勢いよく、仕切りのカーテンか何かが開けられる音がして、白衣を着た女性が入ってきた。女性は、私の顔を見て目を見開いた。
目を覚ましたかと、名前を呼ばれて驚かれるが、私は彼女に一番に聞きたいことがあった。
長いこと口から水を摂取してないせいで酷く喉は乾いていたが、何度か声にならない声を出したあと、私はようやく彼女に大事なことを尋ねることが出来た。
「今日、は、何、月何日で、すか。」
彼女はそんなことよりも私の健康を早く確かめたかったようだが、質問にはすんなりと答えてくれた。
「4月6日です。」
彼女の答えを聞いてようやく私は不安が払拭された気持ちになった。
あぁ、やっとだ。
やっと、私は21日では無い日を0から始められる。
――望むのは。
お題【0からの】
時折、自分が惨めで残酷な状況にいるような気がしてならない時がある。
そんな時、自分の人生そのものを話すつもりであった心を開いた人間にそんな感情をかけられてしまったら、私はもっと自分が惨めで堪らなくなると思う。
同情することが悪い事だとは決めつける訳では無い。
だが、時に人を惨めにしてしまう程には酷な感情であると私は感じるのだ。
――慰みよりも酷なもの
お題【同情】