かも肉

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5/28/2025, 10:24:42 AM

所感4 さらさら



さらさら といえば、スピッツの曲。
子守唄みたいな優しさで始まり、サビに入った瞬間気持ちが溢れだしてしまったかのような雰囲気に変わる。初めて聞いたときは静から始まった分、余計サビが強く感じた。それでもずっと優しく切ない歌詞。この素晴らしさを表す言葉を見つけられない。
どうか一度聴いてほしい。
以下は一番好きな歌詞だ。


だから眠りにつくまで
そばにいて欲しいだけさ
見てない時は自由でいい
まだ続くと信じてる
朝が来るって信じてる
悲しみは忘れないまま

5/27/2025, 11:42:16 AM

所感3 これで最後



ありもしない才能を信じて縋るのはこれで最後。
苦しみを痛みに置き換えるのはこれで最後。
よどんだ過去に溺れるのはこれで最後。
変わる事を諦めるのはこれで最後。
未来を恐れるのはこれで最後。
愛を渡すのはこれで最後。
本当にこれが最後?

を、幾度となく繰り返してる人生だ。
我ながら最高に醜いと思う。醜くて、でも最高に人間らしいものだと。又はそう思いたいだけか。
これから何度、嘘の最後を繰り返すのだろうか。

5/20/2025, 12:54:07 PM

作品67 空に溶ける



 少し大きめな棒付きキャンディー。別名ペロペロキャンディ。そんな小さい頃からの憧れに、かぶりついた。
 ……ものすごく食べづらい。いくらもごもご口をうごかして頑張っても疲れるばかりで、食べられてる気が全くしない。
 1度口から出して見ると、全然形が変わっていなかった。諦めて正しい食べ方を調べる。
 なるほど。
 どうやら袋の中で砕いてから、小さくなったそれを食べるのが正解らしい。ほうほうと独り言を言いながら飴を袋に戻し、ぐっと力を込める。硬すぎて全く割れない。何度か頑張ったが努力虚しく、諦めてハンマーで叩いた。瞬殺。
 何だかやるせないな。なんて呟く。
 飴が棒から取れたのを確認してから、割れた飴を近くにあった黒い皿に移した。
 黒が砕けた飴が際立たせて、星に塗れた夜空みたいで綺麗だった。
 一番大きい欠片をそっと取って光に透かしてみる。思ってたよりあまりキラキラしてなく、期待していたような輝きは見れなかった。何だか少し残念だ。そう思いながら口へと放り投げる。
 酸味の強いところに当たったのか、さっきの味と少し変わっていた。口の中で回転させてみると甘さに全振りしたようなところに当たる。少し楽しいな。コロコロ転がしながら味わう。
 夜空が、口の中でゆっくりと溶け出した。

5/8/2025, 1:28:41 PM

所感2 届かない……



 食糧庫の上の方に積まれた、魅惑的なお菓子達。ポテチ、じゃがりこ、ポッキー、プリッツ、おっとっと、柿の種、するめ、チョコレート……。どれもこれも美味しそうだ。しかし、一つも食べることができない。この身長じゃ、ジャンプしても椅子の上に上がっても届かないからだ。

 そんな感じで、幼少期の頃は親がいなくてはおやつが食べられなかった覚えがある。好きな時に好きなように食べてねと我々に言う割には、良心的とは言えない場所に置く親。
 あれは一体、何だったんだ……。
 たまに思い出しては無意味に憤る。まあ今更昔の気持ちを出しても遅い。
 それより今を見よう。
 冷蔵庫からさけるチーズを取り出し、一つ丸かじりすることができる。小腹が空いたらコンビニに行って好きなお菓子を買える。というか夜中にお菓子を作れる。
 嗚呼最高じゃァないか!
 親と体重計から離れた今しかできない贅沢だ。

5/7/2025, 1:19:33 PM

所感1 木漏れ日


 今日からお話以外にも、心に浮かんだことを書こうかなと思う。元より、自分の心情を言語化する練習をするのを目的としてこれを始めたので、ただ本来の目的に戻っただけだ。
 一応記載するが、これからも今までしてきた物語の様な物は書いていくつもりだ。その時の気分によってどちらかに変わるだけ。自身の心情を『作品』と番号付けて書くのはこっ恥ずかしいので、これらを『所感』と題する。

 さて。
 木漏れ日と聞けば、緑になっても尚幼さを残る色をした葉とそれを纏った木。そして、葉の色を僅かに盗んだのか、どこか黄緑のようにも見える黄色い日の光が脳裏に浮かぶ。多分、ネットで木漏れ日と調べればそれと似たような画像が出てくるだろう。いざしてみると案の定。
 自身だけなのか如何かは知らないが、木漏れ日という言葉には夏を感じる。細かく言えば初夏といったところだろうか。
 なぜそう感じるのか、少し考えてみた。そして幼いときのことを思い出した。
 
 一つ、昔話をしよう。自分は北の方の田舎で生まれ育った。涼しい地域だ。今では地球温暖化だかなんだかでだいぶ暑くなってしまったが、幼少期の頃はとても涼しかった。
 そうはいっても、夏はそれなりに暑い。
 なので両親は、近所のソフトクリーム屋さんによく車で連れて行ってくれた。近所と言っても田舎の感覚なもんで、車で行けば30分以上かかる。ちなみに最寄りのコンビニはそこからあと数分走る。都会の者からしたら多分異常なのだろう。話を戻す。
 そのソフトクリーム屋さんは田舎にある数少ない飲食店?と言うわけで、田舎の割には繁盛していた。行くたびにそこそこの人数がいる列がある。なので毎度毎度暇な時間が少しあった。
 当然、ガキからすれば退屈である。
 なのでその間我々ガキ共は、近くにある花壇に植えられている木の下周辺で遊んでいた。ちょうど親の目から離れることはないし、そこそこ広さがある野原もそこの近くにある。暇つぶしにはうってつけの場所。
 そこでアイスが来るまではいつも遊んでいた。兄弟と鬼ごっこしたり、小さな木の切り株のような物を平均台のようにして歩いたり。一度、木登りをしようとしたことがあるが、公共の場に生えてる木のため流石にそれは怒られた。まあ、そんな感じでいつもアイスを待っていた。

 そしてある年の初夏。その日はたまたま風が強く、また、その年初めてのソフトクリームだった。当然ウキウキで行き、ウキウキで遊ぶ。すると突然強風がやって来た。アイスを持った他の子は落としてしまい、泣いてしまうほどの。
 自分は冬のために伸ばしていた少し長い髪のせいで視界が悪くなり、どうにかしようと目をつぶりながら髪を顔から避けようと、上を見た。犬のように顔を振り、さっと手櫛で髪をとく。そしてそのままの頭の位置で、目を開いた。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、あの木だった。
 薄い緑色の葉を纏った木が恐ろしいと思うほど大きな音で、しかしそれでいて爽やかさも感じる動きをしながら、太陽の光を受けて揺れていた。
 
 それが何故か、見慣れた木なのに、いつものものとは思えないほど、美しく見えた。
 色、音、動き。どの要素があんなにも美しく感じさせたのか、分からない。だがあの景色は何年経った今でも鮮明に思い出せる。

 あの瞬間僅かに見えた木漏れ日は、まだ幼い子供の心でさえ美しいと思えれるような感動をくれた。
 
 うまく話がまとまらないが、要は幼い頃見た木漏れ日がたまたま初夏の頃だったため、木漏れ日=初夏というイメージが自分にはあるというわけだ。我ながらぐたぐただ。オチがないというのは辛いものだな。

 最後に、木漏れ日関係で一つ。
 これから私の故郷の方ではそろそろ桜が咲く頃だ。もしかしたらもう既に散っているかもしれない。そうなら少し残念だが、まだ残っているならしたいことがある。
 夕方になりかけた頃に桜の木の下に行きたい。
 少し赤に染まった桜と、その空の色と、差してくる光が、初夏の木漏れ日とはまた違って、綺麗だから。出来る事なら、昔の友人と共に見たい。



グダグダ長くなってしまって申し訳ない。ここまで読んでくれたあなたに、心より感謝します。
日常を少しだけ忘れられるような、そんな素敵な景色をあなたが見られますように。

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