所感1 木漏れ日
今日からお話以外にも、心に浮かんだことを書こうかなと思う。元より、自分の心情を言語化する練習をするのを目的としてこれを始めたので、ただ本来の目的に戻っただけだ。
一応記載するが、これからも今までしてきた物語の様な物は書いていくつもりだ。その時の気分によってどちらかに変わるだけ。自身の心情を『作品』と番号付けて書くのはこっ恥ずかしいので、これらを『所感』と題する。
さて。
木漏れ日と聞けば、緑になっても尚幼さを残る色をした葉とそれを纏った木。そして、葉の色を僅かに盗んだのか、どこか黄緑のようにも見える黄色い日の光が脳裏に浮かぶ。多分、ネットで木漏れ日と調べればそれと似たような画像が出てくるだろう。いざしてみると案の定。
自身だけなのか如何かは知らないが、木漏れ日という言葉には夏を感じる。細かく言えば初夏といったところだろうか。
なぜそう感じるのか、少し考えてみた。そして幼いときのことを思い出した。
一つ、昔話をしよう。自分は北の方の田舎で生まれ育った。涼しい地域だ。今では地球温暖化だかなんだかでだいぶ暑くなってしまったが、幼少期の頃はとても涼しかった。
そうはいっても、夏はそれなりに暑い。
なので両親は、近所のソフトクリーム屋さんによく車で連れて行ってくれた。近所と言っても田舎の感覚なもんで、車で行けば30分以上かかる。ちなみに最寄りのコンビニはそこからあと数分走る。都会の者からしたら多分異常なのだろう。話を戻す。
そのソフトクリーム屋さんは田舎にある数少ない飲食店?と言うわけで、田舎の割には繁盛していた。行くたびにそこそこの人数がいる列がある。なので毎度毎度暇な時間が少しあった。
当然、ガキからすれば退屈である。
なのでその間我々ガキ共は、近くにある花壇に植えられている木の下周辺で遊んでいた。ちょうど親の目から離れることはないし、そこそこ広さがある野原もそこの近くにある。暇つぶしにはうってつけの場所。
そこでアイスが来るまではいつも遊んでいた。兄弟と鬼ごっこしたり、小さな木の切り株のような物を平均台のようにして歩いたり。一度、木登りをしようとしたことがあるが、公共の場に生えてる木のため流石にそれは怒られた。まあ、そんな感じでいつもアイスを待っていた。
そしてある年の初夏。その日はたまたま風が強く、また、その年初めてのソフトクリームだった。当然ウキウキで行き、ウキウキで遊ぶ。すると突然強風がやって来た。アイスを持った他の子は落としてしまい、泣いてしまうほどの。
自分は冬のために伸ばしていた少し長い髪のせいで視界が悪くなり、どうにかしようと目をつぶりながら髪を顔から避けようと、上を見た。犬のように顔を振り、さっと手櫛で髪をとく。そしてそのままの頭の位置で、目を開いた。
真っ先に目に飛び込んできたのは、あの木だった。
薄い緑色の葉を纏った木が恐ろしいと思うほど大きな音で、しかしそれでいて爽やかさも感じる動きをしながら、太陽の光を受けて揺れていた。
それが何故か、見慣れた木なのに、いつものものとは思えないほど、美しく見えた。
色、音、動き。どの要素があんなにも美しく感じさせたのか、分からない。だがあの景色は何年経った今でも鮮明に思い出せる。
あの瞬間僅かに見えた木漏れ日は、まだ幼い子供の心でさえ美しいと思えれるような感動をくれた。
うまく話がまとまらないが、要は幼い頃見た木漏れ日がたまたま初夏の頃だったため、木漏れ日=初夏というイメージが自分にはあるというわけだ。我ながらぐたぐただ。オチがないというのは辛いものだな。
最後に、木漏れ日関係で一つ。
これから私の故郷の方ではそろそろ桜が咲く頃だ。もしかしたらもう既に散っているかもしれない。そうなら少し残念だが、まだ残っているならしたいことがある。
夕方になりかけた頃に桜の木の下に行きたい。
少し赤に染まった桜と、その空の色と、差してくる光が、初夏の木漏れ日とはまた違って、綺麗だから。出来る事なら、昔の友人と共に見たい。
グダグダ長くなってしまって申し訳ない。ここまで読んでくれたあなたに、心より感謝します。
日常を少しだけ忘れられるような、そんな素敵な景色をあなたが見られますように。
5/7/2025, 1:19:33 PM