あなたがいたから
たとえば、こんなにも広い世界が案外怖いものではないと知ったとき。
こんなにも醜くて汚い世界でも、美しくて愛しいと思ったとき。
すべてに絶望して、心を塞いでも、受け止めてくれる優しさがあると知ったとき。
どんな瞬間にもあなたがいて、そのとき知った感情もすべて、あなたがその理由になっていた。
あなたがいたから、そんな理由だけで生きていくこともできる。決して生きる意味ではないけれど、生きる理由の一つになるんだ。
相合傘
「え、雨降ってんじゃん」
下駄箱で靴を履き替えながら、彼女はそう言った。傘をささずに走っていけるほど、家も駅も近くないし、それなりに降っているためびしょ濡れになることは想像に難くない。
「ねぇねぇ、傘持ってる? 駅まででいいから、入れてってー」
泣きつくように甘えるその様子に仕方ないなぁ、なんて思いを全面に出しながらいいよ、と笑う。
あまり大きくない長傘を開いて、傘の下へと二人して入り込んだ。お互いの肩が少しはみ出ているが、気にすることなく歩き始める。
何気ない会話をしながら、心臓の音が彼女に聞こえないように平静を保ちつつ、それでもいつも以上にこぼれてしまう笑みを隠せないまま、一本の傘の下で肩を寄せ合って歩いた。
本当は折り畳み傘も持っているけれど、その事実は鞄の奥底に仕舞い込んで、ほんの少しの幸せなひとときを味わう。
ああ、きっとこの想いは彼女を困らせるだけだから。
わかっているからこそ、その気持ちに蓋をして、今日も彼女の親友として隣を歩くんだ。
落下
「重力には逆らえないよ」
少女は諦めたようにそう呟いた。背中に生えたその美しい翼では羽ばたくことができず、せいぜい高いところから落下して滑空することくらいしかできなかった。
「そう思っているから、飛べないんじゃない?」
少女の横でもう一人の少女は羽を広げて飛ぼうとする。
「あたしは、飛べるって信じてる」
もう一人の少女のその言葉で、少女の瞳に希望が宿った。
それを見たもう一人の少女は、ニヤリ、と笑って羽ばたく。ゆっくりと足が地面から離れていき、ついにその重力に逆らうことができた。たった数センチではあるが、ふわふわと飛ぶもう一人の少女は、少女に手を差し出す。
「あなたを縛るものなんて、本当はないのよ」
未来
きっと、それは無限の可能性を秘めている。
一秒にも満たない、今というこの一瞬を生き続ける私たちにとって、未来は不明瞭で不確定で。
ある程度の予測や憶測はできるけれど、確定ではない。
だからこそ、一瞬先の未来には無限の可能性が詰まっている。
誰も知り得ないその先を生きるために、今というこの一瞬を生き続けていきたい。
1年前
花壇の花が風に揺れ、蝶々が飛び回る中、君はそれを見ながら微笑んでいた。楽しそうに、愛しそうに目を細めて笑う顔が、印象的だった。
それが一年前の話。
好きだったはずの花が植えられた花壇も、その周りを飛び交う蝶々もあの時と同じなのに、その瞳には何も映っていないみたいに空虚を眺めていて。
「壊れたものは直せないんだよ」
そう悲しげに言っていた言葉が頭によぎって、後悔する。
ああ、なぜ壊れてしまう前に助けを求めてくれなかったのだろうか。
救えたかもしれないのに、なんて言葉は今さらだってよくわかっていた。