H₂O

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6/15/2023, 1:48:53 PM

好きな本


コン、と表紙を軽く叩くとそんな音が鳴った。焦げ茶色のそれは中々に厚みのある本で、サイズも少し大きかった。
表紙に書かれた文字をなぞると、文字の部分が少しへこんでいて、目を閉じていてもその文字がわかるのが嬉しかった。
表紙を開いて、ページをめくれば、そこにはたった一言、『Dear you』と書かれている。
私に向けられた、私のためだけの、世界にたった一つの本。
本の最後のページにも、また一言だけ書いてあった。
『From N』

6/14/2023, 1:53:13 PM

あいまいな空


美しい、と思った。
晴れてもいなかれば、雨が降っているわけでもない、曇り空にしては雲の量が少ないような、そんな空だった。
海を反射したような鮮やかな水色でもなく、夕焼けが照らす茜色でもなく、夜を思わせるような深い青でもない、何とも言えないような色んな色が混ざった空だったのだ。
ただ、それを見て、美しいと思った。些細な心の揺れ動きを残しておきたくて、空にレンズをかざす。
カシャ、と小さくシャッターが鳴って、この空を閉じ込めることができた。
きっと他の人が見たら、なぜこんな空の写真をわざわざ撮ったのか、なんて思うのかもしれないけれど、ひどくあいまいな空のことを美しく感じられたこの心を忘れたくなかったのだ。

6/13/2023, 2:04:16 PM

あじさい


「土によって変わるんだって」
「……何が?」
「もー、ちゃんと話聞いてよー」
放課後の教室で、居残りをしながらその声をBGM代わりにしていたら、少しだけ怒ったような声で返された。
「ごめん、ごめん。で、何の話だっけ?」
「はぁ。だから、あじさいの話」
「あじさい?」
「そう。花の色がさ、育つ土の酸度によって変わるんだって」
ふーん、と相づちを打てば、目の前に座る彼女は外を眺めながら続ける。
「なんかさ、羨ましいなって思って」
「なんで?」
「だってさ、その酸度ならこの色って決まってるんだよ。何になるか決まってた方がいいじゃん」
「……でも、その色にしかなれないんだよ? たとえ、別の色になりたくても、そういう運命だって受け入れなきゃいけない。だったら、私はあじさいじゃなくて、よかったなって思う」
視線を机の上に向けると、そこにはまだ真っ白なままの進路希望調査と書かれた紙があった。
決まりきった道を歩くのはきっと難しくはないだろうけど、退屈で、それでいて何気に苦労するのだろう。
だったら、自分で決めた道を自分なりに進んでいく方が、きっと何倍もいい。置かれた場所で咲くよりも、好きな場所で、好きな色で、好きなように咲けたら、いい。


6/12/2023, 1:37:27 PM

好き嫌い


「好き嫌いしないこと。何でも食べて、色んなことをするのよ」
記憶の中にいるその人は、優しく微笑みながらそう言った。あたたかな昼過ぎの窓辺で、一緒に空を見上げながら、笑い合って。頭を撫でられたその感覚を、忘れてしまわないように噛み締める。
今はまだ、会えないけれど。いつかやって来る再会を願いながら、その人に褒めてもらえるように、今日もその約束を守るんだ。

6/11/2023, 1:35:42 PM




ネオンがギラギラと光るその街は、真夜中なのに真昼のように明るく、賑わっていた。
夜が来ない街だ、と誰かが言った。眠らない街で思い思いに過ごす彼らは、今日も夜の寂しさをまぎらわすため、遊んで、騒いで、愛なんていうものを買ったりするんだ。

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