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3/7/2023, 1:47:37 PM

月夜


満月ですね、そう書かれた置き手紙の上に重りのように乗せられていたのは結婚指輪だった。
左手の薬指につけられた自分のものよりも少し小ぶりで、それでいてそこに嵌められた宝石が美しく輝く。
置き手紙と指輪を手に取り、窓際へと移動する。見上げれば、そこには確かに満月が浮かんでいて、なんとなく指輪を持ち上げて、その穴から覗くようにして見てみた。
月は相も変わらず美しいのに、満月ですね、の意図がわからなかった。指輪はどう見たって別れを告げているのに、そこに添えられた言葉を都合よく解釈してしまう。
たとえば、愛に満たされていました、とか。あなたがいたから輝けました、とか。
良いように、都合よく解釈をしてしまえるのに、君はもう帰っては来ないから。
本当に満月のように満たされていたのなら、こんなことにはならなかっただろうに、月夜にそんなことを思いながら静かな部屋の中でため息をついた。

3/6/2023, 2:17:54 PM




人と人との間に確かにあるのに、見えないもの。
時にそれは優しく、美しくあるのに、絡まってほどけないこともある。

3/5/2023, 1:45:56 PM

たまには


目を閉じれば、君の顔がすぐ思い浮かんだ。柔らかそうな細い髪質も、猫のような瞳も、鮮明に思い出せるのに。
どうしても声だけは思い出せなくて、どんな声をしていたのか、思い出せないことに自然と涙が出た。
たしかに君の声でこの名前を呼ばれることが好きだったのに。なんで忘れてしまうんだろう。
ぎゅっと握りしめた紙には君の少し特徴的な字が書いてあって、そこに書いてある文字にまた泣きそうになった。
『たまに思い出してくれたら、それでいいよ。たまには、ね。だから、それ以外のときは笑ってくれていたらいいなぁ』

3/4/2023, 2:38:37 PM

大好きな君に


大好きな君に伝えたいことがあるんだ。たとえば、ご飯はちゃんと食べているのかな、とか。ちゃんと睡眠時間を取れているかな、とか。
疲れていないかな、とか、息抜きしてるかな、とか。
何かに悩んで苦しんでないかな、とか、ちゃんと笑って、ちゃんと泣けているかな、とか。
君に聞いたら、何それ、当たり前じゃん、なんて返ってきそうだけど。その当たり前をちゃんとできているのかな、ってときどき心配になるんだ。
君は優しいから。一生懸命だから。真面目だから。自分でも知らないうちに自分のことを疎かにしていないかな、ってそう思うんだ。
疲れているのなら、一緒に休もうよ。悩みがあるなら、話してよ、一緒に考えさせてよ。嬉しいも楽しいも、君とだから何よりも輝かしいし、悲しいも苦しいも分け合っていこうよ。
大好きな君が健康でいてくれて、隣で世界一幸せそうな顔をしていてほしいんだ。そんな顔を見ていたいんだ。
大好きな君に伝えたいのはありきたりだけど、そういうことで、そんな君に訪れる今日が優しくて素敵なものでありますように。

3/3/2023, 3:00:27 PM

ひなまつり


いつしかその日は祝われなくなって、雛人形さえ飾られなくなった。
何気ない平日と同じように混ざって、その日であることを忘れるくらいには関心もなくなっていたけれど。
珍しく恋人がケーキを買って帰ってきた。互いの誕生日ではないし、記念日にしては身に覚えがなさすぎる。
「なんでケーキ?」
素直にそう聞けば、恋人はあっさりと簡単に答えを教えてくれた。
「ひなまつりだから。まぁ、ケーキで祝うもんじゃないと思うけど、今日は女の子が主役の日だからね」
ああ、ひなまつりか、と今日が何の日か思い出して、自然と口角が上がる。たしかにケーキで祝うものではないけれど、ひなまつりだからとこうして買ってきてくれるのは素直に嬉しかった。
買ってきたケーキは一切れで、結局二人で分け合って食べた。何気ない一日だったけれど、少しだけ特別になったのは秘密だ。

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