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1/31/2023, 2:11:15 PM

旅路の果てに


長い、長い旅だった、と彼は語った。
人生の半分以上を旅してきた彼はたくさんのことを知っていて、いつも色んな話をしてくれた。
旅先で出会った優しい人たちの心温まる話や反対に怖い人たちの耳を塞ぎたくなるような話。純粋すぎて心配になるような人たちの話や騙そうとしてきた人たちの話。旅人を歓迎してくれた人たちの話や逆に追い出そうとしてきた人たちの話。
世界には色んな人がいて、色んな国があることを彼は教えてくれた。
でも、そんな彼でもわからないことはある、と言う。
何でも知っているのに、と首を傾げれば、彼は口を大きく開けて笑った。
知らないことだらけだ。こんなに旅をしてきたのに、世界はまだまだ広くて、知らないことであふれている。どれだけ時間があったとしてもきっとすべてを知ることは不可能に近いのだ、と。彼はそう言った。
木葉がひらひらと舞い散る中、彼はやっと終わるか、と呟いた。何が、と聞けるほどもう子どもではないから、ただ彼を見つめるだけに留める。
思えば、しわも幾ばくか増えて、もうその足で歩くことすらままならなくなっていた。
長い、長い旅だった、と彼は語る。旅路の果てに彼は静かに笑って、眠りについた。

1/30/2023, 1:54:42 PM

あなたに届けたい


真っ白なページを埋めつくすように、あなたへの想いを綴った。
憧れと愛しさと、ほんの少しの苦い感情を筆が踊るままに書き連ねる。
書き終えたそれを見ながら、頭に思い浮かんだメロディーに合わせて歌えば、あなたへ向けた歌ができる。
口ずさむように歌えば、風があなたの元へと運んでくれたりしないだろうか。
あなたに届けたい想いを、笑顔を、歌を。届けてはくれないだろうか。

1/29/2023, 2:04:52 PM

I LOVE...


本のページをめくったそのとき、間に挟まっていたのだろうと思われる紙がひらひらと落ちた。
図書館の本に紙を挟むのなら、栞代わりか何かだろう、そう思って拾い上げれば、そこには『I LOVE...』と書かれていた。
とても綺麗な字で書かれているのに、紙はノートの端を破ったのか、かなり歪だった。
LOVEの後に続く文字は何だったのだろう。やっぱり、Youだろうか。それともこの本のことを言っているのか。なんとなく気になって、その紙が挟まっていたページを読んでみるが、LOVEや愛している、の類いの言葉はなく、わからずじまいだった。
少しだけもやもやしながら、その紙を元あったページへと挟む。何が、とか誰が、とかその紙に書き足して、答えを聞いてみたい気もしたが、あえてそれをせずに本を読み終えて、元あった棚へと戻す。
次読む誰かのために、その続きの言葉を想像するのもきっと面白いだろうから、なんて。
そう思いながら、誰かに届くはずの愛を、届くべき人に届きますように、そう願った。

1/28/2023, 2:51:11 PM

街へ


いつもより早起きして、午前中にやるべきことを済ましておく。
クローゼットの少し奥の方に置いたワンピースを取り出して、鏡の前であてて見る。
淡い色合いで、その色によく合う柔らかい素材は肌触りがよくて、思わず一目惚れして買ったものだった。
控えめだけど、丁寧なレースがあしらわれていて、とても自分好みだった。きちんと手入れしていたため、悪くなっているところはどこもない。
うん、と頷いて、決まった服装にテンションが上がる。
実際に着てみれば、ふわっと広がる裾が可愛らしくて、自然と笑みがこぼれた。
胸元のレースが髪の毛で隠れてしまうので、結い上げて、顔回りがすっきりとする。
靴はいつも履くような疲れないものは一旦おやすみさせて、石畳の上をコツコツといい音を鳴らすかかとの高いものを選んだ。
全身を鏡で見直して、いつもと雰囲気の違う自分に笑顔を向けて、いってきます、と呟いた。
ただ街へ出掛けるだけだと言うのに、そんなにおしゃれにしていくものか、なんて言われてしまうかもしれないけれど、私はこの服を着て街を歩きたいのだ。
誰が何と言おうとも、お気に入りの服を着て、大好きな場所へと行きたいのだ。

1/27/2023, 2:33:31 PM

優しさ


優しい人になりなさい、と言われて、その通りに生きてきた人たちが、優しさという名の暴力でゆっくりと傷つけられていくのをたくさん見てきたんだ。
最初は少しだけ押されたようなもので、何ともなかった、ってみんな言うんだ。でもそれは何度も、何度も繰り返されて、自分でも知らない間に消えない痣になっていたんだ。
ようやく感じ取れた痛みは鈍くて、それでいてしっかりと痛くて。
水滴がやがて岩を削るように、心がじわじわと蝕まれていって、いつしかその優しさというものがどういうものかわからなくなったんだ。
優しさって何だっけ、って泣きながらに笑った君がもうこれ以上傷つかないでいいように。
ねえ、優しい人になんかならなくたっていいんだよ。
優しさをどうかそんな風には使わないで。

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